人々の心に愛があれば、人助けをすることができる

(絵・陳九熹)

足ることを知り、常に楽しければ、生命はとても豊かになります。 しかし、一人で善行するだけでは足りず、生命の教育を始めなければなりません。 一人ひとりの良知良能を啓発すれば、人助けのできない人はいません。

世界では依然としてコロナ禍が深刻で、新たな変異株がまた一波、拡散しています。皆さんも敬虔に戒を護り、心を一つにして世の中の平安を祈り、謙虚な心で新型コロナの「大いなる教育」を受け止めなければいけません。

以前によくこう言いました。世を脅かす災難が差し迫った時、人は皆、世に警告を発する覚悟を持ち、欲念に溺れていてはなりません、と。多くの人は、自分は無欲無念で、悪業を造っていないと思っているでしょう。しかし、欲念は心の奥に潜んでおり、気が付かないほど微細で、境地に伴って頭をもたげるのです。もし、誰もがそのような心で行動を起こしたなら、造られた業力は長年にわたって蓄積されて、「衆生の共業」となり、大半の人に影響を及ぼすほどの大災難になるのです。

心に起きた念は僅かなものでも軽んじてはなりません。自分の小愛や私心から差別の気持ちを抱いてしまう凡夫のように、愛する人、事、物に対しては格別に関心を寄せ、自分とは関係がないと思うことには全く気にかけなかったり、或いは嫌いだからといった憎悪から特定の人、事、物を排除するようになります。いつも気がつかないうちに煩悩を溜めてしまい、その煩悩に伴って行動することで業力を積み上げてしまうのです。欲念によって造り出された環境破壊と汚染は、気候変動をもたらし、多くの国と地域で異常気象による災害が発生しています。

天下の平穏と、人々が以前のように健康で自由であるよう願うならば、その妙薬は自らが目覚めることです。人としての規律、斎戒、菜食、戒律を守るのです。私たちが万物の生命を愛惜して肉さえ食さなければ、動物は私たちの口の欲のために屠殺されることはなくなります。全ての衆生が安泰に暮らせるようになれば、人間(じんかん)は吉祥に満ちるでしょう。

いまだコロナ禍は過ぎておらず、入国者は検疫のための隔離や自主健康管理が必要なことから、台湾への訪問を控えている人が少なくありません。今年の春節が以前と違っていたのは、人と人の距離が保たれていても、情は濃く、心と心はとても近くにありました。現実の地理的な距離は何千キロも離れていても、科学技術が発達していますから、オンラインですぐにつながることができます。春節の間、応接室に座ったままで世界を旅することができ、慈済の全家族が共に、温かい新年の雰囲気に包まれていました。

師弟間はお互いに心がつながっており、同門者は同じ心と志で菩薩道を歩んでいます。この法髄の情は清浄無私の大愛であり、この深い情は遠く広く続けていくことができます。モザンビークのボランティアと精舎の会議と新年の挨拶はオンラインで行われましたが、師父を敬い愛している誠意のある供養を感じることができました。テーブル一つ、椅子一つ、カップ一つにしても、置かれた様子に心温まるものが感じられました。また、私の席の前にある世界地図を模倣して、テーブルの上に砂絵の地図を描き、石を並べて国境にし、花びらが慈済の連絡所を表しており、とても感心しました。

彼らには煩悩がなく、智慧が人間(じんかん)の物欲を超越しています。生活の貧しさが彼らの障害になることはありません。慈済の道場は天をもって屋根とし、地面に座り、心はこのように広々としています。

足ることを知って、生命はとても豊かなのです。ただ、自分の身だけを清め、自分一人で善行するだけでは足りません。自分の生活を安定させた上で、人々の生活をも安定させ、心身の糧を分かち合い、生命教育を展開して、人々の良知良能を啓発するのです。人助けのできない人はいません。誰もが人助けできる人になれるのです。

慈済の竹筒歳月は三十名の会員から始まり、「五十銭」が積み重なって、近くから遠くへ、少しずつ世界に広がり、菩薩たちは数十カ国に至りました。どんな災害や苦難が起こっても、自分一人の愛でも欠けてはならないという暗黙の了解の下に、世の中の苦難にある人を助けています。

苦しんでいる人がいるから、心と願と力のある人は奉仕する機会があり、眼の前にどんな困難が立ちはだかっていても、菩薩道を成就させることができるのです。ですから、人を助ける場合、助ける対象に対して尊敬の念を持って感謝すべきですし、助けられた人はその恩を忘れてはいけません。お互いに恩人になり、お互いに感謝することが、人間(じんかん)で最も美しい境地なのです。全ての人が楽しく暮らすことができるようになり、五濁の悪世が極楽世界に変わります。

この世に来ることができた自分の今生を大切にし、さらに自分の生命がこの世で役に立っていると認めましょう。近頃いつも、皆で自分の生命のたな卸しをするよう呼びかけていますが、世の中に奉仕する生活が価値のある人生なのです。私も自分の人生はとても価値があると思っています。その価値は、世の中にこれほど多くの人が私と心を一つに同じ方向を歩んできたことにあります。毎回慈済人はオンラインの会が終わると「生生世世師に追従します」と発願しますが、私も彼らにこう言います。共にその心願を抱いてこの大道を力強く進み、広く衆生が菩薩になるよう悟りに導き、生生世世、連綿と菩薩道を受け継いでいきましょう。皆さんの精進を願っております。

(慈済月刊六六四期より)

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