月刊誌『慈済』五十八年目に突入—創刊700号を迎える

編集者の言葉

創立当初発行したのは、献金者の名前と使い道を詳細に記した新聞紙大の機関紙『慈済』だった。五十八年を経た今では、世界中の慈済の動向や人情の物語を伝えるフルカラーの写真と文章を掲載する月刊誌『慈済』へと進化し、二〇二五年三月で創刊700号を迎えた。

月刊誌『慈済』の月間発行部数は三十四万部を超えたこともあったが、環境保護への配慮とデジタル書籍の趨勢に合わせ、慈済は二〇〇七年三月よりデジタル版の配信を開始し、自主的に紙媒体の発行部数を削減するようにした。今の人は、内容が多元的で更新も早いデジタル読書に慣れている。不足しているのは情報そのものではなく、丁寧に編集され、検証されて、読者にとって品質が高く、意義のある内容なのだ。慈済で最も歴史のあるメディアとして、私たちは自分自身にも同様の期待を寄せている。

慈済に関する人、事、物は記録されなければならない。月刊誌『慈済』は、当代の真善美を歴史に残すという責任を負っている。読者を増やす努力はしても、派手な言動で大衆に迎合して人気を得るようなことはしたくない。もちろん、私たちはデジタル化の波に直面しているので、内容の斬新さ、発信の方法、或いはメディアプラットフォームにおいて、どの表現は「変える」必要があり、どの原則は「変えない」かを判断するのは、確かに毎月の挑戦だと言える。

今月号の『慈済SDGsレポートシリーズ』では、「青年公益実践プロジェクト」をテーマに取り上げた。慈済が長年にわたって青年の公益活動投入を助成し、業界の専門家とマッチングさせて経営戦略を分かち合ってきたことを紹介している。執筆者の葉子豪(イェ・ヅハオ)氏によって記された青年起業家たちの創意と熱意は、若い人たちへの尊敬を集めるだろうと感じさせる。慈済ボランティアは中高齢者が多くを占めるので、社会により多くの福祉をもたらしてくれるようにと彼らを積極的に護持しているのだ。

今月号が締め切りを迎える頃、アメリカと台湾の慈済ボランティアは、災害後の復旧支援に忙しくしていた。一月初旬に発生したカリフォルニア州ロサンゼルスの山火事は、その後も延焼が続き、月末になってやっと完全に鎮火した。一方、一月二十一日の深夜に嘉義県大埔郷で発生した強い地震は、近隣の台南市玉井区と楠西区にわたる広範囲に被害をもたらした。緊急援助には迅速な対応が求められるので、アメリカのボランティアは、旧正月の間もロサンゼルスの被災地に駐在した。カナダのボランティアも参加したことで、物資の配付が早まった。二月中旬の統計によると、山火事の被害を受けた三千世帯余りがすでに買い物カードを受け取っており、着の身着のままで避難した後に、新たな生活を始めるための糧を得た。

慈済は、地震により自宅が損壊した台南の被災世帯のため、台湾全土の専門技術を持つボランティアに呼びかけると同時に、必要な資材を調達した。そして、作業チームが立ち上げられ、曽文青年活動センターを仮住まいとし、被災者の家屋の修繕に尽力した。恵まれない家庭に対する修繕は、慈済が数十年来行ってきた慈善プロジェクトである。しかし、近年の台風や地震の後には、大規模な修繕工事が急務となっている。例えば、二〇二二年の九一八池上地震の際には、花蓮から台東に至る地域の約二百戸の家屋を、ボランティアが修繕した。また、二〇二四年の〇四〇三花蓮地震では、百六十八戸の家屋が修繕された。創刊700号を迎えた月刊誌『慈済』は、こうした慈悲の行為を記録するために存在しているのである。

(慈済月刊七〇〇期より)

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