活気をなくした「楽園リゾート」

一万枚のマスクが「楽園リゾート」のサイパン島に届いたが、慈済ボランティアの小野雅子さんは嬉しい反面、不安もあった。前線で頑張っている人を守ることができるのは嬉しいが、サイパン島の慈済ボランティアは自分一人しかいないため、どうやってマスクを配付したらよいか…。

サイパン島

アメリカ領北マリアナ諸島の首都で、西太平洋に位置する。昨年三月からコロナ禍で島を封鎖したため、観光関連産業に従事する人々は収入が途絶え、連邦政府の救済に頼っている。ただ、外国人労働者はアメリカ国籍を有していないため、福祉を受けることが出来ない。

サイパン島は、西太平洋とフィリピン海の間に位置する。面積は百二十二平方キロメートルで、台北市の半分ほどの大きさだが、アメリカ領北マリアナ諸島の中では一番大きな島である。地形の特徴として、南から北にかけて十四個の火山とサンゴ礁から成っている島嶼は豊かな自然景観に恵まれている。その一番大きいサイパン島は「楽園リゾート」と呼ばれ、人口密集地と商業の中心地がある。

島の住民は純朴で、主に観光業が収入源だ。隣国のフィリピンからも飲食業やサービス業に従事する人が往来する。きらめく陽射しと柔らかな砂浜、そして様々なマリンスポーツが訪れた旅行客を帰りたくなくさせてしまう。二〇一九年五月、日本国籍の夫の転勤で初めてサイパン島を訪れた小野さんは、至る所にある椰子の木や青く透き通った海に囲まれて、毎日リゾート気分に浸って生活していた。

大愛農場のボランティアは、強い日差しの下で大きなキャベツを収穫していた。そこでは農薬や化学肥料は使われておらず、野菜一つ一つはボランティアが交替で植え、運んできた水で灌漑して育てたものである。

コロナ対策で島を封鎖、困難が目の前に

二〇二〇年二月の初め、新型コロナウイルスの感染拡大防止のために、サイパン島は真っ先に、十四日間以内に中国に滞在歴のある人と中国を出発するフライトの入国を暫定的に禁止した。三月二十三日、政府は更に封鎖を厳しくし、フライトの制限を強化することで、ウイルスが島に上陸しないようにした。

五月になると、感染拡大は落ち着きを見せ始め、運行は再開されたが、政府はグアム島との往復だけに留めた。しかし、観光業が主体で生計を維持していた島民には影響が出始めており、食糧不足の問題がいつでも起こり得る状態にあったため、人々は不安な日々を過ごしていた。

また、マスクが外出時の必需品となったとはいえ、収入が途絶え、更に失業した人からすれば、たとえ現地の平均時給が七ドルであっても、家賃と光熱費を支払ってしまえば僅かしか残らず、少なくとも一ドルはかかる医療用マスクは、久しく収入の無い苦しい生活をしている住民にとっては、贅沢品も同じである。

コロナ禍は小野さんの生活リズムをも崩したが、社会的弱者の境遇を目の当たりにした。ある日、老人ホームを訪ねた時、スタッフが着けていたマスクの質があまりにも悪かったことに気づいた。更に、現地の教会の牧師が新型コロナに感染したという知らせも聞いた。そんなことから小野さんは、「もっと質の良いマスクを医療従事者など前線で頑張っている人に提供できれば、どれほど良いことか!」と思い、慈済基金会に七百枚のマスクを申請した。結局、一万一千八百五十枚も届けてくれたのだ。

「サイパン島には自分一人しか慈済ボランティアがいない!」。これほど大量の物資を目の前にして、小野さんは嬉しい反面、不安を感じた。例えば、短期間にどうやって大量のマスクを整理するか?配付式をオンラインで行うにはどうしたらいいかなど、あれこれ心配していた時、台湾人ボランティアの彭秀静(ポン・シゥジン)さんから、彼女の息子の梁維元(リァン・ウェイユェン)さんが丁度、サイパン島に留学しており、協力してもらえるという情報が入った。

「若い人が助けてくれてよかった!」小野さんは梁さんの協力の下、二人で直ちに老人ホーム、病院ボランティア団体、教会、特殊教育学校、修道院、女性専用シェルター、技術学院などに足を運び、医療用マスクを配付した。生活が困窮している家庭の子供たちや前線で頑張っている人たちが新型コロナから身を守る助けになればと願った。

サイパン島の現地紙に、「CW友の会」のボランティアが慈済と一緒に食糧を困っている外国人労働者に配付したニュースが載った。

塵も積もれば山となる 善の力を結集

六月、アメリカ連邦政府は島内の労働者全員に一人当たり一千二百ドルの救済金を出し、失業手当の申請も開始された。ただアメリカ国籍を有していない多くの外国人労働者には、「失業手当申請」の資格がなかった。中でも、子供がいない場合は更に状況が違った。現地で子供を生んでいる外国人労働者は、子供に「アメリカ国籍」が与えられるので、毎月一度「食糧券」の補助を受けることができるのである。

マスクの配付後、一部の外国人労働者の生活があまりにも厳しいことを目の当たりにした小野さんは、慈済基金会と現地の団体が協力して生活物資を届けることを計画していた。しかし、隣国のフィリピンが台風に襲われたことから、慈済は被災者の緊急支援を先に行うことになり、小野さんの計画は先延ばしになってしまった。

それでも小野さんは、證厳法師がいつもお諭しになる「困難がある人を待たせてはいけない」という言葉を思い出し、更に年の瀬が迫っていたこともあり、先ず、米、油、卵などの食糧を調達すると同時に、菜食を呼びかけ、いつも買い物をしている八百屋で新鮮な旬の野菜と果物を大量に買い付けた。その時、包装も「プラスチックを減らす」ことに気を配り、包装に古い新聞紙を使った。

被災者の名簿作成や配付活動に必要な人力の問題では、小野さんが以前に知り合ったアイリーン・ホールさんが立ち上げた「CW友の会(Friend of CWs)」(CW‥合法的な臨時外国人労働者)という団体と協力することにした。会のスタッフの多くはフィリピン人で、主に島の失業した外国人労働者を支援している。

「スタッフはみんなが豊かな生活をしているわけではありませんが、失業者に比べ、仕事があるので生活が維持できています」。慈済の竹筒歳月のように、「ⅭW友の会」のスタッフは日頃から少しずつ貯金し、「塵も積もれば山となる」精神でもって、生活物資を購入して貧困世帯を支援している、と小野さんが説明した。

「物資に限りがあるので、一番困窮している人を見つけて配付しています」。小野さんによれば、今回の協力は、失業者の名簿作成から、家庭訪問、正式な配付まで厳しく審査しており、小野さんが自分で買い付けた物資だけでなく、「CW友の会」も米、缶詰、卵などの生活物資を提供したという。

今回、十一月末に行われた小規模の活動では、計百三十八人分の生活物資が配付された。その中にはフィリピン籍の外国人労働者だけでなく、少数だがトルコから出稼ぎに来ていた人も含まれている。小野さんは、活動を通じて知り合った人との縁を大切にして、慈済の由来を話し、ちょっとした手作りの静思語のプレゼントを贈った。コロナ禍にあるからこそ、自分たちの励ましが彼らの力になればと思った。

長期的に外国人労働者を支援している「ⅭW友の会」のボランティアたちは、互いにお金と力を出し合い、小野雅子さんと協力して配付をやり遂げた。

台風の後、愛はまだそこにある

二〇一五年、台風十三号がサイパン島に上陸し、施設、建物、樹木が激しい暴風雨で被害に遭った。当時、支援を求められた慈済は、直ちに米と千個の鍋を届けた。これがサイパン島と慈済の出会いである。

五年後、コロナ禍で再び、慈済がサイパン島と手を取り合うことになり、支援が始まった。現在サイパン島に滞在する慈済ボランティアは小野さん一人だけだが、現地の慈善団体と協力して、困難にある人を助けている。一人で出来ることをやり続けている小野さんは、「困っている人たちの表情が柔らかくなり、その眼差しに感動と感謝の気持ちが現れてくるのを目の当たりにすると、私がやっていること全てに価値があると感じます」と心を震わせながら語った。


(慈済月刊六五〇期より)

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