シリア難民への医療支援|砂漠で助けを求めるかすかな叫びに—耳を傾ける

「助かる方法がなくても、気にしないでください。最期が来れば、解脱しますから」。

ボランティアたちは、ナワフさんが支援を得られないのを見て忍びなく思い、彼の治療の機会を求めて奔走した。手術後、ナワフさんは、杖をついてやって来た。

三十分歩いてでも、ボランティアに感謝の言葉を伝えたかったのだ。

ナワフさん(右から2人目)一家12人は、数年前からテント生活をしている。2023年9月、慈済ボランティアのルースさん(右から一人目)と彼のチームが訪問ケアをして、一歩踏み込んだ医療支援を提供した。(撮影・ファユミ)

シリア・イドリブ県出身のナワフ・モハメド・アルファレスさんは、二〇一一年のシリア内戦以前は農作業に従事してあちこちで働き、生活に余裕はなかったが、貧しいなりに満足した生活をしていた。

二〇一三年、ナワフさんと長男のラカン・ナワフ・アルファレスさんらは戦火を逃れてヨルダンに渡り、二世代十二人がマフラク州フウェイジャ村近くでかろうじて雨風をしのいでテント住まいを始めた。夏の炎天下、冬の寒風、時には砂漠から砂や小石が飛ばされて来て舞い上がる。そして、病気が劣悪な生活環境に拍車をかけた。臨時雇いの収入は少なく、生活費を支出すると、病気を治す余裕はない。六十七歳のナワフさんは、そんな絶望的な状況にあった。

蓄尿袋を引きずって生計を立てる

二〇〇三年五月下旬、慈済ボランティアとヨルダン慈済人医会は予定通りマフラクで施療活動を行った。ナワフさんは杖をつき、蓄尿袋を手に下げ、よろよろと歩いてやってきた。彼は十年前から膀胱に腫瘍があり、ヘルニアと前立腺肥大の症状を抱えていた。

モハナド医師のクリニックには、息子さんが付き添って来た。症状は複雑で、ボランティアは先ず、六月にアンマンでヘルニアの手術をする手筈を整えた。しかし、 八月になると膀胱の腫瘍が悪化し、尿が溢れ出て非常に痛みを伴うようになったため、息子さんは彼をアンマンの公立病院に連れて行ったが、手術の予約は六カ月後、費用も三千ディナール(約六十二万円)掛かるとのことだった。

にっちもさっちも行かない一家に、どうしてこのようなお金が払えるというのだろう。息子さんは、仕方なく五百ディナールを人から借りてカテーテルを取り付けることしかできず、それ以上の治療を受けることはできなかった。病状は悪化の一途をたどった。カテーテルも腫瘍に圧迫されて絶えず腹腔に痛みを感じ、憔悴し切ってベッドに横たわり、病魔に身を任せていた。

二〇二三年九月、慈済ボランティアが訪ねた時、ナワフさんはルースさんに力なく話しかけた。「もし助かる方法がないのなら、気にしないでください」。一家はなす術もなく、絶望の中で運命を天に任せるしかないことをボランティアに告げた。「命が行き着く先は、解脱なのですから」。

悲しみでいっぱいになったルースさんは、地元の泌尿器科のバハア医師を訪ね、慈済がヨルダンで既に十四年間も医療支援をしていること、支援している対象はほとんど面識のない、医療費を払えない難民や貧しい人々であること、そしてその善意のお金は全て世界中の愛の心から来たものであることを伝え、人助けの善行に参加してほしいとお願いした。

四十歳のバハア医師は、手術費を二千ディナール安くすることにした。二〇二三年十月、アンマンのキンディ病院で、ナワフさんは膀胱腫瘍の摘出手術を受けた。その時、前立腺は肥大していないことが判明したため、更に五百ディナール安くなった。

ナワフさんはようやく十年間の痛みから解放され、一日中蓄尿袋を持ち歩く必要もなくなった。回復室から移動ベッドで出てきた時、彼は「證厳法師、ありがとうございました。ありがとう、慈済」と言い続けた。彼にとって、慈済は、絶望の淵から救い出してくれた命の恩人なのだ。

手術を受けて間もないナワフさんは、慈済チームが再度フウェイジャ村に来たことを知って、ボランティアのルースさんに会いに来た。(撮影・林綠卿)

新たに生きるという喜びを
目の当たりにして

慈済ボランティアは、偶数月には必ずマフラク難民キャンプへ見舞いに来る。二〇二三年十月、慈済ボランティアがフウェイジャ村に来ると聞いて、ナワフさんは、三十分かけて歩いてボランティアに会いに来た。

ナワフさんは目を輝かせ、證厳法師、慈済、台湾の人々、そして全てのボランティアに感謝した。彼の喜びを受け取ったルースさんは、言葉にならないほど感動した。「彼は寄り添う過程で、希望の到来を見たのです。喉が渇いて死にかけている人に水を与えたら、生き返ることと同じです」と言った。

「慈済は私の長年の病気を治してくれました。善意ある皆さんが、健康でありますように。アッラーが平和と無事を祝福してくれることを祈っています!」と言った。ナワフさんの心からの感謝の気持ちが伝わってきて、感慨深いものがあった。無私の愛は、生きる希望を取り戻させてくれるのだ!

(慈済月刊六八六期より)

    キーワード :