戰爭が終わる日まで、ポーランドに身を寄せているウクライナ人には、生きていく自信と尊厳が必要なのだ。語学コースは社会に溶け込むのに役立ち、再び新たな自由を味わうことができる。
医療用ポーランド語コースは、医療従事者がライセンスを取得し、自分の専門知識を活かしてより多くの患者を助けることに役立つ。
7月29日、ルブリンカリタス修道会礼拝堂で、ポーランド語コースを修了した79人のウクライナ人学生に、EU認定の修業証明書が授与された。(撮影・セルシ)
ロシアとウクライナの戦争は二十カ月も続いている。ウクライナ人の若者や中年男性は国を守るために残っているが、命を守るために逃れた老人や子供、女性は異国で厳しい生活を送っている。いつ家族と再会できるのか、見通しは立っていない。
ウクライナ人の英語教師であるハンナさんは、ポーランドで避難生活をする間に、新たに語学ライセンスを取得した。「私は外国語の教師ですから、見知らぬ土地で現地の言葉を理解することの重要性がよく分かっています。それは現地で自在に生活するための第一歩なのです。しかし、話せることと、語学ライセンスを持っていることとは違います。特に就職のための履歴書にEU認証の証明書を添付すれば、即戦力としての能力を最も強力に証明することになります」。
慈済基金会は、ポーランドのルブリンにあるカリタス基金会と協力して、ウクライナから避難している人たちにポーランド語を教え、地元社会に溶け込む機会を与えている。慈済は今年初めから七月末まで、七十九人にコースの修了証を授与した。
この修了証を軽んじてはなりませんよ、とドイツ在住のボランティア陳淑女(ツン・スゥニゥ)さんは、その実用的な価値についてこう語った。「これはEU統一語学認証資格コースです。A1、A2、B1、B2、からC1、C2のレベルに分けられていて、1点から5点の成績で計算します。この修了証書さえあれば、ヨーロッパ全土で言語能力のレベルが判別でき、人との会話交流ができるだけなのか、聞き取りと読み書きに何の障害もないレベルなのかを証明してくれるのです」。また、ポーランドでの就職に役立つだけでなく、二十六歳以下で語学力B2レベルがあれば、国籍を問わず小学校から大学まで無料で就学ができるのだ。
ウクライナとポーランドの言語は似ており、コミュニケーションが可能な部分もあるが、文法を学ぶ場合には困難が伴う。このコースはルブリンのカトリック大学で開かれている。アレクサンドラ先生のクラスは学生の数が多く、彼女は、コースを修了するのは簡単ではないと言う。彼らは仕事と勉強、そして家庭での責任の間でバランスをとらなければならないからだ。
先生たちはポーランド語を教えるだけでなく、様々な生活情報を共有し、一部の学生の本業にも注目しながら、可能な就職先やマーケティングの紹介も行う。現地の言葉ができれば、確かに安心できる。高齢者にとっても、再雇用は叶わなくても、ポーランド語が少しずつ理解できるようになれば、一人で買い物に出かけ、誰かと会話することもできるようになり、疎外感を感じることも減る。
マグダレナ先生は、レベルB1の学生たちを誇りに思っている。「彼らは最も進歩が速く、中にはすでに職に就き、或いは大学入学の資格を得た学生もいます。これは、慈済の支援が個人の就職や就学の面で、功を奏していることを証明しています」。
留まるべきか否か
どちらも困難がつきまとう
ウクライナの隣国ポーランドは、戦争初期に避難民を最も多く受け入れた国である。政府機関と国内外の慈善団体は先ず、彼らが落ち着いて生活できるよう支援を行った。ポーランド南西部オポーレ県の大都市オポーレを例に挙げると、社会局の付属機関である「社会活動センター」は全方位的な支援を提供し、戦争前からオポーレに住んでいたウクライナ人によって、戦火を逃れてきた同胞を受け入れ、そこから社会局が雇用支援を含む支援を引き継いだ。
母親が仕事に出かけるため、夏休みの間、世話してくれる人がいない子供のことを考慮して、オポーレ市社会局は月曜日から金曜日の毎日午前八時から午後三時まで、学童保育を提供している。そこではポーランド人とウクライナ人の子供が一緒に絵を描いたり、遊戯や読書をしたりして交流を深めている。
戦争勃発後、赤十字オポーレ県支部は、緊急事態を乗り切るため、ほぼ毎日避難民に物資を配付していたが、今では日常必需品の寄贈が日毎に減っているため、配付は一カ月十二回に調整され、対象は高齢者と三人以上の子どもがいる母親または身体障害者に限定された。
オポーレの慈済ボランティア陳恵如(ツン・フェイルー)さんとラドスロー・アトラスさん夫妻は、昨年六月と七月にオポーレ体育館で大規模な配付イベントを何回も行い、買い物カード、毛布を配付した。また、十二月からはオポーレ大学と協力してポーランド語と職業訓練コースを開設し、避難民の雇用機会を増やす手伝いをしている。
当初、語学コースは、三百人で二十クラスを開設する計画だったが、申し込み者数が四百人を超えたため、最終的に三百五十人として、八人のオポーレ大学の教師が指導を受け持った。また、一部の避難民の差し迫った要望に応え、集中クラスも開設した。特別なのは、大学のキャンパスではなく、教室を分散して行うようにしたことだ。主に彼らの居住地に合わせて、近隣の高校や小学校、或いは文化センターなどに協力を仰ぎ、教室を提供してもらった。戦争によるヨーロッパのエネルギー価格の高騰で、暖房費や電気代が大幅に値上がりしたため、集中授業は人数を多く受け入れられるビジネスホテルで行われた。
しかし、誰もが終業式まで授業を受け続けられるわけではない。彼らは留まるべきかどうかで迷うことがよくあるからだ。長期滞在するのなら、ポーランド語を学ぶことは不可欠だ。しかし、近い将来帰国できるとしたらどうだろう?何度も自問自答を繰り返し、次のステップを決めるのが実に難しい。ボランティアたちも彼らの心情がよく理解できるので、手伝えることは積極的に行っている。
ルブリンで高齢者への定期的な食糧配付の時、ボランティアたちは「皆家族」という慈済の歌を手話と共に歌い、支援と寄り添いの雰囲気を添えた。(撮影・セルシ)
ウクライナ人医師の合法的な就業
二○二二年末、ポーランド政府は或る重要政策を発表した。ウクライナ籍の医師がポーランドでライセンスを取得し、五年間合法的に医療行為を行うことができるようにしたのだ。この政策は、ポーランドの医療人員不足の問題を解決しただけでなく、ウクライナ籍医師に就業機会を与え、彼らの生活がより安定するようになった。
この政策が発表されると、ポズナンの慈済ボランティアであるルカシュさんと張淑兒(ヅァン・スゥーアル)さん夫妻は、ウクライナ人医師も医療用ポーランド語の習得が必要になる、と直ちに察知した。なぜなら、その特殊な政策には前提条件があったからだ。つまり、ここで医療に従事するには、基本的な医学知識のほかに流暢なポーランド語を話せなければならず、患者と十分にコミュニケーションをとることが必須とされているからである。
ルカシュさん夫妻は素早くポーランドで第三位のアダム・ミツキェヴィチ大学(以下UAM)と提携して、ウクライナ人医師に医療用ポーランド語コースを提供することにした。
UAMには百年以上の歴史があり、ポーランドのロマン派詩人アダム・ミツキェヴィチにちなんで名付けられた。外国語教育と研究で有名な大学で、ポーランドの外国語大学と称されている。慈済はその前の二〇二二年八月からポズナンで、避難生活を送る人向けに無料のポーランド語コースの提供を始めていた。今年は更に二つの医療用ポーランド語コースを増設した。学生には八十%以上の出席と、ポーランドの医療制度と法律を深く理解することが求められる。厳しい試験を経て初めて、UAMと慈済基金会が共同で発行する修業証明書を手にすることができるのだ。
五十人の学生がそのコースに参加し、今年八月に卒業した。そのうちの二十三人が政府や病院の医療用ポーランド語試験に合格し、ポーランドの医師ライセンスを取得することができた。彼らは自分の専門知識を発揮できるようになっただけでなく、家族と共にポーランドで合法的に収入を得て自立した生活ができるようになったのだ。
ポズナンの慈済ボランティアは医療用ポーランド語コースを開設した。募集開始から12時間もしないうちに、50人以上のウクライナ籍医師や看護師、医療専門家が登録した。(写真の提供・張淑兒)
歯科の施療
もう我慢しなくてもいい
ポズナンのボランティアチームは、さまざまな支援を毎月延べ千三百人以上に提供している。成人向けの職業訓練コースでは、医療用ポーランド語、理容や美容、スタートアップなどの講座があり、子供や青少年向けにはコンピュータープログラミング、英語、体操、絵画やチェスなどの教室もある。
ポーランドでは、無料で歯科治療が受けられる範囲がかなり限られており、健康保険への加入を強いられている勤労者家庭であっても、簡単な検査サービスしか受けられず、予約してから診察するまで、二カ月から六カ月待たされることもある。個人経営のクリニックで診察を受ければ、日本円にして四千円以上の診療費が必要になる場合もある。その上、抜歯や根管治療になると、更に高額な費用がかかる。仕事のないウクライナ人家庭にとって、大きな負担である。
歯の痛みは待つことができない。ルカシュさんと張さんは、ポズナン医科大学付属病院のカロリナ教授の支援を受けて、月に一度、避難民に無料の歯科治療サービスを提供している。
ウクライナ南部の都市ザポリージャは原子力発電所があることから、戦争初期にロシア軍に占拠された。三十八歳のカテリーナさんは、二人の未成年の子供、ローマン君とヴィクトリアちゃんを連れて避難し、昨年三月九日にポズナンに到着した。彼女の七十歳の父親、ヴォロディミルさんも、数々の困難を乗り越えて、やっと彼女と合流できた。
慈済の買い物カードを受け取ったカテリーナさんは、元々は専業主婦なので、まだ適当な仕事は見つかっていない。毎月の家賃二千三百ズウォティ(約八万七千円)に加えて歯の痛みにも悩まされ、それでも歯を食いしばって耐えてきた。今年六月に歯の治療を受け始めてから、ようやく痛みが和らいだ。
今年三月、アンナさんは、片手に生後三カ月の娘を抱え、もう片方の手で未成年の息子の手を引いてポーランドに到着したが、経済的な制約から自分の健康を後回しにして、使えるお金を全て保育と家賃に費やした。
「ここには親戚や家族はいません。軍隊の最前線にいる夫の無事を毎日祈っています。ただ彼に生きていて欲しいだけです。何時の日か再会できることを願って」。アンナさんに母親としての勇敢さが見えた。しかし、彼女は出産後に次々と歯に問題が発生し、息子のヘリブ君も虫歯になったが、ようやくカロリナ教授の無料診療を受けられるようになった。
ヘリブ君は慈済のチェス講座にも参加するようになった。週に一度の授業で力を伸ばし、周囲から敬服される棋士に成長し、ボランティアからも将来の活躍を祝福されている。
ポズナン医科大学歯学部は慈済と協力して、経済的に困難なウクライナ人家庭に毎月無料の歯科治療を提供している。(写真の提供・張淑兒)
寄り添いに感謝
私のために泣かないで
ポーランド東部に位置するルブリンはウクライナ国境に最も近いだけでなく、生活費が最も安い都市である。避難した人々の多くはそこを中継地とみなし、短期間滞在した後、次の目的地へ向かう。そこに留まっているのはお金に余裕がない人たちで、他の生活レベルが高い地域に行くことができないのだ。また、全てを使い果たし、ウクライナに帰る時も長距離を移動する必要がない。そのような背景や考えを聞くと、心が痛んだ。
ウクライナ人と地元ポーランド人、そして台湾の留学生で結成されたルブリン慈済チームはこの一年余り、高齢者や心身障害者たちがそこで順調に生活できるよう、重点的に支援している。
ポーランド政府は、ウクライナ人の高齢者に月額日本円にして約一万一千円を支給しているが、高騰し続ける生活費には追いつかない。慈済は、昨年九月から六十五歳以上の高齢者に果物、野菜、穀物、豆などの食品を配付し、健康を維持するのに十分な栄養のある食べ物を確実に摂取できるようにさせている。配付する人数は一回に二百人から二百五十人だが、ほぼ毎日見たことがない人たちが助けを求めてくるため、十日から十四日ごとに配付している。
ボランティアたちは、心を込めて変化に富んだ食材を提供している。八月下旬の配付を例にとると、卵、パン、油、そばの実、トマト、キュウリ、ズッキーニ、バナナ、梨などで、お年寄りでも簡単にサラダやメインディッシュが作れ、それにスープを作るための根茎類もたくさん用意した。
ウクライナ人高齢者のウラジミール・グランディンさんは、懸命に作品を販売して義足の装着費用を貯めた。ボランティアも8月に家庭訪問した際、行動で支援した。
ポズナンの慈済チームは様々な職業訓練や文化講座を提供し、ウクライナの少年フリブ君(左)は毎週チェスの教室に通っている。(写真の提供・張淑兒)
ポーランドに留学し、卒業後もルブリンに留まって、ネイルサロンを経営しているアナスタシアさんは、同胞の苦しみを目の当たりにして、カリタス基金会のボランティアに参加し、今は慈済との連絡窓口になっている。「慈済は途切れることなく高齢者たちのサポートを続けていて、本当に感動させられます」と彼女が言った。
配付活動が終わると、高齢者たちは重いエコバッグを背負ったり、引きずったりして一人ひとり帰って行くが、その孤独な背中を見ると、ボランティアたちいつも胸が締め付けられる。しかし、高齢者たちは逆にボランティアたちを慰め、「私たちのことは悲しまないでください。私たちはこの先十日間も食べるものがあると思うと、とてもうれしいのです。食糧の心配をすることなく、安心して眠ることができるからです」と言った。そして、「本当に有難う。十日後にまた会いましょう」と、この一年間付き添ってくれた慈済に感謝の気持ちを表した。
(慈済月刊六八四期より)