批判を警鐘と受け止める

人にはそれぞれの見方があり、批判を注意の喚起と受け止め、批判した人が教育してくれたのだ、と感謝しましょう。

完璧な人はいない お互いに尊重し合おう

慈済学術諮問顧問委員会の昭慧法師と十数名の教授や準教授たちが、上人と座談しました。

上人はこう語りました。自分は元々とても内気で、人前で談話することは滅多にありませんでした。しかし、人間(じんかん)に苦難が多いため、何か人の役に立つことがしたいと常々思っていました。そのためには、より多くの同じ志を持った人の力を集めて、心を一つに事を成す必要があると考えました。そうすれば、事は順調に運び、より人間(じんかん)を利することができるのです。そして今、教育界にこれほど多くの心ある人や教育に熱意を持つ人がいて、慈済と交流しているのを見ると、大きく希望に満ちてくるのを感じます。皆さんが心して努力することで、仏法を人間(じんかん)に根付かせてくれることを期待しています。仏法を講釈したり、仏教の名を使ったりしなければならないわけではなく、人間(じんかん)を利して、人心の偏りを正しく導きさえすれば、心は広くなり、何事も人のためにと思うようになります。それは即ち、仏陀がこの世に来て衆生を悟りに導こうとした心願を達成することにほかなりません。

上人は言いました。「この世で何かをしようとして、自分と違った考え方とやり方を持った人に出会った時、批判されることがありますが、それを自分への注意の喚起と受け取り、間違いを犯してはならないと自分自身に警鐘を鳴らし、批判してくれた人が教育してくれたのだと思って感謝すべきです」。

北投区のリサイクルボランティアである陳政祥(ツン・ヅンシャン)師兄は、辰年を迎えるに当たって、回収したミルクボトルやペットボトル、プラスチック缶などを使って、器用に、今にも羽ばたきそうな龍を作成しました。上人はそれを例に挙げてこう言いました。「ゴミの分別と資源の回収には、大きな道理の教育の意義が含まれています。慈済のリサイクルセンターには多くの高齢ボランティアがいて、あらゆる種類のプラスチックを手で触るだけで、非常に細かく分類することができるだけでなく、参観者にも話しかけています。そして、回収物から人々が称賛するような美しい芸術品までも作り出しています。高学歴ではないかもしれませんが、智慧を持っており、人には無限の可能性が秘められていることを証明しています。

食事前の五観の偈(五つの心構え)

歳末祝福会で二〇二三年の「慈済大蔵経」(二〇二三年の回顧)のビデオが放映されましたが、世界で四大元素の不調和による数多くの災害と、人心の不調和による戦禍が起きていることが分かります。上人は感慨深げに言いました。この世は苦難ばかりですが、皆さんは平和な台湾で暮らせるということに、心から感謝しなければなりません。

古代の僧が私たちに、目の前にある食べ物は容易に得られたものでないのだから感謝しなければならない、と『五観の偈』を教えています。食事する時に持つべき五つの心構えとは:

  • 一つには功の多少を計り、彼の来処を量る。
  • 二つには己が徳行の全欠を忖って、供に応ず。
  • 三つには心を防ぎ、過を離るることは、貪等を宗とす。
  • 四つには正に良薬を事とするは、形枯を療ぜんがためなり。
  • 五つには成道のための故に、今この食を受く。

上人はこう解説しました。「一つ目の意味を考えてみてください。目の前にあるご飯は、種籾を撒き、苗になれば田に植え、成長すると稲穂が実り、それを収穫して脱穀し、包装を経て初めて流通販売され、それが家々に届くのです。その過程でどれだけの労力と時間を費やして、大変な農耕作業が行われてきたことでしょう。また、ガスや電気、そして調理器具もあってこそ、香ばしいご飯が炊き上がるのです。ですから食事する時、必ず感謝の気持ちと共に、自分は人間(じんかん)でどんな貢献をして徳を積んだか、このような美味しい食事をするに値するか、を考えてみるのです。精舎の常住尼僧たちが自力耕(更)生しているのは、こう考えているからなのです」。

また、警戒心を高め、自分の心が偏って徳が失われないよう、過ちから遠ざからなければなりません。「何故、徳が失われるのか?欲があるからです。自分は欲を起こしたのではないかと反省しましょう。この食事は、お腹を満たして栄養を補給するために頂くのであって、美味しいものを食べたいという欲望で選んだわけではありません。『健康を保つための良き薬と受け止める』のです。欲を起こさなければ、間違いを起こして業を造る事はありません」。

上人は言い聞かせました。お粥も食事も簡単に得られるものではないのだから、感謝の気持ちを持って頂くのです。姿勢を正して座り、「悟りを開くにはこの食事を受け取るべきである」と自分に言い聞かせましょう。修行をしていくためには健康でいなければならず、そうすれば十分に体力がついて心身が整えられます。やるべきことを成し遂げ、時間を無駄にせず、悟りに到達するのです。

足ることを知るようになれば、欲念を取り除くことができ、日々がとても満足したものであれば、自ずと、感謝と喜びの心を持つと共に、奉仕することに喜びを覚え、善行して人助けすることで徳行ができるようになります。

(慈済月刊六八八期より)

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