時を経て受け継がれ—器用な手で蘇る|コーラン経筆写本

(撮影・劉子正)

五百年前に書き写されたコーラン経は、血と涙が滲み、虫に食われ、水に浸かり、火災にも遭遇した。

図書館の書籍修復士は、刷毛と「典具帖紙」という和紙を使って一寸ずつ修復し、二年以上を費やして、五百ページにも及ぶアラーの言葉を元に近い状態に戻した。

それは私が出会った中で最も古い書籍だと思う。虫食いの跡にしても破れた箇所にしても、あらゆる書籍に見られる問題がそこにはあった。筆跡とページに残された情報をもとに、紀元十五世紀から十六世紀の間に、十人の人によって書き写されたものであろう。それ故に、紙の年代や色が異なっており、修復作業する側にとっては一大挑戦であった。台湾図書病院の書籍修復士、徐美文(シユウ・メイウェン)さんは、詳細に調べた結果、五百年余り前に手書きで写されたコーラン経である可能性が高いと言った。そのコーラン経は皮革で綴じられているが、表紙は硬くなっていて、中身と分離してしまっていた。また、火災や水の被害の他、土砂に埋もれた形跡や虫食いによる損傷があり、血痕やカビ、泥、花弁、毛髪、植物の種及び虫の糞などの痕跡が見られるページもあった。

初歩的な検査では、その数百年前のコーラン経には三種類の虫がついており、低酸素除虫ボックスに一週間入れて、除虫する必要があった。その後で、もう一度詳しく検査した。徐さんは、本そのものと紙の構造を損傷しないことを原則に、柔らかい刷毛を使って一ページずつ清潔にしてから、五百ページ余りに及ぶこのコーラン経筆写本にページ数を入れていった。そして、表紙と中身を分離し、もう一度、消しゴムと消しゴム粉(文献修復や芸術品専用)で乾式クリーニングを施した。どの過程も時間を要し、「精細に修復するのにこれほど多くの時間をかける必要がありました。ワンステップでも省けば、コーラン経にとって、良いことではないからです」と徐さんが言った。

数百年間伝承されて来た手書きのコーラン経は、転々とした後、台湾のイスラム教徒である胡さんの手に渡ったことで、広く公の前に姿を現した。まだら模様になった麻の紙に異なった筆跡と濃さの異なるインクが見て取れ、虫に食われた後の穴や汚れた部分も確認された。(撮影・劉子正)

細心の注意を払って修復 
本来の色を取り戻す

徐さんは古い洋書を修復した経験はあるが、五百年前の古書を修復するのは初めてである。コーラン経を分解してから、どのようにすれば元の状態に復元できるか、徐さんは一歩一歩手を省くことなく、その古書に微かな手がかりを求めることにした。

そこで彼女は、ページの間にあった昆虫の死骸や排泄物、植物及び紙の材質を取り出して、顕微鏡で細かく比較した。実は修復作業では、科学的な調査がとても重要になってくる。徐さんたち修復チームは三種類の紙を使っていることを突き止めた。それは顕微鏡で、紙の繊維の長さが相当長いことを発見したのである。

十五年の文物の修復経験を持つ徐さんは、国立台北大学古典文献の修士課程を卒業し、政治大学図書情報及びファイル学の博士課程を終えた後、紙の研究に何年も費やし、紙の歴史にとても詳しくなった。「中東の紙づくりの技術は唐朝から伝わったもので、当時のアラビア帝国が、唐朝から紙造りの達人たちを捕らえて連れて来たのです」。しかし、紙の繊維の長さは中国でも時代と共に変化しており、唐代では麻の繊維を使った紙を作っていたが、アラビアでは樹木の成長が悪く、木の皮で紙を作るのは稀だった。そこでアラビア人は、ぼろ布と縄の中に含まれる麻の繊維で紙を作っていた。十五、六世紀になってから、紙の原料として麻と楮皮(こうぞの木の皮)が出現したらしく、このコーラン経に使用された紙は、麻の紙だという推測で皆が一致した。

紙は、書籍を修復するのに必要な材料の基本であり、総合的にこの古いコーラン経の紙の質を推測することはできるが、現代で使われている紙で類似したものを見つけることは、なかなか難しかった。台湾図書病院は、古い楮皮で破れた箇所を修復してみたことがあるが、書籍自体の紙に貼りつけても合わなかった。そして、何軒も製紙工場を訪ねても、類似した質の紙を見つけることができなかった。その時、徐さんは、以前麻の紙を購入したことがあり、それが国立台湾図書館の倉庫にあることを思い出した。

自分たちの倉庫で、数百年を経たコーラン経の紙の質と厚さ及び年代が近い日本の麻の紙を、遂に見つけた。「麻の紙は真っ白ですが、コーラン経の紙はページによって色の濃さが異なっていたため、古い紙の感じを出す方法を考えなければなりませんでした」と徐さんが言った。

長い年月を経て
台湾にやって来たコーラン経

このコーラン経の表紙と裏表紙には大きな穴が開いている(写真上)。専門家の推測によると、本来、その牛皮を使った表紙には宝石が埋め込まれていたが、何度も戦争や様々な天災、人災を経て、宝石が剥がれ落ちたことで、大きな穴が開き、牛皮は硬くなってひび割れしてしまったらしい。

ページを開いてみると、ひどくまだら模様になっていて、麻の繊維が露出していた(写真3)。扉のページと繋ぐ糸は切れ、三種類の虫の死骸があり、昆虫の羽のようなものも見られたが、後でそれは花弁だと分かった(写真4)。修復士の目には、あらゆる病を一身に集めた、重症患者のように映った。コーラン経には五百箇条の規則があるが、主な内容はユダヤ教の旧約聖書、プロテスタントの新約聖書と似通っている。(提供・写真2、3・台湾図書館。写真1、4・大愛テレビ番組作成部門)

苦心惨憺して古く見せかける

新北市中和四号公園脇の台湾図書館五階の片隅にある「台湾図書病院」。三人の修復士が染料を配合していた。水を取りに行く人や染料を加熱する人の他、徐さんはピレットとメジャーカップを使って染料の必要量をグラム単位で計りながら、配合し始めた時のことを思い出した。修復する前から、そのコーラン経筆写本は十五、六世紀のもので、その時代に使われていた染料は現代の物とは異なることを推測していたため、徐さんは、植物性や鉱物性のものから試みた。「最初に紙を染めてみたのは植物性染料で、様々な植物を煮込んでみました。例えば、キハダや山椒に墨を加えたものを配合してみましたが、思うような色は出ませんでした」。何度植物性染料で試しても、満足のいくものはできなかった。その時、彼女はふと、中東地域は砂漠が多く、オアシスが少ないことに思い至り、鉱物性染料に変えてみた。そうして何度も配合した結果、遂に配合比率を確定することができた。

紙の材料探しから染料の配合まで、徐さんは八カ月の時間を費やした。中でも、文字を守るために、蝉の羽のように薄い日本製の修復紙「典具帖紙」を使うことにしたので、コーラン経のページと貼り合わせる時、糊の水分で文字がぼやけないかが心配だった。そこで、水に濡らした晒し布を固く絞ってから、少しずつ「伸ばしたり、転がしたり、押さえつけたりする」動作を繰り返した。それは台湾図書館の図書病院、或いは台湾全土で初めて行われた修復技法であった。古書を修復する時、決まった方法があるわけではなく、古い感じを出すために、修復過程では絶えず新しい可能性を試す必要がある、と徐さんは言う。古書の修復は文化の継承における重要な作業であり、現在台湾にはまだ東洋と西洋の双方を教える書籍修復士の養成講座はないので、修復士が自発的に異なった領域の専門家に教えを請うしかない。

今回、数百年のコーラン経を修復した時、徐さんは特別に、書画を表装する技法を用いて修復した。「普段、修復する時、ページが重ね合わされる部分を三ミリ以内にすることで、視覚上の美観を保つことができます。これは書画を表装する時の道理と同じです。そこで私はコーラン経を書画に対する方法で修復することにし、コーラン経の一ページ一ページを書画のように扱いました」と彼女が言った。

古書が新しい材料に出会った時、「古いものの古さを残して修復する」ことは最高の境地と言える。徐さんが穏やかながらも堅持を貫き通したことで、数百年のコーラン経に芸術性が加わったのである。虫の駆除と整理、修復、表紙の作成など全ての過程で、徐さんはあたかも茨の道を進むように万難を克服し続けたが、実は内心、相当な苦労をした。

コーラン経の修復は手順を追って行われた。先ず古書を低酸素の除虫ボックスに一週間入れ、99・9%の濃度の窒素ガスを注入して、害虫を徹底的に除去した(写真1)。その後、表紙と中身を分離し、各ページにページ数を入れ、柔らかい刷毛で全ての異物を取り除いた(写真2)。そして、消しゴムで時計回りに円を描いて乾式清掃を施した(写真3)。(写真・大愛テレビ番組作成部門)

数百年のコーラン経との出会い

「二年間余り、その過程は本当に苦痛以外の何ものでもありませんでした。私は、丁寧に革製の表紙を剥がした瞬間、涙が出そうになりました。今思い出しても、涙が出そうになります。本当に苦しかったのです。いつも思うのですが、どうしてあのような物件を引き受けたのだろう、と。それは石を持って、自分の足に落とすようなもので、本来なら楽しい時間を過ごせたのに……。今、私は休暇を全部返上して、この経典に打ち込んでいます」。五百ページ余りのコーラン経の修復は彼女が思っていた以上に困難で、表紙を修復する時に、止めてしまおう、とさえ思ったことがある。しかし、次の瞬間、数百年前のコーラン経に出会った時の初心を思い出した。

二○二○年七月五日、モスリムの慈済ボランティアである胡光中(フゥ・グヮンズォン)さんは家の中にあった五百年余りの歴史を持つコーラン経筆写本を、仏教慈済慈善基金会の創設者である證厳法師に寄贈した。法師は、そのコーラン経をめくった時、紙が変色して脆くなっていて、虫までついていることに気づいた。そこで、修復する考えが頭をもたげ、胡さんと呉英美(ウー・インメイ)さんにも協力してもらって図書病院で修復してもらうことにした。

その時の法師の無私の大愛と宗教家としての心情は、徐さんに深い感銘を与えた。徐さんは仏教徒でもイスラム教徒でもないが、経典の書籍を尊重する心で修復作業を続けた。最初の頃、彼女は豚肉を食べるのをやめ、よくコーラン経と対話した。無意識のうちに、背中を押してくれる力を感じ、表紙を剥がすことを決意した。「実は最初、表紙は修復しなくてもよいと思っていました。というのも、表紙の損傷が激しく、皮革そのものが硬くなっていたからです。私は上人が長い間菜食していらっしゃることを知っていました。しかし、動物の皮を使わず、一般的なPU皮革を使ったら、元の感触を出すことはできません。上人が私たちを信頼し、専業を尊重してくれたことで、一層修復作業を進める力が出ました。とても感謝しています」と徐さんが言った。證厳法師の支持とコーラン経の導きで、徐さんはアメリカの最新技術を使って、「紙を使った」表紙の修復を進め、皮革の老化を遅らせることに成功した。新たに作られた表紙を古い表紙に糊付けすることで、コーラン経本来の様相が復元されたのである。

本来のような古い感じを出す
修復作業は煩雑である

透明で柔らかく上質な典具帖紙(てんぐちょうし)は、両面印刷や筆写に適しており、徐さんは特別に日本から高値で買い付けた(写真提供・大愛テレビ番組作成部門)

古書はページごとに色や紙質が微妙に異なるため、古書本来の雰囲気を出すためには、色の調合を試みる必要がある(写真1&2)。当時の中世と中東地域の特性を考慮した後、8カ月かけて色を試作した結果、鉱物で染めて自然乾燥させることにした。(写真3)。(写真提供 写真1・台湾図書館。その他・大愛テレビ番組作成部門)

修復作業では接着後の接着剤の水分で文字が汚れないように刷毛やピンセットなどの道具を使い、固く絞った晒し布で優しく押したり、転がしたり、押し付けたりしながら丁寧に作業を進めた。(写真提供 写真中・台湾図書館。その他・大愛テレビ番組作成部門)

500ページ余りに及ぶ《コーラン経》の筆写本。原本のページは殆ど損傷していたが、台湾図書病院のチームが3年近い時間をかけて修復した。任務が完了して静思精舎に送り返した時、台湾の古書籍修復技術の水準の高さが証明されたと同時に、宗教の垣根を超えた愛と尊重の情を目にすることができた。

コーラン経本の修復:本来の状態――古代コーラン経本の復元

大愛テレビ局が作成した《コーラン経本の修復:本来の状態――古代コーラン経本の復元》のドキュメンタリーが、第57回ヒューストン国際映画祭の宗教類動画制作で「シルバー賞」に輝いた。

古書の修復は文化の伝承

「フランスの有名な修復師でも、三十%以上損傷している書籍は修復しないことにしているそうですが、このコーラン経の損傷範囲は非常に広く、特別な重大疾患を抱えている病人のようなものです。殆ど一冊全体を修復しました。時間をかけて丁寧にケアし、各段階で細心の注意を払わなければなりません」。徐さんにとって、このコーラン経は彼女の患者のようなもので、毎日、中身のページや表紙の変化を観察しなければならなかった。特に修復の最終段階では、図書館に着くと、真っ先にコーラン経に挨拶に行った。「何故、その古書の修復にあれほど時間をかけたかというと、もちろん歴史的な意義があり、紙に価値があるからです。私たちの行いは正に文化の伝承なのです。もし今、丁寧に修復しなければ、未来の人はこの経典も紙も文字も目にすることはできません」と徐さんが言った。

この一冊の古書の修復に三年近い時間を費やした。効率を追求する今の時代で、修復師の手の器用さが証明され、紀元十五、六世紀の歴史の軌跡と奥深い文化を目にすることができた。台湾図書館の曹翠英(ザオ・ツイイン)館長によると、コーラン経はイスラム教のとても重要な経典で、それを元来の姿に近づけて修復したのである。台湾図書病院にとっても修復した最古の西洋古書の最初のケースであり、この事は歴史的に意義が大きく、専門職の能力が肯定された出来事でもあるのだ。

(経典雑誌三〇〇期より)

修復された経典は、徐美文さんが證厳法師に手渡した。「これからもコーラン経を尊重して参ります。この書籍は数百年の時を超えて存在した価値があり、私は大切にします」と法師が言った。(写真提供・慈済基金会)

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