苦楽を共にする人生で 自分の幸福を祈ってください
人生は苦ばかりと言いますが、お互いに関心を寄せ合いながら暮らしていれば幸福と言えます。自分自身を祝福しましょう。日… Read More »
善の念を結集し、広く法縁を結ぶ
自分を軽く見てはならず、人は誰でも仏性を有しており、人間(じんかん)菩薩を募れば、至る所が道場になります。善の念を… Read More »
助けられる人から助ける人へ 側にいてくれて嬉しい
病気によって貧困に陥った私たち家族は、曽て二年間にわたって外部からの援助を受けざるを得ない時期があった。しかし、そ… Read More »
マンナハイ国際学校は単に学校であるだけではない
トルコのマンナハイ国際学校は、シリア難民の子供を育むだけではなく、避難生活をしている彼らに学業を継続させ、また、シ… Read More »
世界は共善しなければならない失敗は許されない
慈済のベテランボランティア、曾慈慧(ヅン・ツーフエィ)さんは、慈済の国連SDGsにおける活動を推進してきたパイオニ… Read More »
持続可能な社会は貧困撲滅から
持続可能な社会というと真っ先に思い浮かぶのは環境保護だろう。しかし、腹が減っては環境保護どころではない。持続可能な… Read More »
慈済とSDGs—行動は早くに始まっている
国連の持続可能な開発目標(以下SDGs)は、この八年間、世界の各方面で人類生存の危機を解決する指針となって来た。そ… Read More »
善と悪の綱引き 迷いと悟りの間で
ホームシックになった人が、刑務所から出て間もないというのに、再び罪を犯して、刑務所に戻ってしまうのはなぜだろうか?… Read More »
世界に目を向ける
ジンバブエ—とても貴重な一口の浄水
子供たちは水たまりや池の水を直接、手ですくって飲んでいたが、雨が少なくて干ばつ… Read More »
フィリピン・ダバオ市 バナナが豊作の時
北ダバオ州の山間部にある部落の住民は、有機バナナの栽培による貧困支援プロジェクトに参加している。慈済が品種の選択か… Read More »
心を等しく豊かに導き、貧困を無くそう
持続可能という言葉が、世界中で流行っている。今世界の国や企業、民間団体は、取り組みや物作りにおいて、皆、国連の唱え… Read More »
明るい社会にする
慈善で社会を安定させ、医療で生命を守り、教育で希望をもたらし、人文で道徳を強固なものにすれば、社会が高度成長する時… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
今月の特集
證厳法師のお諭し
世界に目を向ける
台湾慈善
グローバル慈善
行脚の軌跡
八月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。