持続可能な社会は貧困撲滅から

持続可能な社会というと真っ先に思い浮かぶのは環境保護だろう。しかし、腹が減っては環境保護どころではない。持続可能な社会の第一歩は、貧困と飢餓の撲滅である。

国連の持続可能な開発目標(SDGs)では最初の項目に「貧困をなくそう」を挙げている。基本的な生活が満たされて初めて、正義や公平、安定した社会を語ることができるのだ。これは、慈善活動から出発した慈済が、一貫して力を入れてきたことでもある。

慈済の貧困救済モデルは、夫々の状況に応じた支援を提供し、精神的にサポートしている。写真は火事に遭った板橋地区の慈済支援世帯。後片付けに駆けつけたボランティアが廃棄物をバケツリレーで階下まで運んでいた。(撮影・蕭耀華)

五月のある土曜日、新北市板橋区の古いアパートの階段にはマスクと手袋を着けたボランティアが行列を作っていた。最上階で後片付けしていたボランティアが火事の残骸をシャベルやスコップでバケツに入れ、「釘があるから気をつけて!」と互いに注意を呼びかけながら、手から手へ、リレー式で階下まで運んでいた。

「彼が住んでいたのは屋上の建て増しの部屋ですが、火事で全焼してしまったので、ボランティアに呼びかけて後片付けの手伝いに来てもらいました」と慈済ボランティアの李瑾萍(リー・ジンピン)さんが説明した。

訪問ケアチームは一年余り前からこの家族を支援して来た。ケア対象の小学生の息子が、いつも汚れた服を着て、皮膚病に罹っていたことが先生の目に留まり、話を聞いて慈済に連絡して来たことがきっかけだった。三十代の夫婦には定職がなく、臨時雇いやアルバイトで生計を立てていた。家事に手が回らず、部屋の中は雑然としていて、二人の子供は夜の八時や九時になっても夕食を食べていないことがしばしばで、学校の授業にもついていけなかった。慈済ボランティアとソーシャルワーカーは家庭訪問してヒアリングを行った後、訪問ケアを始めた。中学生の長男を伴って家の中を片付け、毎週土曜日に二人の子供を補習クラスへ送り迎えした。

ボランティアのサポートで一家の生活は次第に軌道に乗り始めた。ところが、今年四月下旬に火事に見舞われたのである。幸い家族は無事だった。

「初めてこのようなケア活動に参加しました」と言った国軍志願兵で二十三歳の忠さんは、小学五年生の時に父親をがんで亡くしていた。当時、彼も弟もまだ小さく、母親のお腹の中には彼らの妹がいた。突然大黒柱を失った一家の暮らしは困窮したが、幸いにも政府と慈済などの慈善団体の支援で、ようやく逆境を乗り切ることができたのである。彼はこの日、少しでも力になれれば、と作業に加わったのだった。

同じく作業に参加した蔡鄭宝珠(ツァイ・ヅンバオヅゥー)さんは六十代だが、テキパキとしていた。二十年余り前、思わぬ災難で低所得世帯に陥った彼女は、今は社会に恩返しができるボランティアになった。

李さんは、過去に支援を受けた人が、今は「仲間」となり、一緒に人助けができるのを見て喜びを感じた。一歩一歩、地道に取り組んできた奉仕は無駄ではなかったのだ。

「私たちがサポートしている人たちは皆、唯一無二の存在です。根気強く、家族のように寄り添っていかなければなりません」。

「家族全員」に目を向ける

「貧困をなくそう」。これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)の第一項目である。二〇三〇年までに、現在一日一・二五ドル未満で生活する人々と定義されている「極貧層」を世界のあらゆる場所から無くすことを目指している。世界での貧困発生率は低下しているものの、所得水準の低い一部の国では、貧困層のうち政府の福祉支援を受けられるのは八%にも満たない。

貧困の原因は多岐に及び、複雑である。背景には社会構造上の問題があり、世代間連鎖が起きている。また、事故や病気をきっかけに困窮し、貧困と病の悪循環から抜け出せなくなるケースもある。今や先進国の仲間入りした台湾でも、衛生福利部の二〇二三年の統計によれば、低所得世帯及び中低所得世帯は合わせて約二十四万もあり、五十四万人を超えている。更には、条件に当てはまらないため、政府の支援を受けられない「見えない貧困」世帯も少なくない。そのような家庭は民間の支援が頼みだ。

慈済基金会の統計によると、この十年間で訪問ケア世帯や経済的支給を行う長期支援世帯を含めると、台湾全土で毎年二万七千世帯以上を支援してきた。台北や新北市のアパートから山奥や離島の隅々まで、至る所に貧困と病に苦しむ人や突然の災難に見舞われた人、或いは身寄りのないお年寄りなどがおり、報告を受けて慈済のケア対象となっている。毎月の経済給付、課題の解決、心理的サポートなどによって直ぐに病や貧困から抜け出せるケースもあるが、十年や二十年と長期にわたるケースもある。

慈済基金会慈善志業発展処東区慈善室の邱妙儒(チュウ・ミァオル)主任は、慈済五十五周年のインタビューで、慈済の訪問ケアの特色について話してくれた。

「多くのNPOや慈善団体が特定の条件に当てはまる人を支援対象としているのに対し、慈済の最大の特色は、ボランティアによる訪問ケアチームが、条件を限定せずに『困難な状況』にある人たちを広くサポートしていることです」。

ボランティアは家庭訪問の際、報告を受けた本人だけでなく、家族構成や家族一人ひとりのニーズを踏まえ、どのような支援が可能かを考える。訪問ケアチームは「一家全体」に対してアセスメントを行い、最低でも月に一回は訪問する。そこで初めて、教育、医療、突発的な事態などに対して、実際のニーズを把握し、適切な支援を行うことができるのである。

一九六六年に「仏教克難慈済功徳会」が設立された当初、證厳法師は「定期的にケア世帯を訪問し、現状に応じて援助内容を調整すると共に、寄り添うことで友情を深め、心の支えとなる」という訪問ケアの原則を定めた。

慈済基金会慈善志業発展処の呂芳川(リュ・フォンツヮン)主任はこう話す。

「私たちの支援は人全体、家庭全体、全過程の支援であり、如何にすれば、家族一人ひとりを最大限にサポートできるかを考え、その方向で進めるのです。誰でも、どの家庭でも肯定と励ましがあれば、人生を逆転させ、能力を発揮することができるのです。そのような事例は慈済にはたくさんあります」。

彼は基隆の案件を例に挙げた。夫婦は二人とも聴覚と四肢に障害があり、自立した生活が困難だった。地元の慈済人は報告を受けて彼らを訪問した後、経済的援助を行っただけでなく、自力で家を片付け、ペンキを塗り直すよう励ました。夫はボランティアに励まされ、木工技術を活かして、慈済チームと共に、他のケア世帯の家屋を修繕しただけでなく、はるばる慈済内湖志業パークに出向いてエコ毛布作りにも参加した。

草の根から始まった寄り添いケアモデルと、「済貧教富(貧しい人が人助けで心を豊かにする)」教えで支援を受ける側の自立を促し、向上心と善に向かう気持ちを励ます方法は、現代社会で重視されているエンパワーメントの理念と図らずも一致する。本人に立ち上がる意志があって初めて、貧困から抜け出すチャンスが生まれるのである。

年齢層によって貧困の原因は様々だ。貧困解決には政策的措置と共に、民間の力による迅速な支援も必要である。(撮影・黄筱哲)

消極的給付より積極的支援

「エンパワーメントの最終ゴールは、制度や社会の改革によって貧困をなくすことです。そして、エンパワーメントの第一歩は、他人に依存しないことです」。

社会福祉学者の万育維(ワン・ユゥウェイ)さんは、エンパワーメントの要点を説明し、今の台湾の社会福祉における主な問題点を指摘した。政府や民間団体の多くは金銭的な「消極的支援」にとどまり、「積極的支援」への取り組みが不足しており、「消極的支援」によって被支援者は知らず知らずのうちに長期的に給付金に依存し、現状を変えることを難しくしてしまっているのだという。

「積極的な支援とは、第一に就業機会を作り、働く能力のある人には給付の代わりに働いて収入を得る道を与えること、第二は資本の蓄積です。例えば、被支援者が働いて一万元の収入を得たとします。それでも、貧困状態であることに変わりはありません。そこで、政府が奨励金を出し、働いて得たお金で資産を形成してもらうのです。そうすれば、給付金頼みの生活から抜け出せるのです」。

貧困と教育はセットで考えるべきで、そうしなければ、人としての尊厳を根こそぎ奪ってしまうと万さんは指摘する。貧困をなくす支援は、お金を支給すれば一番手っ取り早いと思うかもしれないが、実際にはよい方法とは言えない。積極的な支援がより重要なのだという。慈済はこの部分に相当の努力を傾けている。

台南地区のベテランボランティア、頼秀鸞(ライ・シュウルァン)さんによれば、支援される人に家を出て善行をするよう導くのは、実はとても容易なことではなく、根気強く励まし続けなければならない。しかし、彼らが外に出て人に奉仕するようになれば、心身ともに健康が改善されるという。

「実際のところ、ケア世帯や支援世帯の中には、体力や年齢の問題から働き口が見つからず、『世俗の富』を稼げない人もいます。しかし、慈済リサイクルセンターでボランティアをすることはできます。環境保護活動をすることは『功徳』を稼ぐことですから」と頼さんは妙を得た例えを言った。

慈済は、台湾全土の殆どの町に環境教育センターと福祉用具プラットフォーム、地域ケアサポート拠点など公益活動の場を設けており、被支援者をボランティアに連れて行き、人助けをしている。実質的な金銭収入はなくても、社会や地球生態への貢献は、有給の仕事に劣らない。

ボランティアは、支援世帯の子どもに対しても、家庭環境を理由に進学を諦めないよう励ましている。きちんと教育を受けてこそ、人生を反転させるチャンスが生まれるからだ。呂主任によると、慈済が毎年支援している二万七千世帯余りには、小中学校から大学院までの子どもが二万人余りいる。安定した生活の支援の他、就学補助、新芽奨学金、補習クラスなどのサポートを行っているという。

それらの家庭の子どもの中には、成績が優秀で、逆境にも負けず、トップレベルの大学に合格し、人生を反転させるための第一歩を踏み出した者も少なくない。今年度の「総統教育賞」を受賞した五十六人の学生のうち、八人が慈済の支援家庭の出身だった。

定期的に訪れる慈済ボランティアは、家族のように身近な存在だ。生活上の問題解決を手助けする他、寄り添う過程で心の持ち方を変えるよう励ましている。(撮影・黄筱哲)

弱者世帯の支援モデルを、各国の慈済ボランティアは実践している。貧困の救済だけでなく、多様な支援を行っている。マレーシアのサバ州にある貧しい無国籍者の村では、慈済人医会が家を訪問して衛生教育を行っている。(撮影・林思源)

情緒不安定状態の解決が最も難しい

台南で十八年にわたり訪問ケアに携わってきたボランティアの頼さんは、地域のリソースが充実し、支援の厚みが増したことをはっきりと感じている。例えば、慈済は福祉用具プラットフォームや家屋修繕チームの設立により、経済的、物質的により充実した支援を提供できるようになった。

しかし、社会環境、経済状況、人口構成、人々の価値観の変化と共に、直面する課題はより多く、複雑になってきた。例えば、多くの若者は資産運用が不得手で貯蓄がないため、事故や重病などに見舞われると途端に困窮し、緊急支援の対象者となってしまう。また、若者や働き盛り世代がドラッグに溺れ、家族が巻き添えになる事例も少なくない。

「身障者、認知症、一人暮らしの高齢者、老夫婦世帯なども増えています。如何に彼らを支援し、彼らの家族を支えるかが課題になっています」。

今、慈済の支援世帯は十年前とは比較にならないほど多様で複雑になっており、特にこの五年間は想像を超えるほど大きく変化していると頼さんは話す。経済的な援助よりもむしろ心に寄り添うことの方が重要になってきているという。

「寄り添いケアをする時、訪問ボランティアはより多くの知識を備え、より多くの研修を受け、自己の能力を向上させなければ、対象家庭をサポートすることはできません」と頼さんは説明した。

実際のケアケースを例にとると、寄り添い支援の訪問をした時に、長期間にわたって家から出られない「引きこもり」ケースに出会うこともある。このことは、現代社会においては経済的支援にとどまらず、精神的支援にも力を入れなければならないことを示している。慈済基金会の直近数年間の統計によると、台湾で定期的に寄り添い支援を行っている「訪問ケア」の世帯数は、経済的支給を行っている長期援助世帯よりも多くなっている。

貧困の世代間連鎖を断ち切るため、マレーシアのサバ州にある無国籍の子どものための学習センターを設立。ボランティアが家庭訪問をして、子どもたちを元気づけていた。(撮影・林家如)

「教富済貧」から「済貧教富」へ

定期訪問や支援の内容は柔軟に調整される。目標は支援家庭に寄り添い、経済的自立を促すことである。慈済がまだ貧しかった時代、既に貧困解消の行動を取り始めていた。慈善について、法師は貧富の区別を超える考え方を示していた。

「裕福な人には世俗の富で苦しむ人を助ける力があり、社会福祉に貢献すると共に、自分を幸福にするよう教えるのです。これが『教富済貧』ということです。また、貧しい人に、自分にも人を助ける力があることに気づいてもらうのです。たとえ一滴の水だけであっても、大きな水槽に注げば、その中の水と一緒になって多くの人に飲ませることができます。これが『済貧教富(貧しい人が人助けで心を豊かにする)』ということなのです」。

六十年近くにわたり、ボランティアはこのような考え方と支援モデルを各国に広め、実践してきた。

アフリカでは、貧しい現地ボランティアが、自分たちよりも支援を必要としているお年寄りや弱者を訪問ケアしている。マレーシアとシンガポールのボランティアは家庭や仕事から離れて、遥か遠く「仏陀の故郷」であるネパールとインドに交替で駐在し、現地の最も貧しい住民を支援している。砂嵐の舞う中東の砂漠では、ヨルダンのボランティアが定期的に難民キャンプや貧困者テント区域を訪れ、医療や教育などの支援を行っている。

学問と実務の観点からすれば、人間社会が存在し続ける限り、貧困問題はなくならないと言える。しかし、貧困はなくならなくても、貧困による物資の欠乏や精神的な萎縮、尊厳の低下などの問題は乗り越えることができると、慈済の慈善志業の経験は物語っている。

貧困をなくすためには、お金や物、医療だけでなく、愛と尊重、励ましも必要なのだ。人は誰でも善の心と善を行う力を持っていると信じている。支援を受ける人も、たとえ物質的には恵まれなくても、他人のために尽くすことで自分の価値を肯定し、心の豊かさを手に入れることができるのだ。

慈済基金会の顔博文(イェン・ボーウェン)CEOはこう話を締めくくった。

「證厳法師は与える人と与えられる人双方が、同じように慈悲と感謝を感じ取ることを願っています。一方だけではなく双方が、です。これが重要であり、私たちが慈善を行う精神でもあるのです」。

(慈済月刊六九二期より)

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