明るい社会にする

慈善で社会を安定させ、医療で生命を守り、
教育で希望をもたらし、
人文で道徳を強固なものにすれば、
社会が高度成長する時、混乱を招くことはない。

学ぶ者が覚者に近づく

五月三十日、教育志策会で二校の合併の話題になると、上人は、「慈済の学校は元々一体です。当時のニーズに応えて慈済看護学校を設立したのであり、その後に医学院ができ、発展するにつれ慈済科技大学と慈済大学ができたのです。今は時代の要求に沿って統合する必要があり、教育の力を結集し、人文精神を一層高めなければなりません」と言いました。

上人は、「学」と「覚」の間には菩薩道があることに触れ、身で以て実践し、地に足をつけて歩んで初めて、徐々に「学ぶ者」から「覚者」に近づくことができるのだ、と言いました。「学生の本分は学ぶことで、教師の責任は教育であり、彼らを正しい方向に導き、立志して社会を利するようになれば、それが菩薩道を歩むことなのです」。

「教師は学生の心が明るくなるよう努め、広い心を持って美しい環境の中で生活させるべきです。心の環境が整えば、彼らが成長し、社会に出て人々と交流する時、真に社会のために種を蒔き、道を整えるようになり、彼らも次の世代に緑の生い茂った大道を残すことができるのです」。

上人はこう言いました、「慈済の学校は、建物の外観や校内の環境から教育の品質に至るまで、仏教精神に基づいているので、私は安心して見ていられます。志業を護持している全ての慈済人と、愛を奉仕している大衆に背いていないと思います」と言いました。

「生命は、一日が過ぎれば一日短くなりますが、私たちが累積した志業は、日増しに成長しています。校長先生や教師、慈済ボランティアの長年の奉仕に感謝しています。また、学生たちも菩薩であり、真面目に勉強し、教師からの教育を進んで受け入れ、師を尊敬して道を重んじる高い品性と人徳を有していることにも感謝しています」。

善で国を定めれば、最も美しい世界になる

五月三十一日、インドネシア慈済人と四大志業体の管理者たちが台湾に帰ってきました。インドネシア慈済人の足跡と心温まる話を振り返ると共に、四大志業の現況と推進成果の報告を受けました。

上人はこう開示しました。「一九九八年を振り返ると、インドネシアは金融危機の影響で経済が低迷し、人々の生活は疲弊していました。その上、現地の人と華僑の間に衝突が起き、社会は不安に陥りました。あれから二十六年が過ぎ、当該国は大きく変わり、現地の実業家たちが慈済に投入してからは、慈善活動の力が大きく発揮され、政府や軍と協力して貧困救済や災害支援を行っており、行動も素早く、全面的なケアをしています。僅か二十数年の間に、現地の慈済人は、慈善・医療・教育・人文の四大志業の拠点を完成させました。中でも、インドネシア大愛テレビ局は十七年前に開設され、メディアを通して愛と善による大愛の清流を広め、絶えず人心を浄化する良能を発揮し続けてきました」。

「インドネシア慈済人がこれほど早く四大志業を完成させ、それも一歩一歩地に足を着けて前進してきたことに、私は心から敬服し、感謝しています。黃奕聰(ホワン・イーツォン)老居士が精舍に来た年のことを覚えています。とても誠意のある方でした。大きな事業を行っているにも関わらず、尊大な振る舞いはなく、親しみがあって素朴な人でした。そして、インドネシア慈済の志業を大きく後押しし、華僑系の企業家たちを慈済に迎え入れました」。

「そして、アンケ川を忘れてはいけません。河川は当時とても汚く、違法建築でいっぱいでしたが、『五つの面から同時に』整備した結果、今は以前とは全く違ったものになっています。それはあなたたちの奉仕によるもので、この時代に、社会に対してどれだけ大きな貢献をしたかが分かります。現地の企業家たちが力を合わせ、社会の安定と経済発展に尽くしたことで、真の意味で安定した国になり、明るい社会になったのです」。

上人は、皆がその相互協力の精神を忘れず、四大志業を守って行くよう期待しています。「慈善は社会の安定を助け、医療は生命を守り、教育は人間(じんかん)に希望をもたらし、人文は仁、義、礼、智、信という人格的特性、即ち道徳性を揺るぎないものにします。そうすれば、社会が高度成長下にあっても、乱れることがないのです」。

また上人は、「これまであれほどの成功を収め、地に足をつけて、的確な方向を進んで来たのですから、これからも歩み続ければ、インドネシアの未来は計り知れないものになるでしょう。しかし、『善から興す』という言葉のように、その善良な心を忘れてはなりません。世界を制覇するのではなく、善を世界に広めるのです。あらゆる国が善から始まり、善で国を定めれば、最も美しい、素晴らしい世界になるでしょう。

(慈済月刊六九二期より)

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