食卓の新たな主役はオクラ

二〇二三年の夏、静思精舍の野菜畑は、いつもと違っていた。新しく植えたオクラが、一面に生い茂る緑の葉の上に浮かぶように淡い黄色の花をつけていて、遠くから人目を引いた。このオクラ畑を見て、数年前のある夏の出来事を思い出した。

毎日精舍で使う野菜はほとんど自分たちで栽培したものだが、あの年は颱風が頻繁に来襲し、農作物の成長と収穫に大きく影響した。また、台風が過ぎた後は、野菜の価格が倍に跳ね上がり、精舍で新たに植えた野菜は食事の需要に追いつけなかったが、幸いなことにオクラは収穫があった。オクラは食物繊維、ミネラル、カルシウム及び多くのビタミンを豊富に含んでおり、ネバネバした成分は胃にとても良い。オクラは元来、精舎の献立の中では副菜に使われていたが、過渡期には、ほぼ毎日食卓の「主役」になった。おかげで私たちは、あの夏を乗り越えた。

二〇二三年十月、台風十一号(ハイクイ)が花蓮に上陸し、精舍の菜園が大きな影響を受けた。それでも、一面のオクラは依然として揺るぎなくそそり立ち、風雨が過ぎた後は一層すくすくと成長し、メニュ―を豊富にしてくれた。「苗から成長して収穫するまで、既に三つの台風に遭遇しました」。この時オクラ菜園を管理していた徳勇(ドーヨン)師父がこう言った。

「修行者はこのようにあるべきです。社会の試練に堪えてこそ、天と地の間にそそり立つことができるのです」。

強い日差しの下でオクラを採取していた徳勇師父は、感謝の気持ちを込めて語った。

「一日おきに、大きな袋がいっぱいになるほど採れます。私も度量を大きくして幸福を分け合い、皆さんに喜んで食べてもらいたいのです。未来の仏に供養することは、私にとっても喜びなのです」。

オクラは、成長して収穫が終わるとその下の葉っぱも一緒に切らなければならないが、これはなぜだろう。

「捨ててこそ得るものがあるのです。この葉は既に役目を終えていますが、もし残しておくと、他の枝葉の養分を吸い取り、成長中のオクラの実が栄養不足になってしまいます」。徳勇師父は、これがすなわち、證厳法師が教えてくれた「第六識を妙観察智に変える」ということだと言った。栽培するうちに経験を得て、残すべきは何か、捨てるべきは何か、分かるのである。

(慈済月刊六八六期より)

二〇二三年の夏、静思精舍の野菜畑は、いつもと違っていた。新しく植えたオクラが、一面に生い茂る緑の葉の上に浮かぶように淡い黄色の花をつけていて、遠くから人目を引いた。このオクラ畑を見て、数年前のある夏の出来事を思い出した。

毎日精舍で使う野菜はほとんど自分たちで栽培したものだが、あの年は颱風が頻繁に来襲し、農作物の成長と収穫に大きく影響した。また、台風が過ぎた後は、野菜の価格が倍に跳ね上がり、精舍で新たに植えた野菜は食事の需要に追いつけなかったが、幸いなことにオクラは収穫があった。オクラは食物繊維、ミネラル、カルシウム及び多くのビタミンを豊富に含んでおり、ネバネバした成分は胃にとても良い。オクラは元来、精舎の献立の中では副菜に使われていたが、過渡期には、ほぼ毎日食卓の「主役」になった。おかげで私たちは、あの夏を乗り越えた。

二〇二三年十月、台風十一号(ハイクイ)が花蓮に上陸し、精舍の菜園が大きな影響を受けた。それでも、一面のオクラは依然として揺るぎなくそそり立ち、風雨が過ぎた後は一層すくすくと成長し、メニュ―を豊富にしてくれた。「苗から成長して収穫するまで、既に三つの台風に遭遇しました」。この時オクラ菜園を管理していた徳勇(ドーヨン)師父がこう言った。

「修行者はこのようにあるべきです。社会の試練に堪えてこそ、天と地の間にそそり立つことができるのです」。

強い日差しの下でオクラを採取していた徳勇師父は、感謝の気持ちを込めて語った。

「一日おきに、大きな袋がいっぱいになるほど採れます。私も度量を大きくして幸福を分け合い、皆さんに喜んで食べてもらいたいのです。未来の仏に供養することは、私にとっても喜びなのです」。

オクラは、成長して収穫が終わるとその下の葉っぱも一緒に切らなければならないが、これはなぜだろう。

「捨ててこそ得るものがあるのです。この葉は既に役目を終えていますが、もし残しておくと、他の枝葉の養分を吸い取り、成長中のオクラの実が栄養不足になってしまいます」。徳勇師父は、これがすなわち、證厳法師が教えてくれた「第六識を妙観察智に変える」ということだと言った。栽培するうちに経験を得て、残すべきは何か、捨てるべきは何か、分かるのである。

(慈済月刊六八六期より)

關鍵字

慈済はこうやって発展してきた

この世を庇護する大愛エネルギーは、
小さくて僅かな力から生まれ、
目に見え、聞こえる範囲から始まった。

専用口座募金で約束を守る

慈善基金会顧問の謝景貴(シェ・ジングェイ)師兄と宗教所職員は、元日に起きた能登半島地震被災地への慈善配付について、上人に指示を仰ぎました。

「慈済人は被災地に行って奉仕し、また戻って来ると人々に約束しました。ですから、約束は守らなければいけません。信用が一番です。四月三日に花蓮で地震が発生しましたが、石川県の方も関心と祝福の言葉を伝えて来ました。慈済人は感謝の気持ちで、『今回の花蓮地震は大きなものでしたが、大方無事で、感謝に値するものです。ですから心配なさらないでください』と返事をしてください。また、『慈済は以前から用途別に寄付金を募って使用しています。台湾国内と海外の災害支援は別々になっており、全て寄付する人の意向に従って、一元残らずそれぞれの項目に入るようになっています。ですから、二つ以上の項目で互いに影響し合うことはなく、当初の計画通りの日程で配付活動をすることができるのです』と伝えてください」。

慈済人は、実際に能登半島の被災地に行って炊き出しを行い、時間をかけて住民と交流したことで、弱者の生活がどんなに大変かが分かりました。上人は特に、一人暮らしのお年寄りや老夫婦世帯に対して、家屋が損壊すれば、もう再建する余力はないのだから、と関心を寄せて言いました。

「高齢の被災者に対して、慈済人は相手の身になって考え、台湾での支援と同じように、『肌で感じ取ることができる』経済的な支援をしなければいけません」。

景貴師兄によると、能登半島地震の甚大被災地区に位置する穴水病院では、花蓮で地震が起きたことを知ると、台湾に恩返しするために、自主的に募金活動を始めました。能登の人々は、自分たちの家や田畑が酷く損壊していても、真っ先に長い間の貯金でいっぱいになった貯金箱や受け取ったばかりの補助金を持ち出して寄付し、台湾を祝福すると同時に、頑張って欲しい気持ちを表したそうです。そのほか、台湾に支社がある日本企業も寄付を行い、日本のコンビニチェーンは台湾の地震のための募金活動をしました。

上人はこう言いました。「トルコの地震では、慈済が支援した被災世帯も慈済の『愛を募る』募金活動に呼応し、持っていた僅かなお金を寄付していました。慈済人はその貴重な好意を功徳の海に入れました。その行いは大衆に布施する機会を与えたことを意味します。慈済は被災者や苦しんでいる人が最も助けを必要としている時に支援し、彼らは慈済の「竹筒歳月」の話とその意義を聞いて恩返しをし、一緒にこの世の大福田を耕そうとしています」。

「寄付は奉仕だと言われますが、実は福田を作る行為であり、『福の気』を集めているのです。多くの人が奉仕すればするほど、その多少に関わらず、真心で人助けする心さえあれば、『善の気』を結集することができるのです。『善の気』が濃いほど、人間(じんかん)は平穏になります。私たちは発心して寄付してくれた人々や企業、団体に対して、心から感謝の意を表すことができます。人と人の間は親切で善の交流と助け合いがなければならず、丁重に見える態度で以て距離を取ってはいけません。災害が発生すれば、片方が奉仕し、もう片方が受け取って、心から尽くすのです」。

誰の心にもある愛の祝福を募る

宜蘭の栄誉董事(略して栄董)チームが精舎に帰って来て、花蓮地震の災害支援に力を添えたい、と言いました。上人は、「災害が発生してから愛の募金活動をするのは、自然災害が人類に対する大いなる教育であり、この世は無常で、国土は脆い、という道理を示していることを大衆に伝えるためです」と言いました。

「仏陀は成道してから衆生に説法をしました。初めに苦、空、無常を説いたのは、最も真実を表している道理だからです。皆さんは常々、私が無常と言うのを聞いて、一つの名詞に過ぎないと思っているかもしれませんが、今、体得できたのではないかと思います。強い地震は突然襲って来ます。地面が揺れましたが、何の予兆もありませんでした。マグニチュード七・二の強い地震でも、私たちはこうして平穏で居られることに感謝しなければなりません。多くの仏教徒は仏や菩薩に感謝しますが、その実、私たちは衆生の『福』に感謝してこそ、悪業を転じて苦しみを軽く受け取ることができるのです」。

「花蓮の慈済人が地震発生後、直ちに行動に移し、多くの地点に奉仕拠点を設け、避難した住民のニーズに沿って日常生活の物資を提供したり、緊急支援金を配付したりしました。今でも多くの人は、家が傾いたり、損傷が激しいために帰れなくなったりしています。慈済がすべきことは、積極的に行政機関と連携して、住民が落ち着いた生活をするために、民間団体がどのようにして被災住民の生活に協力できるかを理解することです。ですから、今、慈済人は募金集めをするだけではなく、最も重要なのは、人の力、心にある愛、そして情を募ることです。つまり、善意の人であり、一人ひとりの無私の大愛を募るのです。それが「菩薩を募る」ということなのです。呼応してくれる人が多く、人間(じんかん)菩薩が増え、愛の力が大きくなれば、助けを必要としている人に奉仕できるのです」。

上人は、師兄や師姐たちが機会を逃さず、地震による無常という教育を大衆に示すことで、人心の愛を啓発していくことに期待しています。日々の積み重ねである「竹筒歳月」という方法を用いて、人々が生活に影響しない程度に、日々人助けの善意を起こすよう呼びかけてください。少しずつ続けて愛の力を貯めるという敬虔な心と行動が即ち、愛の祝福なのです。

(慈済月刊六九一期より)

この世を庇護する大愛エネルギーは、
小さくて僅かな力から生まれ、
目に見え、聞こえる範囲から始まった。

専用口座募金で約束を守る

慈善基金会顧問の謝景貴(シェ・ジングェイ)師兄と宗教所職員は、元日に起きた能登半島地震被災地への慈善配付について、上人に指示を仰ぎました。

「慈済人は被災地に行って奉仕し、また戻って来ると人々に約束しました。ですから、約束は守らなければいけません。信用が一番です。四月三日に花蓮で地震が発生しましたが、石川県の方も関心と祝福の言葉を伝えて来ました。慈済人は感謝の気持ちで、『今回の花蓮地震は大きなものでしたが、大方無事で、感謝に値するものです。ですから心配なさらないでください』と返事をしてください。また、『慈済は以前から用途別に寄付金を募って使用しています。台湾国内と海外の災害支援は別々になっており、全て寄付する人の意向に従って、一元残らずそれぞれの項目に入るようになっています。ですから、二つ以上の項目で互いに影響し合うことはなく、当初の計画通りの日程で配付活動をすることができるのです』と伝えてください」。

慈済人は、実際に能登半島の被災地に行って炊き出しを行い、時間をかけて住民と交流したことで、弱者の生活がどんなに大変かが分かりました。上人は特に、一人暮らしのお年寄りや老夫婦世帯に対して、家屋が損壊すれば、もう再建する余力はないのだから、と関心を寄せて言いました。

「高齢の被災者に対して、慈済人は相手の身になって考え、台湾での支援と同じように、『肌で感じ取ることができる』経済的な支援をしなければいけません」。

景貴師兄によると、能登半島地震の甚大被災地区に位置する穴水病院では、花蓮で地震が起きたことを知ると、台湾に恩返しするために、自主的に募金活動を始めました。能登の人々は、自分たちの家や田畑が酷く損壊していても、真っ先に長い間の貯金でいっぱいになった貯金箱や受け取ったばかりの補助金を持ち出して寄付し、台湾を祝福すると同時に、頑張って欲しい気持ちを表したそうです。そのほか、台湾に支社がある日本企業も寄付を行い、日本のコンビニチェーンは台湾の地震のための募金活動をしました。

上人はこう言いました。「トルコの地震では、慈済が支援した被災世帯も慈済の『愛を募る』募金活動に呼応し、持っていた僅かなお金を寄付していました。慈済人はその貴重な好意を功徳の海に入れました。その行いは大衆に布施する機会を与えたことを意味します。慈済は被災者や苦しんでいる人が最も助けを必要としている時に支援し、彼らは慈済の「竹筒歳月」の話とその意義を聞いて恩返しをし、一緒にこの世の大福田を耕そうとしています」。

「寄付は奉仕だと言われますが、実は福田を作る行為であり、『福の気』を集めているのです。多くの人が奉仕すればするほど、その多少に関わらず、真心で人助けする心さえあれば、『善の気』を結集することができるのです。『善の気』が濃いほど、人間(じんかん)は平穏になります。私たちは発心して寄付してくれた人々や企業、団体に対して、心から感謝の意を表すことができます。人と人の間は親切で善の交流と助け合いがなければならず、丁重に見える態度で以て距離を取ってはいけません。災害が発生すれば、片方が奉仕し、もう片方が受け取って、心から尽くすのです」。

誰の心にもある愛の祝福を募る

宜蘭の栄誉董事(略して栄董)チームが精舎に帰って来て、花蓮地震の災害支援に力を添えたい、と言いました。上人は、「災害が発生してから愛の募金活動をするのは、自然災害が人類に対する大いなる教育であり、この世は無常で、国土は脆い、という道理を示していることを大衆に伝えるためです」と言いました。

「仏陀は成道してから衆生に説法をしました。初めに苦、空、無常を説いたのは、最も真実を表している道理だからです。皆さんは常々、私が無常と言うのを聞いて、一つの名詞に過ぎないと思っているかもしれませんが、今、体得できたのではないかと思います。強い地震は突然襲って来ます。地面が揺れましたが、何の予兆もありませんでした。マグニチュード七・二の強い地震でも、私たちはこうして平穏で居られることに感謝しなければなりません。多くの仏教徒は仏や菩薩に感謝しますが、その実、私たちは衆生の『福』に感謝してこそ、悪業を転じて苦しみを軽く受け取ることができるのです」。

「花蓮の慈済人が地震発生後、直ちに行動に移し、多くの地点に奉仕拠点を設け、避難した住民のニーズに沿って日常生活の物資を提供したり、緊急支援金を配付したりしました。今でも多くの人は、家が傾いたり、損傷が激しいために帰れなくなったりしています。慈済がすべきことは、積極的に行政機関と連携して、住民が落ち着いた生活をするために、民間団体がどのようにして被災住民の生活に協力できるかを理解することです。ですから、今、慈済人は募金集めをするだけではなく、最も重要なのは、人の力、心にある愛、そして情を募ることです。つまり、善意の人であり、一人ひとりの無私の大愛を募るのです。それが「菩薩を募る」ということなのです。呼応してくれる人が多く、人間(じんかん)菩薩が増え、愛の力が大きくなれば、助けを必要としている人に奉仕できるのです」。

上人は、師兄や師姐たちが機会を逃さず、地震による無常という教育を大衆に示すことで、人心の愛を啓発していくことに期待しています。日々の積み重ねである「竹筒歳月」という方法を用いて、人々が生活に影響しない程度に、日々人助けの善意を起こすよう呼びかけてください。少しずつ続けて愛の力を貯めるという敬虔な心と行動が即ち、愛の祝福なのです。

(慈済月刊六九一期より)

關鍵字

各クラスの食べ残しは120グラム

台南市私立慈済高校小学部の一日あたりの給食の食べ残しは、三年前の三十五キロから今では三キロにまで減り、平均すると一クラス僅か百二十グラムである。

六百人余りの小学生はいかにして成し遂げたのか?

小学部の教室で、生徒は順番に給食を取り、給食トレーにお椀を載せることで、整然とした盛り付けになり、色や香りや味を引き出していた。

米粒も野菜もスープも、苦労して得たもので、ゆっくり噛んで味わい、天下の衆生の恩に感謝しましょう」。給食の時間になると、台南市私立慈済高校小学部から「感謝の歌」が聞こえてくる。福を惜しみ、食を惜しむ考え方は、日々の繰り返しによって潜在意識化し、多くのクラスでは食べ残しゼロ運動で、「お皿を空にする」目標を達成している。

台南市私立慈済高校小学部教頭の顔秀雯(イェン・シュウウェン)さんが、二〇二一年に始まった「お皿を空にする(食べ残しゼロ)」活動の由来を説明した。食べ残しを改善の目標にした理由は、生徒たちがセントラルキッチンを参観した際に、一回の給食で、六百人余りの生徒が作り出す食べ残しの量を軽んじてはならないことを実感したからだ。

当時の食べ残し量はどれくらいだったのか?顔さんは詳細に記録を残していた。同校小学部で出る食べ残し量は、一日で三十五キロであった。他の同程度規模の学校と比較すると多くはなかったが、「一学期に百日の登校日があると計算すると、三千五百キロ、つまり三・五トンの食べ残しが出ることになるのです」。

この事は顔さんを驚愕させ、「先ず食べ物の背景にある生産や輸送から出るカーボンフットプリントの問題を除外しても、食糧の生産につぎ込んだお金と農民の苦労を考え、更に世界で飢えている人口があまりにも多すぎるのに、私たちは食べ物を浪費していたのです!そこで皆で食べ物を残さない運動から着手しました」。

それぞれの年齢のニーズに沿って、出席人数に合わせた配合で、給食の食べ残しを減らすと同時に(写真1)、生徒の日々の食のバランスを更によくしている(写真2)。

好き嫌いの組み合わせ

環境部の統計によると、台湾のこの十年間に家庭から出た生ゴミの回収量は、一人あたり年平均で二十四キロに達した。台湾全土の五十万トン余りの生ゴミに、生産と販売の過程で出た規格外品や売れ残りにより廃棄された物を加えると、一年間の食品ロスの総量は百万トン以上になる!

三年前、顔さんは生徒を連れて、環境部とアメリカ環境保護庁が共同で行った「台米エコ・キャンパス」(US-Taiwan Eco-Campus)プロジェクトに参加した。その主旨は、生徒が自主的に様々な環境問題を解決するようにと期待したもので、その内の一項目が「サステナブルフード」(持続可能な食)である。「私たちは学校のセントラルキッチンで栄養士がどのように給食の献立を作っているのかを聞き、残った食べ物の処理状況を観察して、初めて分かったのです!わあ!生ゴミが本当に少なくない!」。

台米エコ・キャンパスプロジェクトのサステナブルフードチームに参加した生徒は、インターネットで資料を集め、三人寄れば文殊の知恵で、最後は「光盤」(空の皿)というプロジェクトネームに決定した。校内で食べ残し削減を宣伝し、教師や生徒に食べ物を浪費せず、捨てる食べ残しを極力減らすよう呼びかけた。同校生たちは特別に、「お皿を空にする大使」の賞状を作成し、着実に食べ残しゼロを実践した優秀クラスを奨励した。

第一回「お皿を空にする」運動を推進した小学生のメンバーで、今では中学二年生になった魏靖軒(ウェイ・ジンシュェン)さんによれば、小学生は計量と記録に不慣れなので、この活動には教師と生徒が一緒に参加し、横で教師がサポートした。

小学部の教師と生徒が取り組みを始めたのみならず、セントラルキッチンを請け負う業者も協力し、小学生が発起したこの運動を正面から捉え、各クラスの計量測定を手助けするだけでなく、クラス毎の毎日の人数の変化に合わせて、おかずの量も調整した。

例えばコロナ禍の間、生徒は学校に登校することができなかったため、給食を食べる人が減り、担任教師はセントラルキッチンに主食とおかずの量を減らすよう知らせた。生徒たちも互いに、取った分のご飯とおかずは全部食べるよう呼びかけた。仮に給食用容器に残り物があれば、皆で一口ずつ分け、捨てるものがないようにして、クラスの名誉を保った。

その他、ベテラン栄養士の方でも、どの料理が生徒に比較的人気がないか等、献立を考える時に工夫して、細心の注意を払っている。栄養士の葉佳紋(イェ・ジャウェン)さんは料理の小さなコツを話してくれた。「苦瓜などは、子供に食べてもらうために、メイン料理にはしません。ピーマンも横に添えるだけです。私たちは子供が食べてくれるような方法で作ります。例えば、好きな物と嫌いなものを同じ料理に入れ、彼らに美味しいものを食べながら苦手なものも一緒に食べてもらうのです」。

数値化して食べ残しをコントロール

教師、生徒、給食提供者の協力の下、食べ残し削減効果が徐々に現れた。「お皿を空にする」運動は先学期の二〇二一年九月から始まって十二月までに、全校の食べ残し量は一トンを下回り、九百キロ余りになった。一学期を百日と計算すると、全校の一日の食べ残しが僅か九キロになったのに等しい!以前の一日三十五キロと比較すると、改善の効果は顕著に現れていた。

その年度の二学期、即ち二〇二二年の一月から六月までの間、更に一学期で三百キロという記録を立て、一日の食べ残し量が僅か三キロという好成績を残した。小学部二十五クラスで、各クラス一日に平均して僅か百二十グラムの食べ残しを出しただけに等しい。

その過程では紆余曲折もあった。全校の食べ残し量が既に一日二十キロまで減っていた頃のある日、給食を終えて、教師と生徒たちがいつものように食べ残しの重さを計ったところ、数字が三十五キロに跳ね上がっていたことに愕然した。驚きのあまり、皆で骨の折れる作業に関わらず、答えを探し始めた。

「結果として分かったことは、あの日はうどんだったのですが、うどんと豆腐は歯ごたえがあり過ぎた上に、比較的大きく切られていたのです」。顔さんの記憶によると、あの日食べ残しが最も多かったのは一年生と二年生で、低学年の生徒はちょうど乳歯から永久歯に生え変わる段階で、咬合力も咀嚼力も比較的弱く、硬めの食材は食べるのが遅く、少なくなるため、食べ残しは自然と増加する、という。セントラルキッチンチームは「うどん事件」の経験を活かして、献立を作る時は、同様の状況が再び起きないようにしている。

「食の安全面では、セントラルキッチンが残留農薬を検出する機器を設置してくれたので、とても感謝しています。農薬を測定し、以前に一部不合格の野菜を返品したこともあり、台湾全土でこのような取り組みをしているところは少ないのです」。姚智化(ヤォ・ヅーファ)校長によれば、同校の給食請負業者は、菜食調理に長けており、幼稚園から高校までの各学年の生徒に必要な栄養を考え、また中学、高校生の夜の自習時間には夕食を提供しているため、仕事量が増えても依然として全力で協力してもらっている。

「厨房はとても配慮してくれています。生徒や保護者から学校の食事がまずいとか量が足りないというクレームは殆ど聞かれません。この点を達成するのはとても難しいのですが、貴重なことでもあるのです」と姚校長が称賛した。

食事後、5年生の感恩クラスの生徒が食缶等を返却する様子。食べ残しの計量と回収が待っている。そのクラスは食べ残し削減の目標を達成し、教室のドアには「お皿を空にする大使」の賞状が掛けられてあった。

食べ残しの計量は毎日給食後の日課で、多くのクラスはいつも食べ残しゼロを達成しているが、少数のクラスは食べ残しがあっても、グラム単位である。

「カーボンフットプリントの検証」児童版

同校小学部は「お皿を空にする」運動を推進し、実際に計量したデータを用いて、教師や生徒たちに食べ残し問題の深刻さを知ってもらい、さらに食事をする人数を報告し、過剰な提供を避け、食を惜しむことを教えている。

この運動はグローバルな食糧問題に正面から取り組んでいる。国連食糧農業機関(FAO)の二〇〇〇年から二〇二〇年の統計によれば、主要な農作物であるサトウキビやトウモロコシ、小麦、米の生産量は五割増加し、二〇一九年、九十三憶トンに達した。生産技術の進歩は食糧の需要をはるかに上回ったが、それに矛盾して、全世界では同時に数億人が飢餓と栄養失調の危機に瀕しているのである。

廃棄される食物の浪費は、食物そのものだけでなく、食物の生産や輸送、保存の過程で発生する資源の消耗も浪費しているのだ。「お皿を空にする」プロジェクト初期の構想と運用方法から見ると、今日で最も話題性のある「カーボンフットプリント検証」児童版とみなすことができ、食べ残しを減らすことは、食糧資源を有効利用することに役立ち、そして関連した温室効果ガスの排出削減にもつながっている。国連十七項目の持続可能な開発目標(SDGs)に照らし合わせると、第十二項目(SDGs12)「責任のある消費と生産」に合致する。これは有意義な善行であり、生活の中に根を下ろした学習だと言える。

この過程で、推進担当の生徒たちは知識が深まり、コミュニケーション能力と自信を強化することができた。食べ残し削減に呼応し、自発的に食を惜しむ運動に参加した全ての生徒たちは、教師たちが丹念に配合した栄養を吸収し、成長過程でより健康になるだろう。

(慈済月刊六九一期より)

台南市私立慈済高校小学部の一日あたりの給食の食べ残しは、三年前の三十五キロから今では三キロにまで減り、平均すると一クラス僅か百二十グラムである。

六百人余りの小学生はいかにして成し遂げたのか?

小学部の教室で、生徒は順番に給食を取り、給食トレーにお椀を載せることで、整然とした盛り付けになり、色や香りや味を引き出していた。

米粒も野菜もスープも、苦労して得たもので、ゆっくり噛んで味わい、天下の衆生の恩に感謝しましょう」。給食の時間になると、台南市私立慈済高校小学部から「感謝の歌」が聞こえてくる。福を惜しみ、食を惜しむ考え方は、日々の繰り返しによって潜在意識化し、多くのクラスでは食べ残しゼロ運動で、「お皿を空にする」目標を達成している。

台南市私立慈済高校小学部教頭の顔秀雯(イェン・シュウウェン)さんが、二〇二一年に始まった「お皿を空にする(食べ残しゼロ)」活動の由来を説明した。食べ残しを改善の目標にした理由は、生徒たちがセントラルキッチンを参観した際に、一回の給食で、六百人余りの生徒が作り出す食べ残しの量を軽んじてはならないことを実感したからだ。

当時の食べ残し量はどれくらいだったのか?顔さんは詳細に記録を残していた。同校小学部で出る食べ残し量は、一日で三十五キロであった。他の同程度規模の学校と比較すると多くはなかったが、「一学期に百日の登校日があると計算すると、三千五百キロ、つまり三・五トンの食べ残しが出ることになるのです」。

この事は顔さんを驚愕させ、「先ず食べ物の背景にある生産や輸送から出るカーボンフットプリントの問題を除外しても、食糧の生産につぎ込んだお金と農民の苦労を考え、更に世界で飢えている人口があまりにも多すぎるのに、私たちは食べ物を浪費していたのです!そこで皆で食べ物を残さない運動から着手しました」。

それぞれの年齢のニーズに沿って、出席人数に合わせた配合で、給食の食べ残しを減らすと同時に(写真1)、生徒の日々の食のバランスを更によくしている(写真2)。

好き嫌いの組み合わせ

環境部の統計によると、台湾のこの十年間に家庭から出た生ゴミの回収量は、一人あたり年平均で二十四キロに達した。台湾全土の五十万トン余りの生ゴミに、生産と販売の過程で出た規格外品や売れ残りにより廃棄された物を加えると、一年間の食品ロスの総量は百万トン以上になる!

三年前、顔さんは生徒を連れて、環境部とアメリカ環境保護庁が共同で行った「台米エコ・キャンパス」(US-Taiwan Eco-Campus)プロジェクトに参加した。その主旨は、生徒が自主的に様々な環境問題を解決するようにと期待したもので、その内の一項目が「サステナブルフード」(持続可能な食)である。「私たちは学校のセントラルキッチンで栄養士がどのように給食の献立を作っているのかを聞き、残った食べ物の処理状況を観察して、初めて分かったのです!わあ!生ゴミが本当に少なくない!」。

台米エコ・キャンパスプロジェクトのサステナブルフードチームに参加した生徒は、インターネットで資料を集め、三人寄れば文殊の知恵で、最後は「光盤」(空の皿)というプロジェクトネームに決定した。校内で食べ残し削減を宣伝し、教師や生徒に食べ物を浪費せず、捨てる食べ残しを極力減らすよう呼びかけた。同校生たちは特別に、「お皿を空にする大使」の賞状を作成し、着実に食べ残しゼロを実践した優秀クラスを奨励した。

第一回「お皿を空にする」運動を推進した小学生のメンバーで、今では中学二年生になった魏靖軒(ウェイ・ジンシュェン)さんによれば、小学生は計量と記録に不慣れなので、この活動には教師と生徒が一緒に参加し、横で教師がサポートした。

小学部の教師と生徒が取り組みを始めたのみならず、セントラルキッチンを請け負う業者も協力し、小学生が発起したこの運動を正面から捉え、各クラスの計量測定を手助けするだけでなく、クラス毎の毎日の人数の変化に合わせて、おかずの量も調整した。

例えばコロナ禍の間、生徒は学校に登校することができなかったため、給食を食べる人が減り、担任教師はセントラルキッチンに主食とおかずの量を減らすよう知らせた。生徒たちも互いに、取った分のご飯とおかずは全部食べるよう呼びかけた。仮に給食用容器に残り物があれば、皆で一口ずつ分け、捨てるものがないようにして、クラスの名誉を保った。

その他、ベテラン栄養士の方でも、どの料理が生徒に比較的人気がないか等、献立を考える時に工夫して、細心の注意を払っている。栄養士の葉佳紋(イェ・ジャウェン)さんは料理の小さなコツを話してくれた。「苦瓜などは、子供に食べてもらうために、メイン料理にはしません。ピーマンも横に添えるだけです。私たちは子供が食べてくれるような方法で作ります。例えば、好きな物と嫌いなものを同じ料理に入れ、彼らに美味しいものを食べながら苦手なものも一緒に食べてもらうのです」。

数値化して食べ残しをコントロール

教師、生徒、給食提供者の協力の下、食べ残し削減効果が徐々に現れた。「お皿を空にする」運動は先学期の二〇二一年九月から始まって十二月までに、全校の食べ残し量は一トンを下回り、九百キロ余りになった。一学期を百日と計算すると、全校の一日の食べ残しが僅か九キロになったのに等しい!以前の一日三十五キロと比較すると、改善の効果は顕著に現れていた。

その年度の二学期、即ち二〇二二年の一月から六月までの間、更に一学期で三百キロという記録を立て、一日の食べ残し量が僅か三キロという好成績を残した。小学部二十五クラスで、各クラス一日に平均して僅か百二十グラムの食べ残しを出しただけに等しい。

その過程では紆余曲折もあった。全校の食べ残し量が既に一日二十キロまで減っていた頃のある日、給食を終えて、教師と生徒たちがいつものように食べ残しの重さを計ったところ、数字が三十五キロに跳ね上がっていたことに愕然した。驚きのあまり、皆で骨の折れる作業に関わらず、答えを探し始めた。

「結果として分かったことは、あの日はうどんだったのですが、うどんと豆腐は歯ごたえがあり過ぎた上に、比較的大きく切られていたのです」。顔さんの記憶によると、あの日食べ残しが最も多かったのは一年生と二年生で、低学年の生徒はちょうど乳歯から永久歯に生え変わる段階で、咬合力も咀嚼力も比較的弱く、硬めの食材は食べるのが遅く、少なくなるため、食べ残しは自然と増加する、という。セントラルキッチンチームは「うどん事件」の経験を活かして、献立を作る時は、同様の状況が再び起きないようにしている。

「食の安全面では、セントラルキッチンが残留農薬を検出する機器を設置してくれたので、とても感謝しています。農薬を測定し、以前に一部不合格の野菜を返品したこともあり、台湾全土でこのような取り組みをしているところは少ないのです」。姚智化(ヤォ・ヅーファ)校長によれば、同校の給食請負業者は、菜食調理に長けており、幼稚園から高校までの各学年の生徒に必要な栄養を考え、また中学、高校生の夜の自習時間には夕食を提供しているため、仕事量が増えても依然として全力で協力してもらっている。

「厨房はとても配慮してくれています。生徒や保護者から学校の食事がまずいとか量が足りないというクレームは殆ど聞かれません。この点を達成するのはとても難しいのですが、貴重なことでもあるのです」と姚校長が称賛した。

食事後、5年生の感恩クラスの生徒が食缶等を返却する様子。食べ残しの計量と回収が待っている。そのクラスは食べ残し削減の目標を達成し、教室のドアには「お皿を空にする大使」の賞状が掛けられてあった。

食べ残しの計量は毎日給食後の日課で、多くのクラスはいつも食べ残しゼロを達成しているが、少数のクラスは食べ残しがあっても、グラム単位である。

「カーボンフットプリントの検証」児童版

同校小学部は「お皿を空にする」運動を推進し、実際に計量したデータを用いて、教師や生徒たちに食べ残し問題の深刻さを知ってもらい、さらに食事をする人数を報告し、過剰な提供を避け、食を惜しむことを教えている。

この運動はグローバルな食糧問題に正面から取り組んでいる。国連食糧農業機関(FAO)の二〇〇〇年から二〇二〇年の統計によれば、主要な農作物であるサトウキビやトウモロコシ、小麦、米の生産量は五割増加し、二〇一九年、九十三憶トンに達した。生産技術の進歩は食糧の需要をはるかに上回ったが、それに矛盾して、全世界では同時に数億人が飢餓と栄養失調の危機に瀕しているのである。

廃棄される食物の浪費は、食物そのものだけでなく、食物の生産や輸送、保存の過程で発生する資源の消耗も浪費しているのだ。「お皿を空にする」プロジェクト初期の構想と運用方法から見ると、今日で最も話題性のある「カーボンフットプリント検証」児童版とみなすことができ、食べ残しを減らすことは、食糧資源を有効利用することに役立ち、そして関連した温室効果ガスの排出削減にもつながっている。国連十七項目の持続可能な開発目標(SDGs)に照らし合わせると、第十二項目(SDGs12)「責任のある消費と生産」に合致する。これは有意義な善行であり、生活の中に根を下ろした学習だと言える。

この過程で、推進担当の生徒たちは知識が深まり、コミュニケーション能力と自信を強化することができた。食べ残し削減に呼応し、自発的に食を惜しむ運動に参加した全ての生徒たちは、教師たちが丹念に配合した栄養を吸収し、成長過程でより健康になるだろう。

(慈済月刊六九一期より)

關鍵字

食・農・教育

台南市私立慈済高校小学部では、教室での給食の食べ残しはほぼゼロに近い。

世界で飢餓に苦しんでいる人口が七億人を突破した今、食べる分だけ取ることは、一種の美徳である。

小学生による食品ロス削減への取り組みは、食べ残しを減らすための改善策によって、この危機を覆すことに成功した。

台南市私立慈済高校小学部では、教室での給食の食べ残しはほぼゼロに近い。

世界で飢餓に苦しんでいる人口が七億人を突破した今、食べる分だけ取ることは、一種の美徳である。

小学生による食品ロス削減への取り組みは、食べ残しを減らすための改善策によって、この危機を覆すことに成功した。

關鍵字

悪念を消して善念を増やし、良縁を結ぼう

(絵・陳九熹)

過去の悪い考えから離れ、善を志してこの世で福を作り、時を善用して勤しめば、恩も恨みも忘れてしまいます。

人との出会いは自分を成就させてくれる道場と考え、心して修行を続ければ、あらゆる生命と善い縁が結ばれるでしょう。

毎日のように世の中のことを見聞きしますが、気候変動、国と国の争い、世の悲しみや苦しみ、また危機と無常を目にします。時を同じくして、慈済人は多くの国で活動したり、国際会議に出席したり、協力し合い、火災や水害、震災等々、関心が必要な所があれば、直ちに駆けつけています。送られてきた被災地の映像を見ると、辛くていたたまれなくなります!そして、清潔で明るく、整った環境で生活できる幸せを、有難いと思うのです。

夏はエアコン、冬はヒーター、と生活に心配がなく、衣食足りて清潔な家に住み、交通が便利なことに満足しなければなりません。そのような幸せは当たり前に有るのではなく、過去に為した平安や富、愛ある行いによって、巡ってきた果報なのです。常に足りていることを知っていれば、余りある物にも恵まれます。日々心が平安且つ自在になり、福は自ずとやって来ます。もし何事も満足できなければ、永遠に何かが足りないままです。幸せである自分を祝福し、欲を少なくし、足ることを知って奉仕すれば、絶えず福を作って福を増やせるのです。

仏陀の生きていた時代、故郷の地はとても貧しく、城門を出ると、生老病死の苦しみに喘ぐ一般人の生活を目にしました。どうすればその苦難を救うことができるのかを考えた末、一人の力では限りがあり、王宮を離れることにしたのです。そして、永劫に天下の衆生を助け、人々が苦しみから解き放たれ、再び無明の煩悩に囚われないようにする道を探し求めたのです。

仏陀の故郷に恩返しするのが、私の生涯の心願なのです。シンガポールとマレーシアの弟子たちは、それを理解し、自分の事業を手放してでも、私の代わりにネパールとインドに長期滞在し、慈善、医療、教育方面で行願してくれています。何かをするには人手が必要です。無を有に変えるには、現地の社会と深く交流を重ねなければなりません。

彼らは元々、快適な暮らしをしていましたが、仏陀の故郷に行って、社会的地位を捨て、暑さや寒さを耐え忍ぶのは、とても勇気が要ることです。現地で多くを見て、多くの事を為していますが、それは正に修行の道です。

仏陀が人間(じんかん)に来られた一大事とは、菩薩の道を教えることでした。慈済人は仏陀の故郷に到達しただけでなく、早い段階から、仏陀の説いた法を自分たちが生活する国に弘めていました。それができていたからこそ、行き着くことができたのです。形ある事を成しただけでなく、身で以て無形の教育を実践し、人々を善へと導いているのです。

慈済人の「真」と「誠」を見て、私は、人間(じんかん)での生涯が充実したものになったと感じています。皆が志を一つに、共に菩薩道を歩んでいます。この道はとても長く、前を行く人が道を敷いて導いているが故に、後の人は一歩一歩精進しなければなりません。次の世代へ伝承される歩みは偏ってはならず、分から寸に、寸から尺に幅を広げ、しっかりした足取りで進むのです。

学びに終わりはありません。学びたいと思えば更に多くを学ぶことができます。もしも一知半解ならば、理解できたとは言えません。人生は無常で、時間には限りがあります。学ぶべきことは覚りであり、仏法で以て悟りを開くのです。「学」から「覚」に達するには、菩薩道を歩むしかありません。赤子の心で学びを重ね、「道」を理解し、学んで、それを確認し、更に人を伴ってこの大いなる道を一緒に歩むのです。

一分一秒を把握して福を作り、無明で業を作らないよう警戒することが、即ち修行の重点です。

自分で日々の生活を見つめ直すと、いつも忙しくしていても、どれだけの事をやり遂げたかと考えてしまいます。結局、どうしたらいいか分からず、明日に期待するしかないのです。この世で修行するのは、淡々とした日々ではあっても、それは享受だとも言えます。それなのにまだ、できるのだろうかと自問を繰り返したりして、毎日やはり、気になることがたくさんあるのです。

一日の八万六千四百秒は、一秒一秒がチクタクと過ぎて行き、それほど長くはないのです。最も現実的なこの瞬間を捉えて、一分一秒、全ての時間を後悔しないようにするのです。生涯を通じてこのように生きれば、良心に恥じることはありません。そこでいつも、「一日過ぎると命はそれにつれて減る」という言葉で自分を励ますと共に、警鐘を鳴らしているのです。

仏陀がこの世で教えたことは「諸悪を行わず、多くの善い事を行う」であり、私たちの修行の二つの重点でもあるのです。一つは人生の改善、もう一つは無明で業を作ることを予防しているのです。

多くの人は兎角、人との関係や物事でトラブルを作ります。いつまでも人は自分に借りがあるとか、この借りは必ず返すと覚えているのに、自分が人に対してすまないことをしたとか、私はどう償えばいいのかということは、あまり覚えていないものです。前述のような負の気持ちが累積すると、今までの悪因、悪縁は消えないだけでなく、逆に悪念は積もり、心の無明は益々増え、業による障害は高くなるばかりです。

悪念が消えて善念が増えると、自ずと業の障害は消えます。悪念を忘れ、善念を志して福を作り、時を善用すれば、忙しさに恩も怨みも忘れるでしょう。人との出会いは自分にとっての道場であり、人に良い印象を与えることは、今日その人に対する修行であり、人生において善縁を結びます。人と人の関係は互いに道場と見なし、尊重し敬愛し合うことで、多くの善縁を結べば、この世は睦まじくなります。

この生涯で善の種子を育て、熟成させ、私たちと縁のある人に寄り添い、ケアすることで、その善の種子を来世まで持って行くのです。時を把握して、人間(じんかん)を善用し、どの世でもしっかりと地に足を下ろすことです。皆さんが心して精進することを願っています。

(慈済月刊六九二期より)

(絵・陳九熹)

過去の悪い考えから離れ、善を志してこの世で福を作り、時を善用して勤しめば、恩も恨みも忘れてしまいます。

人との出会いは自分を成就させてくれる道場と考え、心して修行を続ければ、あらゆる生命と善い縁が結ばれるでしょう。

毎日のように世の中のことを見聞きしますが、気候変動、国と国の争い、世の悲しみや苦しみ、また危機と無常を目にします。時を同じくして、慈済人は多くの国で活動したり、国際会議に出席したり、協力し合い、火災や水害、震災等々、関心が必要な所があれば、直ちに駆けつけています。送られてきた被災地の映像を見ると、辛くていたたまれなくなります!そして、清潔で明るく、整った環境で生活できる幸せを、有難いと思うのです。

夏はエアコン、冬はヒーター、と生活に心配がなく、衣食足りて清潔な家に住み、交通が便利なことに満足しなければなりません。そのような幸せは当たり前に有るのではなく、過去に為した平安や富、愛ある行いによって、巡ってきた果報なのです。常に足りていることを知っていれば、余りある物にも恵まれます。日々心が平安且つ自在になり、福は自ずとやって来ます。もし何事も満足できなければ、永遠に何かが足りないままです。幸せである自分を祝福し、欲を少なくし、足ることを知って奉仕すれば、絶えず福を作って福を増やせるのです。

仏陀の生きていた時代、故郷の地はとても貧しく、城門を出ると、生老病死の苦しみに喘ぐ一般人の生活を目にしました。どうすればその苦難を救うことができるのかを考えた末、一人の力では限りがあり、王宮を離れることにしたのです。そして、永劫に天下の衆生を助け、人々が苦しみから解き放たれ、再び無明の煩悩に囚われないようにする道を探し求めたのです。

仏陀の故郷に恩返しするのが、私の生涯の心願なのです。シンガポールとマレーシアの弟子たちは、それを理解し、自分の事業を手放してでも、私の代わりにネパールとインドに長期滞在し、慈善、医療、教育方面で行願してくれています。何かをするには人手が必要です。無を有に変えるには、現地の社会と深く交流を重ねなければなりません。

彼らは元々、快適な暮らしをしていましたが、仏陀の故郷に行って、社会的地位を捨て、暑さや寒さを耐え忍ぶのは、とても勇気が要ることです。現地で多くを見て、多くの事を為していますが、それは正に修行の道です。

仏陀が人間(じんかん)に来られた一大事とは、菩薩の道を教えることでした。慈済人は仏陀の故郷に到達しただけでなく、早い段階から、仏陀の説いた法を自分たちが生活する国に弘めていました。それができていたからこそ、行き着くことができたのです。形ある事を成しただけでなく、身で以て無形の教育を実践し、人々を善へと導いているのです。

慈済人の「真」と「誠」を見て、私は、人間(じんかん)での生涯が充実したものになったと感じています。皆が志を一つに、共に菩薩道を歩んでいます。この道はとても長く、前を行く人が道を敷いて導いているが故に、後の人は一歩一歩精進しなければなりません。次の世代へ伝承される歩みは偏ってはならず、分から寸に、寸から尺に幅を広げ、しっかりした足取りで進むのです。

学びに終わりはありません。学びたいと思えば更に多くを学ぶことができます。もしも一知半解ならば、理解できたとは言えません。人生は無常で、時間には限りがあります。学ぶべきことは覚りであり、仏法で以て悟りを開くのです。「学」から「覚」に達するには、菩薩道を歩むしかありません。赤子の心で学びを重ね、「道」を理解し、学んで、それを確認し、更に人を伴ってこの大いなる道を一緒に歩むのです。

一分一秒を把握して福を作り、無明で業を作らないよう警戒することが、即ち修行の重点です。

自分で日々の生活を見つめ直すと、いつも忙しくしていても、どれだけの事をやり遂げたかと考えてしまいます。結局、どうしたらいいか分からず、明日に期待するしかないのです。この世で修行するのは、淡々とした日々ではあっても、それは享受だとも言えます。それなのにまだ、できるのだろうかと自問を繰り返したりして、毎日やはり、気になることがたくさんあるのです。

一日の八万六千四百秒は、一秒一秒がチクタクと過ぎて行き、それほど長くはないのです。最も現実的なこの瞬間を捉えて、一分一秒、全ての時間を後悔しないようにするのです。生涯を通じてこのように生きれば、良心に恥じることはありません。そこでいつも、「一日過ぎると命はそれにつれて減る」という言葉で自分を励ますと共に、警鐘を鳴らしているのです。

仏陀がこの世で教えたことは「諸悪を行わず、多くの善い事を行う」であり、私たちの修行の二つの重点でもあるのです。一つは人生の改善、もう一つは無明で業を作ることを予防しているのです。

多くの人は兎角、人との関係や物事でトラブルを作ります。いつまでも人は自分に借りがあるとか、この借りは必ず返すと覚えているのに、自分が人に対してすまないことをしたとか、私はどう償えばいいのかということは、あまり覚えていないものです。前述のような負の気持ちが累積すると、今までの悪因、悪縁は消えないだけでなく、逆に悪念は積もり、心の無明は益々増え、業による障害は高くなるばかりです。

悪念が消えて善念が増えると、自ずと業の障害は消えます。悪念を忘れ、善念を志して福を作り、時を善用すれば、忙しさに恩も怨みも忘れるでしょう。人との出会いは自分にとっての道場であり、人に良い印象を与えることは、今日その人に対する修行であり、人生において善縁を結びます。人と人の関係は互いに道場と見なし、尊重し敬愛し合うことで、多くの善縁を結べば、この世は睦まじくなります。

この生涯で善の種子を育て、熟成させ、私たちと縁のある人に寄り添い、ケアすることで、その善の種子を来世まで持って行くのです。時を把握して、人間(じんかん)を善用し、どの世でもしっかりと地に足を下ろすことです。皆さんが心して精進することを願っています。

(慈済月刊六九二期より)

關鍵字

インド—サンディープ君 あれから元気でしたか

サンディープは今では健康に過ごしています。先日のかけっこでは一位になりました。ただ、勉強があまり得意ではないのです。ラージギルを通る時は、いつもサンディープに会いに来て私たちを家族として扱ってくれる、彼を世話してくれた皆さんと證厳法師に感謝しています」。三月末、スマンティ・デヴィさんは、慈済ボランティアが再び訪れたことに驚きと喜びを感じながら、息子サンディープ君の近況を説明した。

二〇二二年、経蔵劇を演じる慈済チームが仏陀の故郷の映像を放映した時、證厳法師は、一瞬で過ぎた画像の中の棒のように痩せているのに、太鼓のような大きなお腹をした子供の姿に目を留めた。忍びない思いを抑えきれず、ボランティアにその子を探してもらった。現地ボランティアの世国さんは、村から村へと探し回った結果、ラージギルの七葉窟がある山の麓でサンディープ君を見つけた。そして、彼に付き添い、治療費も援助した。手術は成功し、彼は他の子供と何ら変わらない少年になった。

現在公立学校に通っているサンディープ君は、ボランティアの手をとって部屋に入り、数字を書いたり、物語を読んだりした。彼が教師になりたいというので、ちゃんと勉強するように、とボランティアが励ました。

治療を求めて長距離を移動
肩の荷が下りた

二〇二二年六月、世国さんとブッダガヤボランティア、士楊さんは、入院検査を受けるサンディープ君に付き添った(下の写真1)。台北慈済病院の趙院長の協力で、小児の泌尿関係の疾患であると診断され、治療方針が示された。七月、二人はサンディープ君と両親に同行し、千百キロ離れたニューデリーにある、インドで最も先進的なアポロ病院へ向かい、ベテランのスージア医師による治療を受けることになった。病状は緊急を要していたので、スージア医師が直ちに排尿手術を行った。手術によって七リットルを超える尿が排出され、一時、腹部がへこんだ状態になった。圧迫されていた内臓は徐々に元の位置に戻ったが、左の腎臓は既に機能を失っていたため、同年八月に再びニューデリーへ行き、摘出手術を受けた。

手術が二回とも成功し、両親はやっと安心することができた。肩の荷が下りたようにサンディープ君も笑顔を取り戻した。他の子供と同じように駆け回ることができ、色眼鏡で見られることに耐える必要もなくなった。何よりも彼はこれから健康に成長していけるのだ。

(慈済月刊六九〇期より)

ベテランのスージア医師による治療を受けた。(写真2)手術によって大量の尿が排出され、一時、腹部がへこんだ状態になった。(写真3)

「ラージギルを通る時は、いつもサンディープに会いに来て私たちを家族として扱ってくれる、彼を世話してくれた皆さんと證厳法師に感謝しています」と3月末、お母さんのスマンティ・デヴィさんは、慈済ボランティアが再び訪れたことに驚きと喜びを感じながら、感謝した。

サンディープは今では健康に過ごしています。先日のかけっこでは一位になりました。ただ、勉強があまり得意ではないのです。ラージギルを通る時は、いつもサンディープに会いに来て私たちを家族として扱ってくれる、彼を世話してくれた皆さんと證厳法師に感謝しています」。三月末、スマンティ・デヴィさんは、慈済ボランティアが再び訪れたことに驚きと喜びを感じながら、息子サンディープ君の近況を説明した。

二〇二二年、経蔵劇を演じる慈済チームが仏陀の故郷の映像を放映した時、證厳法師は、一瞬で過ぎた画像の中の棒のように痩せているのに、太鼓のような大きなお腹をした子供の姿に目を留めた。忍びない思いを抑えきれず、ボランティアにその子を探してもらった。現地ボランティアの世国さんは、村から村へと探し回った結果、ラージギルの七葉窟がある山の麓でサンディープ君を見つけた。そして、彼に付き添い、治療費も援助した。手術は成功し、彼は他の子供と何ら変わらない少年になった。

現在公立学校に通っているサンディープ君は、ボランティアの手をとって部屋に入り、数字を書いたり、物語を読んだりした。彼が教師になりたいというので、ちゃんと勉強するように、とボランティアが励ました。

治療を求めて長距離を移動
肩の荷が下りた

二〇二二年六月、世国さんとブッダガヤボランティア、士楊さんは、入院検査を受けるサンディープ君に付き添った(下の写真1)。台北慈済病院の趙院長の協力で、小児の泌尿関係の疾患であると診断され、治療方針が示された。七月、二人はサンディープ君と両親に同行し、千百キロ離れたニューデリーにある、インドで最も先進的なアポロ病院へ向かい、ベテランのスージア医師による治療を受けることになった。病状は緊急を要していたので、スージア医師が直ちに排尿手術を行った。手術によって七リットルを超える尿が排出され、一時、腹部がへこんだ状態になった。圧迫されていた内臓は徐々に元の位置に戻ったが、左の腎臓は既に機能を失っていたため、同年八月に再びニューデリーへ行き、摘出手術を受けた。

手術が二回とも成功し、両親はやっと安心することができた。肩の荷が下りたようにサンディープ君も笑顔を取り戻した。他の子供と同じように駆け回ることができ、色眼鏡で見られることに耐える必要もなくなった。何よりも彼はこれから健康に成長していけるのだ。

(慈済月刊六九〇期より)

ベテランのスージア医師による治療を受けた。(写真2)手術によって大量の尿が排出され、一時、腹部がへこんだ状態になった。(写真3)

「ラージギルを通る時は、いつもサンディープに会いに来て私たちを家族として扱ってくれる、彼を世話してくれた皆さんと證厳法師に感謝しています」と3月末、お母さんのスマンティ・デヴィさんは、慈済ボランティアが再び訪れたことに驚きと喜びを感じながら、感謝した。

關鍵字

佛の恩に浴し、自分の心を清める

編集者の言葉

去りゆく春から立夏を迎え、猛暑と豪雨が交差する中、一年一回の「灌仏会」を迎えた。西洋の賑やかな「クリスマス」パーティーに対して、仏誕節は厳かな「灌仏会」で感謝を表し、覚者が人間(じんかん)に降臨して修行を経て悟りを開き、説法したことを記念する。そして、慈済は母の日と世界慈済デーを合わせ、「三節一体」の祝福会を行っている。

この日、カーネーションの香りか灌仏会の法の香りかに関わらず、「感謝」を三節一体の中心に据え、仏恩、父母の恩、衆生の恩、天地の恩の全てに対して敬意を払い、敬虔な気持ちを新たにする。特に今の世は天災人禍が頻発しているので、灌仏会という式典を通じ、いつもと変わらない敬虔な心で以て、世界を平安の回帰に導くよう訴えている。

多くの仏教施設では、仏像に香湯を掛ける前に《浴佛偈》を唱え、同時に柄杓を用いてシッダールタ王子の肩に香湯を掛ける。これは、自らの心を潔め、「貪、嗔、癡」からもたらされる無明の塵から遠ざかることを意味している。慈済の場合は少し異なっていて、「礼仏足」、「法の香りを受ける」、「吉祥、祝福」という儀の流れに従って自分の心身を清めるのである。その実、仏は元々清浄なのになぜ沐浴が必要かというと、灌仏とは己の心にある仏性を祝福するためだからだ。

敬虔で清浄な心であれば、日々が仏の誕生日なのである。普段から絶えず法水で心を清め、清浄な本性を高めて日々善行を行うよう発心し、常に善念を持ち、あらゆる衆生に対して仏のように敬うことこそが灌仏会の意義なのである。

二○○七年より「三節一体」の灌仏会が、台北の中正紀念堂の二つのホールの間にある広場で行われるようになり、翌年からは台湾仏教界の法師たちも参加し、大衆の先頭に立って、敬虔な祈りを捧げるようになった。また、大愛テレビでライブ配信され、世界の視聴者に台湾仏教の姿と僧団の荘厳さを見せた。美と善の映像の裏には北部ボランティアの準備と奉仕があり、彼らこそが腰を低くして団体を成就させ、人々を感動させている模範なのだ。

今年の灌仏会のテーマは、「弘法で衆生を利し、信心を持って願を実践し、菜食による共善で、大地を護りましょう」である。六月号の月刊誌『慈済』では、台湾全土の専業ボランティアによる0403花蓮地震で小規模損壊した住宅の修繕に関する報道以外に、食を大切にする教育というテーマで、台南市私立慈済高校小学部が給食で食べ残しゼロの成果を上げていることを取り上げ、今時の低炭素菜食生活について紹介している。

生徒たちも、先生や園芸ボランティアの指導の下に、種撒き、覆土、水やり、そして芽が出て成長する過程から皿の上の食物になるまでの過程に参加すると、食べることの意味が以前とは変わってきた。というのは、理解して初めて大切に出来るようになるし、それぞれの食材には様々な栄養があることを学ぶと、食べ残さない習慣が身につくからだ。

世間では頻発する天災や人禍でインフレが引き起こされ、食料品価格が高騰を続けている。加えて、世界で起こっている食糧の不均一な流通と供給不足が相まって、毎年大量に発生する食品廃棄物の問題を解決することが急務となっている。食を大切にする教育は、老若を問わず、学校や社会及び全人類にとって必要なのだ。

(慈済月刊六九一期より)

編集者の言葉

去りゆく春から立夏を迎え、猛暑と豪雨が交差する中、一年一回の「灌仏会」を迎えた。西洋の賑やかな「クリスマス」パーティーに対して、仏誕節は厳かな「灌仏会」で感謝を表し、覚者が人間(じんかん)に降臨して修行を経て悟りを開き、説法したことを記念する。そして、慈済は母の日と世界慈済デーを合わせ、「三節一体」の祝福会を行っている。

この日、カーネーションの香りか灌仏会の法の香りかに関わらず、「感謝」を三節一体の中心に据え、仏恩、父母の恩、衆生の恩、天地の恩の全てに対して敬意を払い、敬虔な気持ちを新たにする。特に今の世は天災人禍が頻発しているので、灌仏会という式典を通じ、いつもと変わらない敬虔な心で以て、世界を平安の回帰に導くよう訴えている。

多くの仏教施設では、仏像に香湯を掛ける前に《浴佛偈》を唱え、同時に柄杓を用いてシッダールタ王子の肩に香湯を掛ける。これは、自らの心を潔め、「貪、嗔、癡」からもたらされる無明の塵から遠ざかることを意味している。慈済の場合は少し異なっていて、「礼仏足」、「法の香りを受ける」、「吉祥、祝福」という儀の流れに従って自分の心身を清めるのである。その実、仏は元々清浄なのになぜ沐浴が必要かというと、灌仏とは己の心にある仏性を祝福するためだからだ。

敬虔で清浄な心であれば、日々が仏の誕生日なのである。普段から絶えず法水で心を清め、清浄な本性を高めて日々善行を行うよう発心し、常に善念を持ち、あらゆる衆生に対して仏のように敬うことこそが灌仏会の意義なのである。

二○○七年より「三節一体」の灌仏会が、台北の中正紀念堂の二つのホールの間にある広場で行われるようになり、翌年からは台湾仏教界の法師たちも参加し、大衆の先頭に立って、敬虔な祈りを捧げるようになった。また、大愛テレビでライブ配信され、世界の視聴者に台湾仏教の姿と僧団の荘厳さを見せた。美と善の映像の裏には北部ボランティアの準備と奉仕があり、彼らこそが腰を低くして団体を成就させ、人々を感動させている模範なのだ。

今年の灌仏会のテーマは、「弘法で衆生を利し、信心を持って願を実践し、菜食による共善で、大地を護りましょう」である。六月号の月刊誌『慈済』では、台湾全土の専業ボランティアによる0403花蓮地震で小規模損壊した住宅の修繕に関する報道以外に、食を大切にする教育というテーマで、台南市私立慈済高校小学部が給食で食べ残しゼロの成果を上げていることを取り上げ、今時の低炭素菜食生活について紹介している。

生徒たちも、先生や園芸ボランティアの指導の下に、種撒き、覆土、水やり、そして芽が出て成長する過程から皿の上の食物になるまでの過程に参加すると、食べることの意味が以前とは変わってきた。というのは、理解して初めて大切に出来るようになるし、それぞれの食材には様々な栄養があることを学ぶと、食べ残さない習慣が身につくからだ。

世間では頻発する天災や人禍でインフレが引き起こされ、食料品価格が高騰を続けている。加えて、世界で起こっている食糧の不均一な流通と供給不足が相まって、毎年大量に発生する食品廃棄物の問題を解決することが急務となっている。食を大切にする教育は、老若を問わず、学校や社会及び全人類にとって必要なのだ。

(慈済月刊六九一期より)

關鍵字

七月の出来事

07・01

◎慈済カナダ支部はカナダデーに五地区合同清掃活動を催し、リッチモンド、バンクーバー、バーナビー、コキットラム、サレーなどで、環境とビーチの清掃が行われた。

◎ポーランド・ワルシャワの慈済ボランティアは、1日から5日までと8日から12日まで夫々、マゾフシェ県ウォミアンキで五日間のウクライナ難民子供キャンプを催し、生活と品徳教育及び環境保護に関する講座が開かれる。

07・03

慈済インドネシア支部による貧困世帯住宅建設支援プロジェクトが、ジャカルタ市政府と共同で、西ジャカルタ・パルメラ町で展開された。2023年8月6日に郭再源副執行長がチームを引き連れて実地調査を行った後、同年10月12日に対象世帯と支援建設の同意書にサインした。本日、第一期の「吉祥アパート」と名付けられた、集合住宅の使用が始まった。

07・04

慈済基金会はブラジル・リオグランデ州の水害被災民に関心を寄せた。4日から10日まで二度目の水害視察団を結成し、サンレオポルドなど甚大被災地を視察し、配付と学校の清掃活動を行うことを決めた。

07・08

国連持続可能な開発サミットが8日から18日までアメリカ・ニューヨークで開かれる。慈済基金会から7人が代表で全日程に参加し、他の団体と共同でサイド会議も催し、持続可能な発展に関する討論を行う。

07・11

◎慈済グアテマラ連絡所は「施設に関心を寄せる」活動で、ボランティアがプログレソ州サン・アグスティン市に出向いて、慈済コミュニティ児童センターの27人の子供とグループ活動すると共に、粉ミルクと玩具などを贈り、老人ホームを慰問しておむつなどの物資を届けた。

◎慈済フィリピン支部はパロ大愛村の移管式を行った。それは2013年の台風ハイエン災害支援に由来する。慈済は緊急支援の後、中長期計画に移行し、現地政府が提供した14400平米余りの土地に永久住宅村落の建設を始めた。60戸の永久住宅と多目的ホール、セントラルキッチン、職業訓練センター、託児所などが揃っている。

◎慈済フィリピン支部は11日から13日まで、レイテ州立病院で第265回の大規模施療活動を行った。5443人の患者を診療し、そのうちの86人は甲状腺腫瘍やヘルニアの手術を受けた。

07・13

8日、ハリケーン・ベリルがアメリカ・テキサス州を襲った。多くの住民は停電によって冷蔵庫の食べ物が腐敗し、生活に支障が出た。慈済テキサス支部は、ヒューストン・フードバンクと協力し、大量のボランティアを動員して災害応急物資の整理と梱包を手伝った。13日と27日には支部で被災者に野菜や果物を配付する。

07・16

◎慈済基金会は能登半島地震被災者ケアにおいて、炊き出しに続いて「仕事を与えて支援に代える」活動、慈済カフェでの奉仕などを行って来た。四回の見舞金配付活動は、5月17日から順次、穴水町、能登町、輪島市、中能登町、珠洲市、志賀町で行われ、世帯人数に合わせて13万円、15万円、17万円が届けられ、被災者は実用的支援として目前の困難を乗り越えることができた。四回27会場で11302世帯の24255人が受け取り、期間中に動員されたボランティアは日本と台湾を合わせて延べ1141人に上った。

◎慈済基金会は能登半島で地震が発生すると、数日後には日本支部がチームを結成して視察に向かった。1月13日からの穴水町での炊き出し、「仕事を与えて支援に代える」活動や慈済カフェなどの奉仕が続いた。6月25日までの統計によると、13097食の炊き出し、10028杯の温かい飲み物の提供、「仕事を与えて支援に代える」活動に参加した数は延べ220人となっている。また本日、金沢工業大学に通う被災世帯の学生48人に助学金が支給された。

07・18

3月に水害が発生したケニアで、慈済基金会はラブ・ビンティ・インターナショナルと協力して、現地の慈善機構「希望の光」と共に引き続き被災者ケアを行っている。5月にクワンザで配付が行われたのに続き、本日より20日までブシア・カウンティのブンヤラにある五つの被災者避難用テントエリアで1900セットの食糧パックが配付される。

07・19

台南市山上工業区にある産協企業公司の工場で大火が発生し、41台の消防車と86人の消防隊員が出動して消火に当たった。慈済ボランティアは消防署の知らせを受けて、チームを現場に派遣し、指揮センターとボランティア奉仕拠点を設置して、ミネラルウォーターやスポーツドリンク、ココナッツウォーター、常温保存牛乳、アイス、菜食弁当などを消防隊員の体力補充に提供した。

07・24

台風3号は強風と大雨を伴って来襲し、満潮時に重なって高潮が発生した。25日の早朝に台風が上陸する前日には既に台湾全土で被害が伝えられ、住民が避難所に入った。慈済基金会はケアと緊急支援を展開し、24日の昼、静思精舎の師父たちがボランティアと共に炊き出し弁当を佳民小学校に避難していた住民に届けた。また、屏東県では政府の要求に応えて、高雄静思堂から40枚の福慧エコ間仕切りテントを避難所になっている三地門体育館に届けて設置すると共に、各地の慈済ボランティアは現地のニーズに沿って人員を動員して支援した。

07・01

◎慈済カナダ支部はカナダデーに五地区合同清掃活動を催し、リッチモンド、バンクーバー、バーナビー、コキットラム、サレーなどで、環境とビーチの清掃が行われた。

◎ポーランド・ワルシャワの慈済ボランティアは、1日から5日までと8日から12日まで夫々、マゾフシェ県ウォミアンキで五日間のウクライナ難民子供キャンプを催し、生活と品徳教育及び環境保護に関する講座が開かれる。

07・03

慈済インドネシア支部による貧困世帯住宅建設支援プロジェクトが、ジャカルタ市政府と共同で、西ジャカルタ・パルメラ町で展開された。2023年8月6日に郭再源副執行長がチームを引き連れて実地調査を行った後、同年10月12日に対象世帯と支援建設の同意書にサインした。本日、第一期の「吉祥アパート」と名付けられた、集合住宅の使用が始まった。

07・04

慈済基金会はブラジル・リオグランデ州の水害被災民に関心を寄せた。4日から10日まで二度目の水害視察団を結成し、サンレオポルドなど甚大被災地を視察し、配付と学校の清掃活動を行うことを決めた。

07・08

国連持続可能な開発サミットが8日から18日までアメリカ・ニューヨークで開かれる。慈済基金会から7人が代表で全日程に参加し、他の団体と共同でサイド会議も催し、持続可能な発展に関する討論を行う。

07・11

◎慈済グアテマラ連絡所は「施設に関心を寄せる」活動で、ボランティアがプログレソ州サン・アグスティン市に出向いて、慈済コミュニティ児童センターの27人の子供とグループ活動すると共に、粉ミルクと玩具などを贈り、老人ホームを慰問しておむつなどの物資を届けた。

◎慈済フィリピン支部はパロ大愛村の移管式を行った。それは2013年の台風ハイエン災害支援に由来する。慈済は緊急支援の後、中長期計画に移行し、現地政府が提供した14400平米余りの土地に永久住宅村落の建設を始めた。60戸の永久住宅と多目的ホール、セントラルキッチン、職業訓練センター、託児所などが揃っている。

◎慈済フィリピン支部は11日から13日まで、レイテ州立病院で第265回の大規模施療活動を行った。5443人の患者を診療し、そのうちの86人は甲状腺腫瘍やヘルニアの手術を受けた。

07・13

8日、ハリケーン・ベリルがアメリカ・テキサス州を襲った。多くの住民は停電によって冷蔵庫の食べ物が腐敗し、生活に支障が出た。慈済テキサス支部は、ヒューストン・フードバンクと協力し、大量のボランティアを動員して災害応急物資の整理と梱包を手伝った。13日と27日には支部で被災者に野菜や果物を配付する。

07・16

◎慈済基金会は能登半島地震被災者ケアにおいて、炊き出しに続いて「仕事を与えて支援に代える」活動、慈済カフェでの奉仕などを行って来た。四回の見舞金配付活動は、5月17日から順次、穴水町、能登町、輪島市、中能登町、珠洲市、志賀町で行われ、世帯人数に合わせて13万円、15万円、17万円が届けられ、被災者は実用的支援として目前の困難を乗り越えることができた。四回27会場で11302世帯の24255人が受け取り、期間中に動員されたボランティアは日本と台湾を合わせて延べ1141人に上った。

◎慈済基金会は能登半島で地震が発生すると、数日後には日本支部がチームを結成して視察に向かった。1月13日からの穴水町での炊き出し、「仕事を与えて支援に代える」活動や慈済カフェなどの奉仕が続いた。6月25日までの統計によると、13097食の炊き出し、10028杯の温かい飲み物の提供、「仕事を与えて支援に代える」活動に参加した数は延べ220人となっている。また本日、金沢工業大学に通う被災世帯の学生48人に助学金が支給された。

07・18

3月に水害が発生したケニアで、慈済基金会はラブ・ビンティ・インターナショナルと協力して、現地の慈善機構「希望の光」と共に引き続き被災者ケアを行っている。5月にクワンザで配付が行われたのに続き、本日より20日までブシア・カウンティのブンヤラにある五つの被災者避難用テントエリアで1900セットの食糧パックが配付される。

07・19

台南市山上工業区にある産協企業公司の工場で大火が発生し、41台の消防車と86人の消防隊員が出動して消火に当たった。慈済ボランティアは消防署の知らせを受けて、チームを現場に派遣し、指揮センターとボランティア奉仕拠点を設置して、ミネラルウォーターやスポーツドリンク、ココナッツウォーター、常温保存牛乳、アイス、菜食弁当などを消防隊員の体力補充に提供した。

07・24

台風3号は強風と大雨を伴って来襲し、満潮時に重なって高潮が発生した。25日の早朝に台風が上陸する前日には既に台湾全土で被害が伝えられ、住民が避難所に入った。慈済基金会はケアと緊急支援を展開し、24日の昼、静思精舎の師父たちがボランティアと共に炊き出し弁当を佳民小学校に避難していた住民に届けた。また、屏東県では政府の要求に応えて、高雄静思堂から40枚の福慧エコ間仕切りテントを避難所になっている三地門体育館に届けて設置すると共に、各地の慈済ボランティアは現地のニーズに沿って人員を動員して支援した。

關鍵字

九至十日 因緣難得

6.9~10《農五月‧初四至初五》

【靜思小語】好事認真做,不要「加減做」;因為減少的之後要再補,可能來不及了。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

慈濟美國,智慧平臺

六月九日,繼續進行美國董事會的第二日議程,聆聽報告後,上人開示:「這二天聽大家分享,內心都是感恩。我什麼都不懂,會務行政需要靠大家用心運作;我只有一個心念,但願佛法在人間,人人靠近佛法、體會佛法。雖然人間有信仰,但是經過長久的流傳,信仰已經複雜化;要提升信仰、回歸本質,不能只有知識上的提升,必須有智慧的提升。

「說拜佛或信宗教就會有福氣,並非這麼簡單;我們要提升生命的智慧,有一個清楚的理念,就是淨化己心的無明雜念,也需要用清淨無私的良能,投入人間,幫助人人的思想觀念不偏向,使社會祥和,天下無災,這是我幾十年來不變的宗教觀,也是我的人生宗旨與方向。」

「大家跟著我做慈濟,都稱呼我為『師父』,或是已經脫離了宗教範疇,用尊敬的心稱呼『上人』,也許其他人看來,這些稱呼是榮耀,但是我覺得是責任;我得到大家的尊重,要更認真、更用心,更要投入人群付出。」

上人說,大家有因緣會合在慈濟,有志一同為人間付出,要入世就要合於世間法,有社會認可的組織,所以有董事會。既然有組織的名相,也掛上董事的名相,就要承擔起相應的責任。

「我們的責任,是要向人間傳播好的觀念;你們很有才華,人生經過一番歷練,各有所長,會合在慈濟慈善基金會,為了幫助人間社會而發揮所長,這也就是宗教在人間的價值。雖然常住師父們都在道場裏修行,很少走入社會,對於人間社會的事情所知不多,不過他們守志奉道,盡宗教師的本分;居士們各自忙於家業、事業,但有一分善心理念,選擇宗教,投入社會,有志一同來付出,與出家眾會合,組織董事會,發揮佛法精神。」

「慈濟是師父的慧命,也是慈濟人的慧命,更是人間的大慧命。期待大家發願立志,多用一點時間,關心慈濟志業,對慈濟在美國的志業推展與行動提出看法與建議。」上人說,美國是舉足輕重的世界大國,是重要的國際交流平臺,慈濟在美國真正要發揮慈善良能,成為智慧的平臺。

「無論在哪一個時區,現在是白天或黑夜,慈濟人發揮各自的功能,在人間的正軌道不斷做著該做的事,即使是深夜睡眠休息,也在正向的軌道中,養精蓄銳,當隔天睡醒之後,再發揮良能。我們的本性也要覺醒,分秒都要清楚敏銳,不能迷糊。」上人勉勵大家持續精進,發揮良能;既有因緣會合在慈濟,就要認真做,不要「加減做」,因為減少的之後要再補,可能來不及了。要讓善心日日增長,呼籲法親多投入,也要多招呼會員,不是為了募款,是要增進人人的見聞,看見、了解慈濟為人間做的事,也願意伸出雙手,用愛造福人間。

莫三比克,看見希望

六月十日,莫三比克蔡岱霖師姊等人,與出團前往莫國中部進行大愛村與希望工程建設事務的本會同仁,及十多位來臺就讀慈濟學校的非洲學子,還有透過視訊連線報告的莫三比克慈濟志工,與上人共度端午佳節。

岱霖師姊報告梅圖希拉大愛村緣起,梅圖希拉鎮位於河邊,多數居民以務農為生,伊代風災後,部分居民被迫遷至地勢較高的大愛村現址。慈濟志工除了在急難時期發放物資援助居民,來自馬普托的本土志工也長期駐紮,帶動社區志工投入大愛農場;村民透過慈濟發放種子包獲得好收成,經濟狀況改善,梅圖希拉鎮目前有二千七百多位志工。

高敬堯師兄簡報「大愛村拔地而起」,自二○一九年啟動伊代援建案,期間幾經波折,於二○二二年四月正式動工,至二○二四年四月,梅圖希拉大愛村四百一十戶全數完工。村民感恩表達,慈濟是唯一從伊代風災迄今,持續關心他們的團體。

風災後,莫凡比斯中學二十間教室僅剩三間堪用,五千位師生僅有二個茅坑。援建工程於二○二二年六月啟動,二○二四年一月完工,由莫三比克總統親自主持啟用典禮;志工持續走入校園關懷孩子並推動靜思語,教導衛生觀念等。岱霖師姊提到,慈濟的愛由校園走入社區,莫凡比斯中學位於棟多郡,郡長無償提供慈濟一間鄰近學校的宿舍,邀請慈濟長駐棟多郡。慈濟自今年二月開始深入社區舉辦愛灑活動,許多人因接觸靜思語而改善與家人的關係,還有原本想不開的人被靜思語感動,找到活下去的動力,如今是精進的社區志工。

莫三比克全國僅有百分之八的人有機會上大學。岱霖師姊並報告青年培育計畫,二○一九年至今,已有十三位學子來臺進修,其中五位學成歸國,於慈濟聯絡處服務;今年推薦十五位來臺。慈濟與當地中學、技職學校合作,校方推薦優秀畢業生,今年收到逾一百七十位青年報名。報名者要通過筆試、面試、團體測驗與綜合評估,才能獲得來臺進修資格。

就讀慈大,主修國際數位媒體與科技學士學位學程的柯欣甜同學分享,她來自馬普托,因為母親成為慈濟志工,接引她一起做慈善;二○一九年來臺,在慈大華語文中心學習二年後,投入國際多媒體的課程學習。

上人肯定來臺學習的年輕人很乖也很守規矩,叮嚀持續用功、不斷進步,不只學會華語,發音要標準,且要將慈濟精神學入心,學成返鄉以後,幫助困苦同胞。「要很感恩岱霖在莫三比克牽起慈濟因緣,迪諾將慈濟精神就地落實,讓這群孩子來臺灣學習華語文和其他知識與技術。他們也很精進,看了覺得莫三比克的未來很有希望!」

受助的居民與本土志工,大多信仰基督教,習慣說感恩上帝保佑。上人說,有信仰作為心靈依歸,還需要自我努力。慈濟人是學習佛菩薩的精神,佛陀是覺悟的人,普愛天下眾生,就如「宇宙大覺者」的形相為覺者膚慰地球,為了救度天下眾生,一再來到人間,釋迦牟尼佛就是娑婆世界的教主。慈濟人在莫三比克帶動居民做志工,也要用心傳法,傳智慧到當地,把菩薩聞聲救苦的精神、愛的能量傳給大眾,帶動人人互愛、無所求而付出。

上人說,慈濟在當地建大愛村、蓋學校,這分愛是無所求的清淨大愛,唯一的要求是人人要精進,積極面對生活。「從簡報畫面看到莫凡比斯中學蓋好了,燈光亮起來了,可知道那一刻,我心裏多麼歡喜啊!從此,孩子們可以安心讀書,學校可以為當地栽培人才,社會有希望了。年輕人能夠受教育,國家就會有希望,這就是我們到莫三比克付出的目標。」

上人感恩本會幾位同仁,為了援建工程,以一分使命感駐紮當地,堪忍、適應當地氣候,認真用心投入,相信將來這座大愛村會很亮麗,成為生機蓬勃的聚落,帶動整個社區發展。「感恩你們帶給莫三比克希望,將幸福帶給當地居民,功德無量!」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

6.9~10《農五月‧初四至初五》

【靜思小語】好事認真做,不要「加減做」;因為減少的之後要再補,可能來不及了。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

慈濟美國,智慧平臺

六月九日,繼續進行美國董事會的第二日議程,聆聽報告後,上人開示:「這二天聽大家分享,內心都是感恩。我什麼都不懂,會務行政需要靠大家用心運作;我只有一個心念,但願佛法在人間,人人靠近佛法、體會佛法。雖然人間有信仰,但是經過長久的流傳,信仰已經複雜化;要提升信仰、回歸本質,不能只有知識上的提升,必須有智慧的提升。

「說拜佛或信宗教就會有福氣,並非這麼簡單;我們要提升生命的智慧,有一個清楚的理念,就是淨化己心的無明雜念,也需要用清淨無私的良能,投入人間,幫助人人的思想觀念不偏向,使社會祥和,天下無災,這是我幾十年來不變的宗教觀,也是我的人生宗旨與方向。」

「大家跟著我做慈濟,都稱呼我為『師父』,或是已經脫離了宗教範疇,用尊敬的心稱呼『上人』,也許其他人看來,這些稱呼是榮耀,但是我覺得是責任;我得到大家的尊重,要更認真、更用心,更要投入人群付出。」

上人說,大家有因緣會合在慈濟,有志一同為人間付出,要入世就要合於世間法,有社會認可的組織,所以有董事會。既然有組織的名相,也掛上董事的名相,就要承擔起相應的責任。

「我們的責任,是要向人間傳播好的觀念;你們很有才華,人生經過一番歷練,各有所長,會合在慈濟慈善基金會,為了幫助人間社會而發揮所長,這也就是宗教在人間的價值。雖然常住師父們都在道場裏修行,很少走入社會,對於人間社會的事情所知不多,不過他們守志奉道,盡宗教師的本分;居士們各自忙於家業、事業,但有一分善心理念,選擇宗教,投入社會,有志一同來付出,與出家眾會合,組織董事會,發揮佛法精神。」

「慈濟是師父的慧命,也是慈濟人的慧命,更是人間的大慧命。期待大家發願立志,多用一點時間,關心慈濟志業,對慈濟在美國的志業推展與行動提出看法與建議。」上人說,美國是舉足輕重的世界大國,是重要的國際交流平臺,慈濟在美國真正要發揮慈善良能,成為智慧的平臺。

「無論在哪一個時區,現在是白天或黑夜,慈濟人發揮各自的功能,在人間的正軌道不斷做著該做的事,即使是深夜睡眠休息,也在正向的軌道中,養精蓄銳,當隔天睡醒之後,再發揮良能。我們的本性也要覺醒,分秒都要清楚敏銳,不能迷糊。」上人勉勵大家持續精進,發揮良能;既有因緣會合在慈濟,就要認真做,不要「加減做」,因為減少的之後要再補,可能來不及了。要讓善心日日增長,呼籲法親多投入,也要多招呼會員,不是為了募款,是要增進人人的見聞,看見、了解慈濟為人間做的事,也願意伸出雙手,用愛造福人間。

莫三比克,看見希望

六月十日,莫三比克蔡岱霖師姊等人,與出團前往莫國中部進行大愛村與希望工程建設事務的本會同仁,及十多位來臺就讀慈濟學校的非洲學子,還有透過視訊連線報告的莫三比克慈濟志工,與上人共度端午佳節。

岱霖師姊報告梅圖希拉大愛村緣起,梅圖希拉鎮位於河邊,多數居民以務農為生,伊代風災後,部分居民被迫遷至地勢較高的大愛村現址。慈濟志工除了在急難時期發放物資援助居民,來自馬普托的本土志工也長期駐紮,帶動社區志工投入大愛農場;村民透過慈濟發放種子包獲得好收成,經濟狀況改善,梅圖希拉鎮目前有二千七百多位志工。

高敬堯師兄簡報「大愛村拔地而起」,自二○一九年啟動伊代援建案,期間幾經波折,於二○二二年四月正式動工,至二○二四年四月,梅圖希拉大愛村四百一十戶全數完工。村民感恩表達,慈濟是唯一從伊代風災迄今,持續關心他們的團體。

風災後,莫凡比斯中學二十間教室僅剩三間堪用,五千位師生僅有二個茅坑。援建工程於二○二二年六月啟動,二○二四年一月完工,由莫三比克總統親自主持啟用典禮;志工持續走入校園關懷孩子並推動靜思語,教導衛生觀念等。岱霖師姊提到,慈濟的愛由校園走入社區,莫凡比斯中學位於棟多郡,郡長無償提供慈濟一間鄰近學校的宿舍,邀請慈濟長駐棟多郡。慈濟自今年二月開始深入社區舉辦愛灑活動,許多人因接觸靜思語而改善與家人的關係,還有原本想不開的人被靜思語感動,找到活下去的動力,如今是精進的社區志工。

莫三比克全國僅有百分之八的人有機會上大學。岱霖師姊並報告青年培育計畫,二○一九年至今,已有十三位學子來臺進修,其中五位學成歸國,於慈濟聯絡處服務;今年推薦十五位來臺。慈濟與當地中學、技職學校合作,校方推薦優秀畢業生,今年收到逾一百七十位青年報名。報名者要通過筆試、面試、團體測驗與綜合評估,才能獲得來臺進修資格。

就讀慈大,主修國際數位媒體與科技學士學位學程的柯欣甜同學分享,她來自馬普托,因為母親成為慈濟志工,接引她一起做慈善;二○一九年來臺,在慈大華語文中心學習二年後,投入國際多媒體的課程學習。

上人肯定來臺學習的年輕人很乖也很守規矩,叮嚀持續用功、不斷進步,不只學會華語,發音要標準,且要將慈濟精神學入心,學成返鄉以後,幫助困苦同胞。「要很感恩岱霖在莫三比克牽起慈濟因緣,迪諾將慈濟精神就地落實,讓這群孩子來臺灣學習華語文和其他知識與技術。他們也很精進,看了覺得莫三比克的未來很有希望!」

受助的居民與本土志工,大多信仰基督教,習慣說感恩上帝保佑。上人說,有信仰作為心靈依歸,還需要自我努力。慈濟人是學習佛菩薩的精神,佛陀是覺悟的人,普愛天下眾生,就如「宇宙大覺者」的形相為覺者膚慰地球,為了救度天下眾生,一再來到人間,釋迦牟尼佛就是娑婆世界的教主。慈濟人在莫三比克帶動居民做志工,也要用心傳法,傳智慧到當地,把菩薩聞聲救苦的精神、愛的能量傳給大眾,帶動人人互愛、無所求而付出。

上人說,慈濟在當地建大愛村、蓋學校,這分愛是無所求的清淨大愛,唯一的要求是人人要精進,積極面對生活。「從簡報畫面看到莫凡比斯中學蓋好了,燈光亮起來了,可知道那一刻,我心裏多麼歡喜啊!從此,孩子們可以安心讀書,學校可以為當地栽培人才,社會有希望了。年輕人能夠受教育,國家就會有希望,這就是我們到莫三比克付出的目標。」

上人感恩本會幾位同仁,為了援建工程,以一分使命感駐紮當地,堪忍、適應當地氣候,認真用心投入,相信將來這座大愛村會很亮麗,成為生機蓬勃的聚落,帶動整個社區發展。「感恩你們帶給莫三比克希望,將幸福帶給當地居民,功德無量!」

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

十一至十三日 為自己覺醒

6.11~13《農五月‧初六至初八》

【靜思小語】路要靠自己走,沒有人可以代替;方向是對的,就不要原地打轉。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

不排斥任何人

六月十一日,與黃思賢師兄等美國慈濟人談話,上人說:「一直都盼望,美國要覺醒,天下才能太平。誰要覺醒?每一個『我』,不只是某一個人,要有無量數的『我』,包括位高權重的人,一定要覺醒。但是談何容易?所以我們不能等,無論如何,要為自己的慧命覺醒。」

「人人本具有佛性,我們現在不回歸清淨無染的本性,一直習慣在紛紛擾擾的紅塵中,無明煩惱會愈滾愈厚,所以還是要及早覺醒;雖然這一生無法完全覺悟,至少要少一點煩惱、明一點道理,今生不自己用功,對的方向不去走,誰能代替我們走?這一分清淨本性,不靠自己洗滌,誰能來為我們洗滌?哪怕今生此世已經看準方向,路不自己跨出去,誰來代替我們跨出去?所以,不論如何,每一天的每一課,都要積極精進,不能再等待誰來帶我們走,或是等誰來鼓勵我們,只要方向對準,自己要邁開步伐不斷前進,不能浪費時光。」

上人說,大家或許知道這樣做是對的,方向也是對的,但是「氣」沒有提起來,就像氣球沒有充飽,總是飛得很低,後繼無力就停下來,必須再充氣,才能再升高一點。如果總是這樣,永遠都在原地打轉。眾生共業,現在世界局勢有點緊張,慈濟人要更積極。若只有幾人很積極,但是缺乏周邊的緣,會太過孤單;若與周邊的人有緣,當別人看到某某人的擔子很重,願意分攤重量,愈多人願意加入一起走,就愈有力量。

「每一個人都會有缺點,沒有缺點的早就成佛了;就是還有缺點,才稱為菩薩。若不發心,也不會在慈濟裏面;發大心就承擔大任務,我們都要彼此讚歎。」上人說,現在的人間很需要更多發心的菩薩,大家若能在美國帶動人人覺醒,就有造福天下的大力量,而當務之急是培養人才,多一個人多一分力量,不是排斥一人,再多招二人,一個都不能排斥。要修得心寬念純,才能如大海廣納百川,真正讓人間菩薩不斷增加。

父母心成就感

雲林、嘉義、臺南、高雄、屏東等南區慈善訪視團隊返回精舍,與上人座談,接受慈濟扶助的家庭成員也來分享;亦有已經停扶,而慈濟人持續陪伴關心的個案,他們受接引而投入慈濟大家庭,成為手心向下的助人者。幾位新芽獎學金的孩子得以將所擅長的才華,各自在農業耕作、美術設計、國際標準舞、提琴演奏等領域中發光發亮。

上人說,「天生我才必有用」,只要真誠用愛疼惜與栽培,年輕人都能展現才華,各方面都可成就。從分享中也看見慈濟人的「真」與「誠」,讓自己覺得這輩子很有成就感,就像父母看到孩子在臺上表現才藝的溫馨感受。

「人生如舞臺,人人都在舞臺上,慈濟人也在舞臺上,所扮演的就是菩薩。身心障礙的孩子,沒有與人競爭的心態,只有單純的心,靠著他們的本性展現才華,需要我們給予褒揚。感恩各位菩薩,在人間的舞臺上,你、我都要扮演得好。我扮演的角色是很認真接受佛陀的教育,而且依照佛陀的教導修行,同時將佛陀的教導傳達給大眾;而佛陀告訴我們,眾生皆有佛性,所以你我同心,同行菩薩道,要相互關心疼愛。」

「眾生平等,人人各有長處與短處。若說師父,短處太多了,叫我種玉米、種菜,我不會;叫我彈樂器,我也不會。我的缺點這麼多,幸好還有一個長處─有好緣,過去生與很多人結好緣。我這一生有好因緣,遇到我的師父,師父教我『為佛教,為眾生』,我就專心做好佛陀的弟子,並且疼惜眾生,不分種族、國籍,愛天下人。師父怎麼教,我聽話、受教,認真做。」

「大家看到師父,總是尊重、感恩師父,這是因為我與大家有好因緣,相互敬愛、尊重;如果人人都能如此互動,人間就會和樂融融。我這一生培養愛心、善種子,會將這顆善良的種子帶到來生。菩薩們也要將你們的善種子培養成熟,這一生方向正確,多做好事、多結好緣;需要幫助的人,只要與我們有緣,我們就付出愛心,陪伴與照顧。」

「今天看到幾位年輕的菩薩,就是你們用愛陪伴、鼓勵他們,並且帶著他們來與師父見面,這也在培養好因緣,否則我不認識他們,他們也不認識我,這分緣就結不起來。你們好好陪伴這些年輕人,父母好好栽培,他們將來在人間舞臺也會表現得很好。」上人感恩師兄師姊們長期投入慈善訪視,認真承擔起人間菩薩的責任,讓自己安心;這是慈濟的慧命,也是每一個慈濟人的慧命,有做就有得。雖然師父無法像大家一樣去做慈善訪視,走到每一個需要的家庭,但從大家的分享中也感到與有榮焉。

上人說,雖然隨著時代、社會的變化,有不少慈善機構結合學校教育與社區單位,共同給予需要的家庭各方面的支持,大家也不要忘記早期慈濟人以少數人力,走入各鄉鎮社區,訪視、關懷、發放的積極用心與菩薩精神。例如王壽榮師兄剛開始在嘉義做慈濟時,只有他一個人,只要個案有需要,他就載著米、棉被等物資,到很偏遠的鄉鎮去付出。

「壽榮的故鄉在臺東,他爸爸王校長與黃老師(王添丁、黃玉女),也是啟動臺東慈濟志業的人,師父早年到臺東,都住在他們家,他的祖母(王麵)很會招呼人。這個家庭真的是積善之家,代代傳承,到他是第三代,壽榮的孩子是第四代了。」上人教慈濟人「莫忘當年」,資深者要多回顧、多分享,讓人了解慈濟的歷史;並非誇耀自己做了多少,而是談真實事,感恩起步的人,感恩自己的承擔,也感恩新進者的接棒,大家要相互讚歎與勉勵。

陪著志業成長

六月十二日與醫療志業行政主管談話,上人表示,最初想要蓋醫院,是因為東部很缺乏醫療資源,很感恩多位醫療人士的協助與投入,從花蓮慈濟醫院用心做起,隨著時間會合各方因緣而不斷發展,不知不覺,醫療、教育志業陸續建置完整,這是大家合心協力成就的。

「沒有人就無法做事,醫療、教育諸事,都是依賴大家,只要認為可做、需要做,我就支持;大家有心且各自負起責任,志業才有辦法穩步前進。因應現在的社會,醫療、教育要承擔的事務更龐雜,要依賴你們的專業,很期待你們替師父想。你們在人間社會的經驗很足夠,正是人生最成熟之時。」

上人勉勵資深主管們,要持續發揮生命的價值:「你們可以說是陪著志業成長,其實志業也見證你們的成就。只要對人間有意義的事,用心去做,就會感覺所做的有價值、很值得。你們的年齡還能付出,要繼續提升生命價值。我已經到了這樣的年齡,我還是放不下,不是為自己放不下,是為全人類放不下;不是只在花蓮、臺灣,國際間有這麼多事情還需要去關懷,例如土耳其、敘利亞還有尼泊爾等好幾個國家的苦難人,仍很需要慈濟。」

「為了社會人間,大家的力量要結合。今天說的是醫療體系,哪怕師父不在,還有你們;你們應該要這樣想,也要告訴我:『請師父放心,我們都會負責任。』若覺得慈濟有價值,你們就要努力,將事業當成志業,為志業再找更多專業人才或培訓人才。」

媒體報真導正

六月十三日,聆聽人文志業主管同仁報告後,上人說,天地威力不可抗拒,在佛法來說,眾生共業的業力會影響天地氣候;大自然的生態包括天氣、地氣與人氣,其實天氣、地氣的變化,也是人氣造成,是人為破壞與污染,導致嚴重的災害。

人文志業有責任將道理傳達給大眾,要追溯過去的歷史,將人們如何製造污染、破壞環境,經過真實考證,記錄包括圖文數據等資料。報導者若不真誠、不負責任,只用聳動的字句擾亂人心,反而會造成更多問題,所以必須報真導正。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》

6.11~13《農五月‧初六至初八》

【靜思小語】路要靠自己走,沒有人可以代替;方向是對的,就不要原地打轉。

《證嚴上人衲履足跡》有聲書,由慈濟人文志業廣播內容創作中心提供,更多精彩的廣播節目,歡迎到「大愛網路電台」收聽。

不排斥任何人

六月十一日,與黃思賢師兄等美國慈濟人談話,上人說:「一直都盼望,美國要覺醒,天下才能太平。誰要覺醒?每一個『我』,不只是某一個人,要有無量數的『我』,包括位高權重的人,一定要覺醒。但是談何容易?所以我們不能等,無論如何,要為自己的慧命覺醒。」

「人人本具有佛性,我們現在不回歸清淨無染的本性,一直習慣在紛紛擾擾的紅塵中,無明煩惱會愈滾愈厚,所以還是要及早覺醒;雖然這一生無法完全覺悟,至少要少一點煩惱、明一點道理,今生不自己用功,對的方向不去走,誰能代替我們走?這一分清淨本性,不靠自己洗滌,誰能來為我們洗滌?哪怕今生此世已經看準方向,路不自己跨出去,誰來代替我們跨出去?所以,不論如何,每一天的每一課,都要積極精進,不能再等待誰來帶我們走,或是等誰來鼓勵我們,只要方向對準,自己要邁開步伐不斷前進,不能浪費時光。」

上人說,大家或許知道這樣做是對的,方向也是對的,但是「氣」沒有提起來,就像氣球沒有充飽,總是飛得很低,後繼無力就停下來,必須再充氣,才能再升高一點。如果總是這樣,永遠都在原地打轉。眾生共業,現在世界局勢有點緊張,慈濟人要更積極。若只有幾人很積極,但是缺乏周邊的緣,會太過孤單;若與周邊的人有緣,當別人看到某某人的擔子很重,願意分攤重量,愈多人願意加入一起走,就愈有力量。

「每一個人都會有缺點,沒有缺點的早就成佛了;就是還有缺點,才稱為菩薩。若不發心,也不會在慈濟裏面;發大心就承擔大任務,我們都要彼此讚歎。」上人說,現在的人間很需要更多發心的菩薩,大家若能在美國帶動人人覺醒,就有造福天下的大力量,而當務之急是培養人才,多一個人多一分力量,不是排斥一人,再多招二人,一個都不能排斥。要修得心寬念純,才能如大海廣納百川,真正讓人間菩薩不斷增加。

父母心成就感

雲林、嘉義、臺南、高雄、屏東等南區慈善訪視團隊返回精舍,與上人座談,接受慈濟扶助的家庭成員也來分享;亦有已經停扶,而慈濟人持續陪伴關心的個案,他們受接引而投入慈濟大家庭,成為手心向下的助人者。幾位新芽獎學金的孩子得以將所擅長的才華,各自在農業耕作、美術設計、國際標準舞、提琴演奏等領域中發光發亮。

上人說,「天生我才必有用」,只要真誠用愛疼惜與栽培,年輕人都能展現才華,各方面都可成就。從分享中也看見慈濟人的「真」與「誠」,讓自己覺得這輩子很有成就感,就像父母看到孩子在臺上表現才藝的溫馨感受。

「人生如舞臺,人人都在舞臺上,慈濟人也在舞臺上,所扮演的就是菩薩。身心障礙的孩子,沒有與人競爭的心態,只有單純的心,靠著他們的本性展現才華,需要我們給予褒揚。感恩各位菩薩,在人間的舞臺上,你、我都要扮演得好。我扮演的角色是很認真接受佛陀的教育,而且依照佛陀的教導修行,同時將佛陀的教導傳達給大眾;而佛陀告訴我們,眾生皆有佛性,所以你我同心,同行菩薩道,要相互關心疼愛。」

「眾生平等,人人各有長處與短處。若說師父,短處太多了,叫我種玉米、種菜,我不會;叫我彈樂器,我也不會。我的缺點這麼多,幸好還有一個長處─有好緣,過去生與很多人結好緣。我這一生有好因緣,遇到我的師父,師父教我『為佛教,為眾生』,我就專心做好佛陀的弟子,並且疼惜眾生,不分種族、國籍,愛天下人。師父怎麼教,我聽話、受教,認真做。」

「大家看到師父,總是尊重、感恩師父,這是因為我與大家有好因緣,相互敬愛、尊重;如果人人都能如此互動,人間就會和樂融融。我這一生培養愛心、善種子,會將這顆善良的種子帶到來生。菩薩們也要將你們的善種子培養成熟,這一生方向正確,多做好事、多結好緣;需要幫助的人,只要與我們有緣,我們就付出愛心,陪伴與照顧。」

「今天看到幾位年輕的菩薩,就是你們用愛陪伴、鼓勵他們,並且帶著他們來與師父見面,這也在培養好因緣,否則我不認識他們,他們也不認識我,這分緣就結不起來。你們好好陪伴這些年輕人,父母好好栽培,他們將來在人間舞臺也會表現得很好。」上人感恩師兄師姊們長期投入慈善訪視,認真承擔起人間菩薩的責任,讓自己安心;這是慈濟的慧命,也是每一個慈濟人的慧命,有做就有得。雖然師父無法像大家一樣去做慈善訪視,走到每一個需要的家庭,但從大家的分享中也感到與有榮焉。

上人說,雖然隨著時代、社會的變化,有不少慈善機構結合學校教育與社區單位,共同給予需要的家庭各方面的支持,大家也不要忘記早期慈濟人以少數人力,走入各鄉鎮社區,訪視、關懷、發放的積極用心與菩薩精神。例如王壽榮師兄剛開始在嘉義做慈濟時,只有他一個人,只要個案有需要,他就載著米、棉被等物資,到很偏遠的鄉鎮去付出。

「壽榮的故鄉在臺東,他爸爸王校長與黃老師(王添丁、黃玉女),也是啟動臺東慈濟志業的人,師父早年到臺東,都住在他們家,他的祖母(王麵)很會招呼人。這個家庭真的是積善之家,代代傳承,到他是第三代,壽榮的孩子是第四代了。」上人教慈濟人「莫忘當年」,資深者要多回顧、多分享,讓人了解慈濟的歷史;並非誇耀自己做了多少,而是談真實事,感恩起步的人,感恩自己的承擔,也感恩新進者的接棒,大家要相互讚歎與勉勵。

陪著志業成長

六月十二日與醫療志業行政主管談話,上人表示,最初想要蓋醫院,是因為東部很缺乏醫療資源,很感恩多位醫療人士的協助與投入,從花蓮慈濟醫院用心做起,隨著時間會合各方因緣而不斷發展,不知不覺,醫療、教育志業陸續建置完整,這是大家合心協力成就的。

「沒有人就無法做事,醫療、教育諸事,都是依賴大家,只要認為可做、需要做,我就支持;大家有心且各自負起責任,志業才有辦法穩步前進。因應現在的社會,醫療、教育要承擔的事務更龐雜,要依賴你們的專業,很期待你們替師父想。你們在人間社會的經驗很足夠,正是人生最成熟之時。」

上人勉勵資深主管們,要持續發揮生命的價值:「你們可以說是陪著志業成長,其實志業也見證你們的成就。只要對人間有意義的事,用心去做,就會感覺所做的有價值、很值得。你們的年齡還能付出,要繼續提升生命價值。我已經到了這樣的年齡,我還是放不下,不是為自己放不下,是為全人類放不下;不是只在花蓮、臺灣,國際間有這麼多事情還需要去關懷,例如土耳其、敘利亞還有尼泊爾等好幾個國家的苦難人,仍很需要慈濟。」

「為了社會人間,大家的力量要結合。今天說的是醫療體系,哪怕師父不在,還有你們;你們應該要這樣想,也要告訴我:『請師父放心,我們都會負責任。』若覺得慈濟有價值,你們就要努力,將事業當成志業,為志業再找更多專業人才或培訓人才。」

媒體報真導正

六月十三日,聆聽人文志業主管同仁報告後,上人說,天地威力不可抗拒,在佛法來說,眾生共業的業力會影響天地氣候;大自然的生態包括天氣、地氣與人氣,其實天氣、地氣的變化,也是人氣造成,是人為破壞與污染,導致嚴重的災害。

人文志業有責任將道理傳達給大眾,要追溯過去的歷史,將人們如何製造污染、破壞環境,經過真實考證,記錄包括圖文數據等資料。報導者若不真誠、不負責任,只用聳動的字句擾亂人心,反而會造成更多問題,所以必須報真導正。

本專欄為靜思人文出版之《證嚴上人衲履足跡》精簡版;更完整的慈濟脈動與開示內容,以及師徒之間的感人對談,請展閱每季出版的《證嚴上人衲履足跡》