慈済はこうやって発展してきた

この世を庇護する大愛エネルギーは、
小さくて僅かな力から生まれ、
目に見え、聞こえる範囲から始まった。

専用口座募金で約束を守る

慈善基金会顧問の謝景貴(シェ・ジングェイ)師兄と宗教所職員は、元日に起きた能登半島地震被災地への慈善配付について、上人に指示を仰ぎました。

「慈済人は被災地に行って奉仕し、また戻って来ると人々に約束しました。ですから、約束は守らなければいけません。信用が一番です。四月三日に花蓮で地震が発生しましたが、石川県の方も関心と祝福の言葉を伝えて来ました。慈済人は感謝の気持ちで、『今回の花蓮地震は大きなものでしたが、大方無事で、感謝に値するものです。ですから心配なさらないでください』と返事をしてください。また、『慈済は以前から用途別に寄付金を募って使用しています。台湾国内と海外の災害支援は別々になっており、全て寄付する人の意向に従って、一元残らずそれぞれの項目に入るようになっています。ですから、二つ以上の項目で互いに影響し合うことはなく、当初の計画通りの日程で配付活動をすることができるのです』と伝えてください」。

慈済人は、実際に能登半島の被災地に行って炊き出しを行い、時間をかけて住民と交流したことで、弱者の生活がどんなに大変かが分かりました。上人は特に、一人暮らしのお年寄りや老夫婦世帯に対して、家屋が損壊すれば、もう再建する余力はないのだから、と関心を寄せて言いました。

「高齢の被災者に対して、慈済人は相手の身になって考え、台湾での支援と同じように、『肌で感じ取ることができる』経済的な支援をしなければいけません」。

景貴師兄によると、能登半島地震の甚大被災地区に位置する穴水病院では、花蓮で地震が起きたことを知ると、台湾に恩返しするために、自主的に募金活動を始めました。能登の人々は、自分たちの家や田畑が酷く損壊していても、真っ先に長い間の貯金でいっぱいになった貯金箱や受け取ったばかりの補助金を持ち出して寄付し、台湾を祝福すると同時に、頑張って欲しい気持ちを表したそうです。そのほか、台湾に支社がある日本企業も寄付を行い、日本のコンビニチェーンは台湾の地震のための募金活動をしました。

上人はこう言いました。「トルコの地震では、慈済が支援した被災世帯も慈済の『愛を募る』募金活動に呼応し、持っていた僅かなお金を寄付していました。慈済人はその貴重な好意を功徳の海に入れました。その行いは大衆に布施する機会を与えたことを意味します。慈済は被災者や苦しんでいる人が最も助けを必要としている時に支援し、彼らは慈済の「竹筒歳月」の話とその意義を聞いて恩返しをし、一緒にこの世の大福田を耕そうとしています」。

「寄付は奉仕だと言われますが、実は福田を作る行為であり、『福の気』を集めているのです。多くの人が奉仕すればするほど、その多少に関わらず、真心で人助けする心さえあれば、『善の気』を結集することができるのです。『善の気』が濃いほど、人間(じんかん)は平穏になります。私たちは発心して寄付してくれた人々や企業、団体に対して、心から感謝の意を表すことができます。人と人の間は親切で善の交流と助け合いがなければならず、丁重に見える態度で以て距離を取ってはいけません。災害が発生すれば、片方が奉仕し、もう片方が受け取って、心から尽くすのです」。

誰の心にもある愛の祝福を募る

宜蘭の栄誉董事(略して栄董)チームが精舎に帰って来て、花蓮地震の災害支援に力を添えたい、と言いました。上人は、「災害が発生してから愛の募金活動をするのは、自然災害が人類に対する大いなる教育であり、この世は無常で、国土は脆い、という道理を示していることを大衆に伝えるためです」と言いました。

「仏陀は成道してから衆生に説法をしました。初めに苦、空、無常を説いたのは、最も真実を表している道理だからです。皆さんは常々、私が無常と言うのを聞いて、一つの名詞に過ぎないと思っているかもしれませんが、今、体得できたのではないかと思います。強い地震は突然襲って来ます。地面が揺れましたが、何の予兆もありませんでした。マグニチュード七・二の強い地震でも、私たちはこうして平穏で居られることに感謝しなければなりません。多くの仏教徒は仏や菩薩に感謝しますが、その実、私たちは衆生の『福』に感謝してこそ、悪業を転じて苦しみを軽く受け取ることができるのです」。

「花蓮の慈済人が地震発生後、直ちに行動に移し、多くの地点に奉仕拠点を設け、避難した住民のニーズに沿って日常生活の物資を提供したり、緊急支援金を配付したりしました。今でも多くの人は、家が傾いたり、損傷が激しいために帰れなくなったりしています。慈済がすべきことは、積極的に行政機関と連携して、住民が落ち着いた生活をするために、民間団体がどのようにして被災住民の生活に協力できるかを理解することです。ですから、今、慈済人は募金集めをするだけではなく、最も重要なのは、人の力、心にある愛、そして情を募ることです。つまり、善意の人であり、一人ひとりの無私の大愛を募るのです。それが「菩薩を募る」ということなのです。呼応してくれる人が多く、人間(じんかん)菩薩が増え、愛の力が大きくなれば、助けを必要としている人に奉仕できるのです」。

上人は、師兄や師姐たちが機会を逃さず、地震による無常という教育を大衆に示すことで、人心の愛を啓発していくことに期待しています。日々の積み重ねである「竹筒歳月」という方法を用いて、人々が生活に影響しない程度に、日々人助けの善意を起こすよう呼びかけてください。少しずつ続けて愛の力を貯めるという敬虔な心と行動が即ち、愛の祝福なのです。

(慈済月刊六九一期より)

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