佛の恩に浴し、自分の心を清める

編集者の言葉

去りゆく春から立夏を迎え、猛暑と豪雨が交差する中、一年一回の「灌仏会」を迎えた。西洋の賑やかな「クリスマス」パーティーに対して、仏誕節は厳かな「灌仏会」で感謝を表し、覚者が人間(じんかん)に降臨して修行を経て悟りを開き、説法したことを記念する。そして、慈済は母の日と世界慈済デーを合わせ、「三節一体」の祝福会を行っている。

この日、カーネーションの香りか灌仏会の法の香りかに関わらず、「感謝」を三節一体の中心に据え、仏恩、父母の恩、衆生の恩、天地の恩の全てに対して敬意を払い、敬虔な気持ちを新たにする。特に今の世は天災人禍が頻発しているので、灌仏会という式典を通じ、いつもと変わらない敬虔な心で以て、世界を平安の回帰に導くよう訴えている。

多くの仏教施設では、仏像に香湯を掛ける前に《浴佛偈》を唱え、同時に柄杓を用いてシッダールタ王子の肩に香湯を掛ける。これは、自らの心を潔め、「貪、嗔、癡」からもたらされる無明の塵から遠ざかることを意味している。慈済の場合は少し異なっていて、「礼仏足」、「法の香りを受ける」、「吉祥、祝福」という儀の流れに従って自分の心身を清めるのである。その実、仏は元々清浄なのになぜ沐浴が必要かというと、灌仏とは己の心にある仏性を祝福するためだからだ。

敬虔で清浄な心であれば、日々が仏の誕生日なのである。普段から絶えず法水で心を清め、清浄な本性を高めて日々善行を行うよう発心し、常に善念を持ち、あらゆる衆生に対して仏のように敬うことこそが灌仏会の意義なのである。

二○○七年より「三節一体」の灌仏会が、台北の中正紀念堂の二つのホールの間にある広場で行われるようになり、翌年からは台湾仏教界の法師たちも参加し、大衆の先頭に立って、敬虔な祈りを捧げるようになった。また、大愛テレビでライブ配信され、世界の視聴者に台湾仏教の姿と僧団の荘厳さを見せた。美と善の映像の裏には北部ボランティアの準備と奉仕があり、彼らこそが腰を低くして団体を成就させ、人々を感動させている模範なのだ。

今年の灌仏会のテーマは、「弘法で衆生を利し、信心を持って願を実践し、菜食による共善で、大地を護りましょう」である。六月号の月刊誌『慈済』では、台湾全土の専業ボランティアによる0403花蓮地震で小規模損壊した住宅の修繕に関する報道以外に、食を大切にする教育というテーマで、台南市私立慈済高校小学部が給食で食べ残しゼロの成果を上げていることを取り上げ、今時の低炭素菜食生活について紹介している。

生徒たちも、先生や園芸ボランティアの指導の下に、種撒き、覆土、水やり、そして芽が出て成長する過程から皿の上の食物になるまでの過程に参加すると、食べることの意味が以前とは変わってきた。というのは、理解して初めて大切に出来るようになるし、それぞれの食材には様々な栄養があることを学ぶと、食べ残さない習慣が身につくからだ。

世間では頻発する天災や人禍でインフレが引き起こされ、食料品価格が高騰を続けている。加えて、世界で起こっている食糧の不均一な流通と供給不足が相まって、毎年大量に発生する食品廃棄物の問題を解決することが急務となっている。食を大切にする教育は、老若を問わず、学校や社会及び全人類にとって必要なのだ。

(慈済月刊六九一期より)

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