食卓に並ぶご馳走、その食材が成長するまでを見たことがあるだろうか。自分の手で種を蒔き、発芽して収穫に至るまでを観察し、更に輸送と調理の段階を経る。
一株の野菜を食べるのは、容易なことではない。
台南私立慈済高校小学部の生徒たちは、楽しくヒユ菜を収穫し、野菜が自然の条件の下に本来の姿で育つことを知った。
「
ミミズがいるよ!」 小学生たちは、長さが三十センチ以上もある太い茎と大きな葉を付けたヒユ菜を抜きながら、互いに注意を促した。学校のテストと重なったので、園芸ボランティアが他の果物や野菜の収穫を先に済ませ、わざとヒユ菜の収穫を一週間延ばして、子どもたちに自らの手で収穫体験をしてもらった。一番美味しく食べられる収穫時期は過ぎたが、自然に成長した野菜を見るのもまた、別の意味での収穫である。
台南市私立慈済高校小学部は、校庭の片隅に小さな菜園を設け、園芸担当ボランティアの保護者と「台米エコ・キャンパス」プロジェクトに参加している高学年の生徒に、様々な果物や野菜の栽培を体験させている。毎週金曜日の午前中になると、大人も子供も軍手を付け、鍬やシャベルを手にして校庭で農作業をする。
農薬を使用しないため、葉っぱには虫食いの穴が開いているが、子供たちは、自分たちで育てたヒユ菜を手にして誇らしげに自慢した。菜園の隅には新鮮な野菜が山積みされている。園芸ボランティアは、子供たちに整地して新たに野菜を育てることを教え始めた。
白髪のお婆ちゃんボランティアは、子供たちに空心菜の種を、ヒユ菜を収穫した後の畑に均等に蒔いて、土は軽く被せれば良いと教え、三日後には、野菜の苗が頭を出ているのが見えるよ、と言った。
農作業の時間は朝八時に始まり、三十分ほどで終わった。生徒たちは収穫、整地、種まき、肥料の施し、水やりなどの手順を完了した。四月中旬に種を蒔くと、五月下旬か六月上旬頃には美味しい空心菜が採れる。農作業には汗がつきものであり、手足が泥で汚れたりもするが、皆楽しんでいた。
「このような田舎の農作業は、親が休日に畑に連れて行って見せない限り、今では体験する機会が非常に少なくなっています。しかし、私たちの学校では、遠くに行かなくてもここでそれを体験する事ができるのです」と台南市私立慈済高校小学部保護者会会長の徐栄勝(シュー・ロンスン)さんが言った。彼は息子が小学二年生の時から園芸ボランティアに参加し、親子で一緒に野菜作りをしてきた。息子はもう中学二年生だが、徐さんは相変わらず小学生に野菜作りを指導している。
「野菜作りは簡単ではありません。発芽してから成長するまで、皆さんが食べている野菜は全て、このように栽培されているのです。子供が野菜はどのようにして育つのかを理解すれば、少なくともお碗に入っているものは大切にするでしょう。食べ物を手に入れるのは容易ではないので、全部食べなければなりません」と徐さんは懇切に言った。
菜園から食卓まで、食材を得るのは容易ではない
台南市私立慈済高校小学部の校庭の片隅にある菜園には、色々な野菜や果物が植えられている。朝の30分間が農作業の時間で、園芸ボランティアの指導の下に、小学部の生徒たちは空心菜の種を均一に蒔いてから、軽く土を被せた。子どもたちは自分の手で植え、発芽から成長まで世話をすることで、食卓のあらゆる野菜が容易に得られるものでないことを体験した。
菜園で育てた食卓の野菜
多くの親は、野菜を食べさせるために子どもたちをあやすが、飴と鞭の両方を使っても、子どもたちは口を固く閉じたままか、泣くかのどちらかである。アメリカ・イェール大学の心理学部で、生後八カ月から十八カ月の赤ちゃんの前に、金属製やプラスチック製の偽の植物と本物の緑色の植物を置き、赤ちゃんが自由に選択する実験をした。すると、本物の緑色の植物には手を出さず、金属製品と偽の植物を掴んだのである。心理学者は、赤ちゃんは中毒を起こしたり、鋭いとげや綿毛などで怪我したりすることがないよう、本能的に緑色の植物を避けていると結論づけた。これは遺伝子に刻まれた生存本能なのである。
この発見から一部説明できるのは、バランスの取れた飲食は後天的な学習に頼るしかない、ということであり、もっと大事なのは食物が何処から来たのか、自分とどんな関係にあるのかを理解することである。「心に訴える」食農教育が必要なのだ。
二〇二二年四月に立法院(国会に相当)で成立した《食農教育法》には六つの指針がある。地域の農業を支持すること、バランスの取れた食事概念を育てること、食物を大切にして無駄を減らすこと、食文化の継承と革新を図ること、飲食と農業の関連性を深めること、地元の農産物を地元で販売する持続可能な農業の推進などである。教育部の奨励の下に、多くの教職員や生徒が農村、漁村、畜産牧場、食品加工工場など食と農に関係した場所を訪問し、食糧の生産過程を理解した。多くの学校は校庭の菜園で果物や野菜を育て、鶏を飼育して卵を生産しているところもあり、生徒が近くで観察し、学べるようにしている。
台南市私立慈済高校小学部の菜園での収穫量は限られている上に、給食の安全性を考え、提供基準では勝手に規定以上のおかずを追加してはならないため、菜園で取れた野菜は日常の給食では見られない。殆どは園芸ボランティアや生徒が持ち帰ったり、教員に配ったりし、一部は特別な贈り物として、学校を訪れた来客に贈ることにしている。
顏秀雯(イェン・シュウウェン)教頭は、子供たちが普段食べている果物や野菜を育て、ここが「食卓の風景が見える菜園」になることを期待している。「野菜作りをしている子供たちは、日常の食卓で食べている野菜や果物に対して、観察と記録をし、小さな種から徐々に芽が出て、成長するまでの過程が容易でない上に、輸送や調理など多くの人が関わっていることを知っていますから、この一品の料理だけでも、多くの人の努力によって成り立っていることを考えてもらえれば、一層感じるところが出てくるでしょう」。
慈済大学サステナビリティと防災学科修士課程の主任である邱奕儒(チュウ・イールー)教授は次のように指摘した。「現在の人類が直面している最も深刻な問題の一つは、食べ物がどのようにして土地から育ったのかを知らず、土地とのつながりを失ってしまっていることです。都会の多くの子供は、大地で食べ物を育てるなど想像することすら出来ません。しかし、人間と天地とのつながりが啓発されれば、自然と心から自信と安心の気持ちが生まれるはずです」。
「従って、食農教育は早ければ早いほど良く、大地から品徳を学ぶべきです」と邱教授が重みのある言葉で言った。
(慈済月刊六九一期より)