仏の恩、親の恩、衆生の恩
産んで苦労して育ててくれた親の恩、
真理を悟るよう教えてくれた仏の恩、
人としての道を歩むよう教え導いてくれた師の… Read More »
古いジーンズがニューファッションに
紡績アパレル産業は、石油産業に次いで二番目に環境を汚染する産業である。ジーンズを一本作るだけで、三千七百リットルの… Read More »
暗闇で蛍が道案内
災害に見舞われて生活が困難に陥った人は、
助けを必要としています。
彼らの一時的な困難を解決するうちに、
長期的に… Read More »
地面が痛まないようにそっと歩こう
四月三日に台湾東部の花蓮県沖で発生した強い地震は、地震に慣れている花蓮の人々を恐怖に陥れ、今も苦しめている。当日、… Read More »
インドの慈済
慈善・教育・医療。●長期ケアケース26世帯、緊急ケアケース16世帯
●シロンガ村の火災支援5世帯
●36戸のシロ… Read More »
六月の出来事
06・02
◎慈済インドネシア支部は2003年、北スマトラ州メダン市の低海抜地域に位置し、洪水被害に遭った、国立六… Read More »
この瞬間の敬虔さを忘れないように
手を合わせて
心を一つにし、
心願をかけるのです──
その瞬間の思いと敬虔さを忘れてはなりません。
日々、
時時刻… Read More »
0403台湾花蓮地震
地震の後、台湾全土で百棟以上の建物に
赤(危険)や黄色(要注意)の紙が貼られた。
甚大被災地の花蓮では、
慈済が公… Read More »
二千五百年前に始まった物語
インドのブッダガヤにある世界遺産のマハーボディ寺院は、仏陀が悟りを開いたことを記念し建てられたものである。
二千… Read More »
仏教遺跡を行き来するタイムトラベラー
慈済はさまざまな国で貧困救済や災害支援を行っているが、
それはそれぞれの縁が結ばれたことに因る。
インドのブッダガ… Read More »
能登半島地震 自らの手で見舞金をお年寄りに届ける
能登半島地震の被災者は、
市役所から慈済が「見舞金」を配付する由の通知を受け取ったが、
疑念と期待が入り交じった心… Read More »
謝罪と許し
彼女は、以前もう二度と会いたくない人だと思っていた。
五年後、私たちは互いに抱擁し、祝福し合った。
「ごめんなさい… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
グローバル慈善
證厳上人のお諭し
聞・思・修
廃棄物の春
特集
行脚の軌跡
六月の出来事
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。
20240420
高山の石地に新しい教室ができた─仏陀の故郷への恩返し
慈済ボランティアは、仏陀の故郷に長期滞在して、現地の住民たちが自助と助け合いをするよう導いている。2023年11月にネパール西部で強い地震が発生した時は、山間部の小学校でプレハブ教室の建設を支援したり、ルンビニで職業訓練を受けている女性たちが編んだ毛糸の帽子を送ったりして、生徒たちが安心して授業を受けられるようにした。
20240320
日本・能登半島地震─大雪に見舞われた半野外の仮設厨房
【台湾の慈善団体は、なぜやって来たのか】
比較的積雪の少ない能登半島に大雪が続いたこの冬、炊き出し支援を計画したのは、断水と地震被害で閉ざされた生活を送る住民に、ただ温かい食事を届けたい一心からだった。住民の感謝は親しみに変わり、慈済ボランティアとの絆が深まった。(詳細はp.64-89)(撮影・鍾佳玲)