謝罪と許し

彼女は、以前もう二度と会いたくない人だと思っていた。
五年後、私たちは互いに抱擁し、祝福し合った。
「ごめんなさい。若い頃の私は何も分かっていなかったので、単純で善良なあなたを傷つけてしまいました!」。
そう言われて、私は涙が止まらなかった。辛くもあり、感謝も感じた。
謝罪し、許しを得るには、大きな勇気が要る。

大分前のことだが、私は職場でいじめに遭った。当時、「いじめ」という言葉は、社会であまり認識されてなく、私もどのように自分を守れば良いのか分からなかった。頭で、自分を慰めたり、前世で「借り」があったのだから、早く返せば良くなると思ったりしていたが、体は正直にそれに反応し、心の中にあの事がわだかまりとなった。

毎朝目を開けて起きた時、出勤するのが辛いと感じた。会社の入り口に来ると、呼吸が苦しくなるくらいの圧迫感があった。そして、何気なく頭皮に触った時、十元玉くらいの大きさのハゲたところが見つかった。私はびっくりした。その時初めて、円形脱毛という言葉を知った。主な原因は「ストレス」である。

丁度妊娠したことをきっかけに、辞表を提出した。理由は育児に専念したいからと書いた。私はあの環境を離れれば良くなると思っていた。ところが、心の傷は潜在意識に記憶されていた。

退職して五年間、私は何度も、自分があの同僚と言い争いをする夢を見た。実生活で抑えていた言葉を夢の中で思う存分吐き出し、淚が枕カバーを濡らして目が覚めた。もう二度と彼女に会いたくない、あの同僚は私の生涯で一番恐ろしい悪夢のような存在だ、と自分に言い聞かせた。

どういうわけか、私が退職した後、相手の態度が大きく方向転換した。每年誕生日にお祝いのメッセージを送ってくれたり、祝祭日の時に必ず挨拶の言葉を送って来たりした。彼女が私の仕事を引き受けてから、私の苦楽を知り、思いやりが芽生えたのかもしれない。共通の元同僚を通じて、彼女は「心の講座」に参加してから大きく変わったと聞いた。

しかし、私はまだ彼女に向き合う準備は出来ていなかった。元同僚に集まろうと何度も誘われたが、彼女が来るのなら、私は参加を断った。ある日、同僚は私にこう言った。「みんな、母親になって、態度も柔らかくなったわ。過去の事は何とかして乗り越えなければならないのよ」と。私はやっと勇気を出して参加することにした。

五年ぶりに、私は再び自分を傷つけた人に会った。初めはとても緊張して笑顏もぎこちなく、少し震えていた。何時間か経つと、私たちの間のわだかまりは、皆が楽しそうに子育ての経験を互いに分かち合う中で、少しずつ消えていった。

会の終わりに、彼女は私を抱擁して別れを告げた。その瞬間、電流が私の体を駆け抜けるような感じがした。二度と会いたくないと思っていた人と会っただけでなく、互いに抱擁したのだ。

家に帰って間もなく、彼女からメッセージが届いた。「今日あなたに会えてとても嬉しかった!本当にごめんなさい。若い頃の私は何もわかっていなかったので、単純で善良なあなたを傷つけてしまったわ!」。

私は淚がぼろぼろと出て、抑えられなかった。淚を流したのは、遂につらい思いを分かってくれた、という思いからだった。当時、彼女は私の心に大きな穴を開けたが、彼女は誠意で少しずつ埋めてくれた。あの抱擁とメッセージが穴を埋め、傷を癒してくれた。また淚を流したのは、それ以上に深い感謝の気持ちだった。

人を傷つけても気づいていない人は多く、自分で傷を舐めて暮らしている人も多い。私は幸運だった。私を傷つけた人は自覚し、大きな勇気を持って過去に向き合い、私に誠実に謝ってくれたのだ。

ずっと心の中にあった腫れ物が瞬時にして消えてしまい、代わりに、リラックスした感じと喜びが訪れた。その瞬間、私たちはお互いに悪縁を解消して善縁を結んだのだと知った。

近頃、證厳法師の海外ボランティアに向けたある開示を聞いた。「過去に人との間に調和が取れないことがあっても、良縁を結ばなければいけません。ですから、帰宅してから気の合わない人に電話を掛けて分かち合うのです。お互いに意見の違いがあったのは、自分が悪かったのかもしれません。あなたに謝ります、と話してみてください。過去の憎しみが解ければ、心も落ち着き、わだかまりは解けるでしょう。返すべきものを返せば、人と人の間は清らかになるものです」。

人生には、時に人を傷つけたり、人に傷つけられたりすることがあるものだ。避けなければならないのは、人と悪縁を結ぶことである。自分の最期の日を思い浮かべてみよう。後の人が抱くのは私の温かさだろうか、或いは私への恨みだろうか。そうすれば、思わず自分に「仏になる前に、人と良縁を結ぼう」と注意を促すだろう。

謝罪と許しは共に大きな勇気が要る。私たちの心に愛だけが残り、恨みが無いようにしたいものだ。

(慈済月刊六八八期より)

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