暗闇で蛍が道案内

災害に見舞われて生活が困難に陥った人は、
助けを必要としています。
彼らの一時的な困難を解決するうちに、
長期的に支援を必要としている人に出会うことができます。

今年の元日、能登半島で強い地震が発生しました。日本の慈済人は一月半ばから現地で炊き出しを行い、最初の緊急援助は一月末で一段落しました。旧暦の正月(二月上旬)の後、二月中下旬からは、第二段階の炊き出しを始めました。そして、「仕事を与えて救済に代える」方式に取り組み、加えてカフェを立ち上げました。すると、被災者と医療スタッフの不安定な心も、落ち着きを取り戻していきました。

台湾チームも二月二十七日から三月十四日まで、日本の慈済人と共に奉仕と取材をし、三月二十二日に精舎に戻って報告しました。その後、日本の慈済人は、東京と大阪と、能登半島で拠点にしていた古民家をオンラインで結び、今回の活動に関して上人に報告すると共に、今後の支援について指示を仰ぎました。

上人はこう指示しました。「生計に困っている家庭や、病気の人で子供を学校に通わせる負担が重くなった家庭は、全て慈済の長期ケア対象にすべきです。日本の社会福祉は健全で、大衆の生活は全般的に裕福ですが、やはり貧しい人はいるのですから、今回の地震で、慈済人は支援を必要としている人たちを見つけたら、縁を逃さず奉仕してください」。

「私たちは慈善団体として、支援が必要な人に奉仕するのが使命であり、責任だと考えています。日本の慈済会員の数に従って、その分だけ奉仕するのではありません。慈済は国際的な人道組織ですから、被災して困難があって、助けを必要としていれば、駆けつけます。緊急援助を行ってこそ、長期的支援が必要な人に出会えるのです」。

「私たちは行動で以って奉仕し、人々にこのような団体があることを知ってもらうのです。何事も『蛍が道案内する』ように、蛍の光がどんなに弱くても、暗闇では人の目で見ることができ、誘導することで徐々に結集して力は大きくなり、元々は狭かった道が大道に切り開かれるというものです。慈済が世の中を照らす光を明るくし、人間(じんかん)菩薩を導くためにしていることは、募金集めだけではありません。その主旨は心を募ることです。暗闇の中で蛍の光が見えるようにするには、蛍の群れが必要であり、あらゆる蛍が元気を出せば、光が強くなり、道案内ができるのです」。

「私たちは先ず現地を見て、よく考えてから支援を行動に移しています。台湾であれ日本であれ、皆が一致協力して、生活に困難をきたしている人や高齢者、行動が不便な人に生活上の支援を提供するのです」。

許麗香(シュー・リーシアン)師姐は慈済日本支部を代表して、上人が日本の弱者を思いやり、現地の志業に大きく力添えしてくれたことに感謝しました。「私は遍く世の衆生を大切にします。もっとボランティアを募らなければなりません。日本の慈済人は、後続の支援を準備する一方で、自分たちの肉親や友人たちに慈済が支援活動に乗り出していることを話し、皆で善行するよう呼びかけるのです。そして、慈済がこの六十年近くの間にやってきたことを話し、人々に慈済の会員になるよう励ますのです。要は、人心を浄化して、正しい方向に菩薩道を歩んでくれるように願っているのです」。

「仏陀の故郷に恩返し」プロジェクトの価値

三月五日、「仏陀の故郷に恩返し」プロジェクトに投入しているマレーシアとシンガポールの慈済人たちが精舎に帰り、上人に報告しました。上人は、それに応えて言いました。

「皆、師父の心願を聞き入れ、私の心の声と共鳴して、積極的にネパールのルンビニとインドのブッダガヤで奉仕してくれています。以前から貧しい生活をしてきた住民を助け、仏教の正法を仏陀の故郷に回帰させていることに感謝します」。

「私たちが今世で願力を発揮して成し遂げれば、未来へと続き、未来の人が今の歴史を目にすることができます。彼らもその方向に則って更に引き継いでいくでしょう。仏陀の故郷の人々が心身ともに安住し、安定した良い生活ができるようになれば、仏陀の正法が世に根付いたと言えます。これこそ私たちが今このプロジェクトを始めた価値なのです」。

インド・ブッダガヤに建てられるシロンガ大愛村は、二月二十五日に起工式が行われ、六カ月後に完成する予定です。「これが起点となり、慈済の決意を現すことになるでしょう。先ず現地の最も貧しい人たちの身と心を落ち着かせ、生活を安定させなければなりません。彼らが安心して生活ができるようになった姿を目にすれば、他の人たちにも期待が高まります。彼らがニーズを示せば、慈済はそれに応えることができ、村全体を完璧なものに建て替えることができるのです」。

「現地の人々が、慈済は心から貧しい人が安住できるように、安定した生活ができるようにと願って助けているのだと分かれば、自信が湧き、皆が結集してより大きな力となるのです。そして、彼らの一人ひとりが慈済の会員になることを期待しています。募金は目的ではなく、彼らが慈済と自分との繋がりを見つけるための方法です。そこから慈済を自分の人生の方向として受け入れ、仏法が正しい道であると確信すれば、菩薩行を現地に根付かせることができるのです」。

(慈済月刊六九〇期より)

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