人生の棚卸し

人間(じんかん)を利することや分かち合う価値がある善行を、どれほどしたのか、自分の人生を振り返ってみて、自分に感謝しましょう。

幸福な人生にあっても、大衆を幸福にする

八月二十一日、マレーシア・セランゴールの慈済人は、ネットを通じて上人と懇談しました。上人は、異なる民族や宗教のボランティアたちとクアラルンプール慈済国際学校の教師たちに対して、皆共に同じ天と地の間に住んでいるのですから、一つの家族なのです、と言いました。

「言葉や信仰が違っていても、心は通じ合い、人それぞれの真心と気遣いを感じ取ることができるのです」。

また上人は、知識の伝授はとても大事ですが、人心が善に向かうよう指導することはもっと大事です、と強調しました。

「教育を受けられるのはとても幸福なことですが、一人一人の愛を啓発できてこそ、真に幸福がもたらされるのです。幸福は個人のことですが、幸福をもたらすのは大衆のためです。愛のある人がお互いに影響し合い、励まし合い、同じ方向に向かって努力すれば、人間(じんかん)を利することができます」。

上人は、マレーシア全土の慈済人が互いに励まし合って菜食を推し進めるようにと励ましました。

「マレーシアで菜食の勧めを行うのは難しくないと思います。というのも、中華系の人は信仰を持っている人が少なくなく、仏教でも、道教または民間信仰であっても、皆同じ考えを持っており、平穏な人生を求めるなら菜食を長く続けることです。少数の人だけが行うのではなく、大勢の人が菜食をしてはじめて災難は無くなり、世に平和がもたらされるのです」。

ある師姐(女性ボランティア)が著名なサッカー選手であるリオネル・メッシが菜食主義者であることに触れると、上人はこう続けました。

「少なからぬスポーツ選手が菜食主義者であり、それでも体力と持久力を充分に持っているのです。従って、菜食だからと言ってタンパク質が不足することを心配する必要はありません。偏食さえしなければ、五穀雑糧は人類に充分で均衡的な栄養を与えてくれています。肉食者は逆に体の健康を損なうと共に、万物の平和を損ない、環境を大きく汚染しています」。

人類であれ、動物または植物であれ、全てに生きる権利があるのです。世の生命を愛護することは、最も純粋で誠意のある愛の心の表れなのです。この真心からの愛は、清浄無垢な善の念であり、それが菩薩の心なのです。真心からの無垢な菩薩心を発揮して、この世に貢献できれば、この人生はとても価値のあるものになります。

「私たちは自分の人生の棚卸しをすべきです。この一生で、世の中をどれだけ利したかを振り返り、それらが本当に良いことだと感じるのなら、自分の人生に対して感謝する価値があると思います。人生を回顧し、人と分かち合う良い出来事であるなら、それは貴重な生命の歴史だと言えるでしょう」。上人は、誰もが真剣に生命に向き合い、時間を大切にして人間(じんかん)に尽くすよう、諭しました。

毎日が新たな歴史

精舎の改築工事に何度も協力してきた北部の慈誠師兄(男性ボランティア)たちは八月二十二日、精舎に戻って、精舎の師父(たちと「協力工場」(師父たちの自力更生工場)の工事について意見を交わしました。

上人によれば、その師兄たちは九二一地震の後、大愛村や希望工程(学校建設)に携わりました。恒久住宅と学校の建設が完了して、仮設建築が用を成さなくなった時、彼らは丁寧にそれを分解して、建材を回収しました。再び各地のリサイクルステーションや必要としている所で組み立てるため、ネジ一本でも大切に回収しました。その物質の寿命を大切にする精神と作法は、慈誠隊の素晴らしい伝統です。

師兄たちはそれぞれ事業を営んでいるのですが、志業のために時間と精神を割き、自ら投入しています。「命ある限り、我々は自分の人生に価値のある歴史を残し、最期まで尽くします。慈済との縁は途切れることなく、菩薩道を歩む心意気は永遠に存在し続けます」と彼らは言いました。

上人は、師兄たちがいつも時代のニーズに即応し、「請われざる師」となって、私を安心させてくれています。これこそが師匠に対する最高の供養です。皆さんが勇敢に責任を担い、積極的に見返りを求めない精神で奉仕することに期待しています。細心と心した方法を次世代に伝えると共に、彼らの模範となって一緒に事を成すことで、感じてもらうと同時にその精神を力として結集させるのです。

上人はこう言いました。「慈誠として認証を受けたのなら、慈誠隊の精神を持つべきです。さもなければ、名称にしか過ぎません。慈誠精神がなければ、何をしても喜びは感じられません。それは法が心に入らず、生命とかけ離れており、奉仕しなければ何も感じないため、法喜に満ちるということが理解できないのです。「あなたたちは行ってきた慈済志業の話をする時、喜びに満ちています。それは自ら行ったからであり、記憶に深く刻まれ、奉仕した後の法喜が今もなお心に残っているからです。一人一人が分かち合う慈済の出来事は全て、貴重な歴史の一幕であり、皆は毎日歴史を作っているのです」。

上人は、年配の師兄たちが健康と体力に気をつけ、老いたと思わず、引き続き慈済の活動に参加し、身でもって人の先頭に立ち、見返りを求めない奉仕で得られる軽やかな喜びを感じ、末長く投入するよう、励ましました。


(慈済月刊六五九期より)

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