「慈済ものがたり」は、B6判の大きさで百十二頁という、軽くて持ちやすい月刊誌です。一九九六年五月から二〇二一年十二月まで、毎月予定通り発行してまいりました。すでに二十五年の年月を積み重ね、このほど円満に三〇〇号を迎えることができました。この金字塔とも言える不滅の業績は、簡単に成し遂げられたのではありません。中国語の月刊誌を日本語に翻訳するというこの作業に携わってきたのは、今では七十歳台、八十歳台となった年長者たちなのです。その中でも、「慈済ものがたり」の生みの親であり、翻訳に精魂を傾けてきた人物は、親しみを込めて「杜(ドゥ)ママ」と呼ばれる杜張瑶珍(ドゥ・チャンヤオツン)大姉(たいし)その人なのです。今年で九十五歳ですが、この月刊誌の発行に心血を注いでこられました。毎週日本語の勉強会に参加し、毎月の原稿の翻訳から校閲校正までお手伝いしています。楽しいから続けるというその姿勢は年齢を感じさせず、白髪をたたえて世の中を見通す眼差しは、澄み切った青空のように涼やかです。
この月刊誌翻訳ボランティア日本語組のメンバーは皆、日本統治時代に日本語教育を受けた年長者たちで、特に杜ママは、七十歳の時に日本語のワープロ入力を学び始めたのです。人手が足りない中、お嬢さんに教えてもらいながら、一字一字探してキーボードを打っていたそうです。日本からの訪問者があった時も、杜ママが流暢な日本語で慈済の紹介をしてくれたお陰で、訪問者は心にしっかりと印象を刻むことができました。
「慈済ものがたり」が誕生したのは、東京支部を設立した頃に遡ります。当時は日本に不法入国して滞在する中国人や、事故にあった観光客に対応するのが主な役目でしたが、路上生活者へ温かい食事を提供する活動もしていました。杜ママは、それらの活動報告を日本語に訳していたのです。しばらく続いていることを知って、私は彼女を励まし、その記録を一冊にまとめて、毎月日本の皆さんに慈済を紹介してほしいと言いました。電車の中でも読めるように、ポケットに入る文庫本ぐらいの大きさにしました。
彼女がこの言いつけを忘れずにいたことに感謝しています。彼女の呼びかけで、三宅教子さん、陳靖蜜(チェン・ジンミー)さん、羅美麗(ロ・メイリー)さんら多くの菩薩の皆さんが、翻訳ボランティアとして日本語組に参加してくださったので、一九九六年五月に創刊号が発行されました。月日が流れるにつれ、離れる方もあり、新しい方の参加もありましたが、九十五歳の杜ママが日本語チームを支える中核的な存在になっている他、陳植英(チェン・ヅーイン)居士と黒川章子先生が順次参加されました。翻訳ボランティアは、毎週火曜日の午前中に台湾台北市北投区の関渡にある人文志業センターの一室で勉強会を開き、翻訳について討論したり、「慈済ものがたり」を読み返したりしています。お互いの考えを共有しコンセンサスを得ることで、共に精進するようになり、間違えることのないよう心して取り組んでいます。誠に敬服の念に堪えません。
全ての作業は時を経て積徳となり、今、翻訳ボランティア日本語チームの皆さんは、「慈済ものがたり」三〇〇号の発行を迎える喜びを噛み締めていらっしゃることでしょう。並大抵の決心と意志の力ではできないことです!私、證厳は謹んで無量の祝福を捧げます。この日本語版月刊誌が重要な役割を持って、これからも日本でボランティアを志す方々の目にとまり、連なる島々のように台湾と愛で繋がっていくことを切望しています。そして日本の会員の方々が精進なさる時に、法を聞く典拠として手元に置いてくださるようにと願っております。