日常的な善行 幸福な日々

(絵・林順雄)

日々、善の念を起こすのは、自分に幸福をもたらすためです。 誰もが善行することができ、 河に水が少しずつ注がれて大海に流れ込むように、 無限の力が集まって人助けができます。

一年以上経っても新型コロナウイルスの感染は終息せず、多くの国では封鎖措置が延長され、生計に影響が出た家庭は困難に陥っています。慈済人は困窮者への配付を止めることなく、様々な方法で苦難に喘ぐ人々の玄関口に届けています。フィリピンのジプニーや三輪車の車夫は、乗客の減少で失業に追いやられていた矢先に、慈済の支援を受け、感謝しています。その時から車に菜食を勧めるステッカーを貼り、竹筒貯金箱を持ち帰って、人助けに貯金しています。

オンラインで慈済人のこれほどにも誠実な愛の報告を聞くと、幾千万もの感謝の念が私の心に湧き上がるのです。菩薩と呼ぶべきボランティアたちが苦難の中にいる人たちを救っていることに感謝し、苦労して生計を立てている運転手たちが良語ステッカーで奉仕していることに感謝します。これら愛のある人たちは豊かでなくても、喜んで布施しているのを見ると、心が打たれます。慈済も五十年前は同じように「無」から、即ち、五十銭の竹筒歳月から始まりました。今ではあらゆる国の慈済ボランティアたちが、一歩一歩、私よりも深く足跡を残し、私よりも着実に歩いています。もし、この菩薩たちがいなかったら、どうやってより遠くへ、より広くこの世に幸せをもたらすことができたでしょうか。

今回のコロナ禍にあって、人心の美と本性の善を目の当たりにしました。多くの人が全力で、心から喜捨して慈済を支持してくれています。台湾は世界に尽くし、世界も台湾に愛を寄せています。新型コロナウイルスのワクチンは非常に高価ですが、今この時に購入するのは、人を救うためです。私は人々には愛があることを信じ、私たちが動けば皆が手を差し伸べてくれると信じています。世界各国の慈済人は、色々な方法でバザーを催し、慈済病院の幹部スタッフたちは発心して奉仕し、数百元、数千元、または企業家たちからの献金もあります。私はこれら一点一滴に感動し、感謝しています。もし、これらがなかったら、今日の慈済はなかったでしょう。

近頃、新型コロナウイルスのワクチンが次々と到着しています。青少年から接種が始まり、中高齢者も接種していますが、あらゆる年齢層に行き渡ることを期待しています。各地の静思堂は接種会場として場所を提供し、ボランティアが人力を投入しています。もっと感謝したいのは慈済の医療志業体制で、医療チームが第一線を守り、ワクチン接種に動員していることです。皆が金銭と力を注いでおり、今回の感染拡大では、慈済は本当に台湾に尽くしていると感じています。

世界各国の慈済人は、意欲的に台湾を護ろうとしており、私たちもまた真心をもって、皆で幸せになるよう斎戒菜食をしています。一人一人善行することができ、毎日発心して竹筒貯金箱に硬貨を入れることで、善の気持ちが自分に幸福をもたらします。水が少しずつ河に入って大海へと流れこむように、無数の善の力が集まって人を救うのです。

この世にあるのは全て生命共同体であり、この時代に地球村に集まっているのです。科学技術を通して広く世の生態を見れば、尚更、自分が幸せに満ち足りていることを感謝しなくてはなりません。

裕福な国では生活が豊かで、食物も食べ残しも捨てるものも多いのです。しかし、貧しい国では飢餓に苦しむ貧しい人々は、美味しいご飯の味さえ知らず、お腹いっぱいの食事を楽しむことはできません。

現代はメディアや情報通信が発達し、「指一本」で世の中のことが分かるのですが、苦難にある人がこれほど多いことに気がつかず、自分とは無関係だ、と見ても見ないふりをしています。世界の人口七十数億人のうち八億人余りが飢餓に苦しんでいます。もし、私たちが、多くの人が飢餓で生死の境を彷徨っていることを知り、十人が皆、ご飯を一口減らせば、それがお椀一杯分となって、一人のお腹を満たすことができるのです。

食べる量を少し減らして、食べ物を無駄にしないようにすることは、普通の人にとってさほど難しいことではなく、それで飢えに苦しんでいる人たちが安心して暮らせるのです。自分を過小評価してはいけません。お金持ちだけが善行できるわけではなく、善意の心で喜んで布施すれば、世の中の人を幸せにすることができます。考え方を一転させるだけで、世の中が太平になるのです。苦難の人たちを助けるだけでなく、社会に平和をもたらします。というのも、人々の貪欲の念を反転させることで、愛の慧命が育つからです。

無常はどんな時にもやって来ます。疫病だけでなく、気候変動、四大元素の不調和で、高い所から土石流が流れ、凄まじい山火事が生活を脅かし、瞬時にして禍がもたらされて、人々は極限的恐怖に襲われています。人口の多い地球では、生活習慣が自然生態を破壊していますが、全ては享受するためであり、受けとるだけを楽しむ生活はいつまで続くでしょうか?たとえ財があっても安心できないのは、それでも足りないと考えているからです。

毎日、世の中のことを見ていると、焦りと憂鬱な気分になり、言葉では言い表せません。こんな気持ちが続くと、大きな気力をもって話をしなければなりません。しかし、私は常に「この身を尽くして世に報いる」と自分に言い聞かせています。誰もが清浄無垢の大愛を啓発して、衆生が共に菩薩道を歩むことを願っております。

時は飛ぶように過ぎ去り、止めることも遮ることも捕まえることもできません。ただ精進するのみです。もし、その場にとどまっていたら、時間と共にこの生命は消え去ります。絶えず人間(じんかん)に光明をもたらし、苦難に溢れる暗がりに希望の光を灯して、人々を導くのです。病や苦難にある人たちに一杯の水と一握りのお米を与えれば、困窮を乗り越え、人生を翻すことさえできるのです。全世界が平安に共生し、人々に業を造る欲念を起こさないように呼びかけ、自分がこの世に尽くした証を記しましょう。どうぞ精進してください。


(慈済月刊六六〇期より)

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