緊迫した第二波のコロナ禍・多方面からの支援

コロナ禍が前回のピークを超え、医療物資が不足する中、支援物資をインドネシアに運ぶため、慈済インドネシア支部のチャーター機が7月24日、広州に降り立った。(写真提供・花蓮本会)

コロナウィルスの流行は七月にピークを迎えたが、八月上旬の一日あたりの感染者数はまだ、二万から三万人であった。

慈済は防疫センターを開設し、治療と隔離の支援を行った。

集会所や病院、学校を開放し、スピーディーに市民へのワクチン接種を実施した。

五千台の酸素濃縮器や七百万世帯向けに米などの物資を配付した。

インドネシアでは五月のラマダン明けの祝日に伴って帰省ラッシュが起き、デルタ変異株の感染が急速に拡大し、第二波のコロナ禍を招いた。六月中旬から一日の感染者数が記録を更新し続け、七月十七日には一日で五万人超に激増し、コロナ禍が急拡大して以来の最高記録となった。八月に入っても一日に二万から三万人の感染者が出た。緊迫した状況の中、政府はワクチン接種を加速させると同時に、七月初めからジャワ島とバリ島で緊急活動制限が発令され、全面的に在宅勤務やオンライン授業に切り替えることになり、飲食店のイートインは禁止され、基盤サービスに関わる業種のみが営業を許可された。

インドネシア慈済総合病院は、慈済が海外で建設する初めての総合病院で、まだ建設中だが、コロナ禍でのニーズに応えて、出来上がった病院後方棟の九階に防疫センターを特設し、五十六の病床と新型コロナウィルス感染症専用オペ室、医務室、ICUやCTスキャンなどの設備を整えた。今年六月十四日の開設後、満床状態が続いている。医師は診察を通して、軽症患者に薬を処方し、自主隔離を勧めている。中等症や重症患者はすぐに治療するか他の病院への転院を勧めている。

インドネシア慈済病院の事務総経理である黄礼春(ホワン・リーチュン)氏は「防疫センターにはもう空きがありません。多くの患者は恐怖のあまり、どうしても入院したいと訪れますが、実際、彼らの症状はそこまで悪くありません。この方面については、本当に必要としている人に病床を空けてもらうよう、もっと情報を流す必要があります」と言った。

43歳のタクシー運転手、イマンさんはお客さんを載せるたびに感染を心配していた。無料でワクチンを接種できるという政府からの知らせを受け、チェンカレン慈済大愛学校で接種を完了した。(撮影・Arimami Suryo A.)

喜ばしい双子の誕生

感染者の受入れの他、防疫センターの専用オペ室は産婦人科と外科のためにも提供されている。防疫センター初めての患者は、双子を妊娠していたミタさんであった。彼女は夫のトミーさんと二〇一七年に結婚し、三年後ようやく子どもを授かった。友人のすすめで「チェンカレン大愛村」にあるインドネシア慈済大愛病院で妊婦健診を受け、アンドリー医師の診察で双子の妊娠だと分かった時は、驚くと共に喜びに溢れた。

六月初め、妊娠七カ月目に入ると、ミタさんは頭痛や吐き気を感じるようになった。彼女は国の健康保険を使ってコミュニティの健康センターで受診すると、血圧は二百もあり、アンドリー医師により妊娠中毒症と診断された。直ぐに治療しないと、てんかんの発作につながるかも知れず、妊婦と胎児の双方に命の危険があったため、可能な限り早く出産させることが最善策であった。ミタさんは臨月ではなかったが、双子ということもあり、医療チームは帝王切開での出産を勧めた。

図らずも、ミタさんは手術前のコロナ検査で陽性反応が出た。大愛病院にはコロナ患者専用の手術室がなかったため、他の病院を当たるしかなかった。彼らは多くの病院に支援を求めたが、どこも満床の状態だった。幸運なことに六月十四日にちょうどインドネシア慈済病院の防疫センターが開設され、アンドリー医師の紹介の下、ミタさんはインドネシア慈済病院の患者「第一号」となった。

六月十五日、ジャカルタ時間の夜九時、小児科医二名と産婦人科医一名及び麻酔科医一名によって帝王切開手術が行われ、ミタさんは可愛い双子の男児を出産した。それは緊迫したコロナ禍に届いた吉報であった。

三カ月前、トミーさんはコロナ禍でリストラされていたため、慈済が医療費を全額援助した。トミーさんは、「大愛病院と慈済病院の先生の方々、そして慈済に感謝します。天が授けてくれた奇跡です」と語った。

慈済防疫センターの他に、慈済大愛病院別棟の看護師宿舎も未使用であったため、コロナ禍での緊急ニーズに応じて隔離施設として提供し、軽症患者の隔離に使われている。二階から四階までは自宅隔離者向けで、六十三人を収容でき、五階は感染した慈済職員専用エリアとして使用している。

大愛病院防疫チームリーダーを務めるアドリアヌス医師によると、病院宿舎の一階に設けた臨時の陰圧室は十二床あり、そのうち成人向けが十床、子供向けが二床、また大愛病院の救急外来には十一床あるので、合計二十三床のコロナウィルス患者専用病床がある。

インドネシア仏教慈済病院防疫センターは6月14日に開設された。初めての患者は、コロナウイルスに感染した妊婦(中央)で、15日に双子の男の赤ちゃんを出産した。(上の写真撮影・Arimami Suryo A.・左の写真提供・インドネシア仏教慈済病院)

この難関を乗り越える

一日も早くコロナウィルスの流行を抑えるため、インドネシア政府は大規模なワクチン接種計画を実施し、「一日百万人のワクチン接種」という目標を打ち出した。慈済インドネシア支部は二月から支部にある静思堂とその向かいの百貨店の広場、大愛学校の三カ所のワクチン接種会場に接種サービスを提供しており、各会場で一日あたり千人のワクチン接種の目標を定めた。市民が快適且つ安心して接種してもらえるよう、会場では一メートルの座席間隔を確保し、接種希望者に身分証を提示してもらい、同意書にサインした後、医療スタッフが血圧と体温を測って、健康状態の問診を行った。このようなプロセスを経て、接種資格があることを確認してから接種ができるのである。

慈済大愛病院も大愛学校の建物内で、ジャカルタ西区に居住する市民を対象にワクチン接種を行った。市民が教室内で密になるのを避けるため、教室の外の廊下に並び、一回に五人が教室に入って接種を行っている。一日あたり六名の大愛病院の医療スタッフと十八名のボランティアが、共同で作業にあたっている。

インドネシア政府の計画によれば、国慶節の八月十七日までにはジャカルタでの接種率が九十%以上に達し、慈済インドネシア支部も九月には三十万人への接種を完了する予定である。ジャカルタ以外の慈済支部も政府に呼応して、市民を対象にしたワクチン接種サービスを提供している。七月末までの統計によると、慈済が設置した十二の接種会場で十一万四千六百人以上が接種を終えた。

レストランで働くレナ(Lena)さんはこう語った。「普段から多くの人と接触するので、レストランの規則として、自分そして周りの人々を守るために、従業員は全員ワクチンを打たなければなりません」。また、市民のフェンディ(Fendi)さんは「アッラーに感謝します。ワクチンを打ったので安心して仕事ができます」と言った。

去年三月初めにコロナウィルスが流行してから現在に至るまで、慈済インドネシア支部は実業家と協力して三度の募金活動を行い、貧しい人々を支援してきた。今年七月からは七百万世帯を対象に三万五千トンの米を配付し、五千台の酸素濃縮器を、航空便と船便を使って海外から取り寄せ、緊急に公立病院の医療体系を支援したことで、死亡率低下の効果が現れ、患者の危機を救った。


(慈済月刊六五八期より)