詩人アリママ 人生の変奏曲を朗読

ヨルダン

— あなたのおかげで、私は再び希望を抱くことができました。

— あなたのおかげで生きていけるようになり、家族の幸せに恵まれました。

— 溢れるほどの愛で私の悲しみを拭い去り、

— 私の全ての重荷を背負ってくれたあなたは、母親のような存在です。

長男をシリアの戦場で亡くし、血のついた彼の服を抱きしめながら、アリママの心は悲痛に暮れるばかりだった。

彼女はヨルダンの慈済ボランティアの支援により生活から立ち上がり、遥か遠くで自分の悲しみを理解してくれている證厳法師に詩を書いた。

六十歳のイスマハン・アル・マスリさんは「アリママ」と呼ばれている。 アリママは人前に出る時は、いつも黒い服を着ている。幾たびも人生の変遷を経験してきた彼女であるが、とても落ち着いた物静かな人である。慈済ヨルダン支部で活動が行われる時、彼女はいつもシリアと隣接した国境の町ラムサから首都アンマンまで長距離バスに乗ってやって来ては、いつも静かに最後まで参加していた。時に慈済ボランティアは、彼女の苦労を見かねて交通費を補助しようと申し出たが、彼女はいつも遠慮がちに断った。

二〇一九年のラマダンの期間中、アリママはいつものようにアンマンへバスでやって来た。その日は慈済ヨルダン支部がボランティアを招いて映像収録テクニックに関する勉強会を開いた。アリママはいつもと変わらず静かに耳を傾けていたが、勉強会が終わった時、黒い服をまとった彼女は席から立ち上がって、人々のために詩を朗読した。

自作の詩を朗読し、慈済人のために祈るアリママ(左)。2019年、慈済ヨルダン支部のボランティアは、この文才溢れたシリア人の母親に初めて出会った。(写真提供・慈済ヨルダン支部)

愛の殿堂を築くために、
我々を守ってくださる慈悲心
平穏無事を祈ります
遠くから我々の不幸を見守って
くださる、その慈しみの目
平穏無事を祈ります
愛をもって我々に差し伸べる手
平穏無事を祈ります
喜びと共に善行を行い、
衆生の生活を潤す源
平穏無事を祈ります
希望の種を蒔き、人の過ちを
寛容に受け入れる、その笑顔
平穏無事を祈ります
我々の痛みと悲しみを
取り除いてくれる人
平穏無事を祈ります
切実な眼差しで貧しい人々を
ひたすら見つめる人
平穏無事を祈ります
遠くからやってきて、
悲しみと苦しみにくれる家族に
希望の光を照らす人
平穏無事を祈ります
あなたの慈悲深い心に祈ります
我々の愛と感謝を捧げます

—イスマハン 二〇一九年、慈済人に捧げる詩

目の前にいるこの一人の主婦がこんなにも豊かな文才を持っているとは、誰も思いもよらないくらい、その朗読は美しく響いた。 

母親の心では子供はまだ逝っていない

アリママの家族は、元はシリア南部の豊かな農業都市のダラアに住んでいた。皆善良で素朴な人が多いその街で、実直な商人であるアリママの夫ムサ・アル・マスリ氏は、鍛冶屋を経営していた。夫婦は二人の息子が鍛冶屋の事業を引き継ぐことを望んでいた。

二〇一一年三月、シリアに内戦が勃発すると、ダラアは混乱に陥り、街が敵軍に包囲されるという噂が広まり、夫婦は最も近いシリア南部の隣国ヨルダンに家族全員で逃がれようと考えたが、長男のアリはそれを拒んだ。そうやって一年余り我慢した後、アリママと夫は故郷を捨てることを決心した。次男と長男アリの二歳の娘、そして妊娠六カ月のアリの妻を連れてシリアを離れた。二十四歳のアリは故郷に留まって、自由軍に参加し、戦場に身を投じることを決意した。

ヨルダンにたどり着いた一家は、それぞれ違った家庭に寄宿したり、一時はザータリ難民キャンプに入ったこともあった。他人の家に身を寄せる生活は容易ではなかったが、長男を心配する気持ちに比べると小さなものだった。二〇一三年七月、アリママの夫は、息子のアリとの生活を選んで、危険を顧みずシリアへ戻ることにした。しかしその二カ月後、最も受け入れがたい知らせが突然、家族の元に届いた。

二〇一三年九月二十八日は、アリママにとって生涯忘れられない一日となった。戦場で亡くなったアリを仲間が葬儀を執り行ってくれたのだ。夫がヨルダンへ戻って来る前にアリママは、殉難した息子の着ていた服が欲しいと夫に言った。夫はそれを持ち帰り、彼女は血の付いたズボンをしっかりと抱きしめ、果てしなく悲しんだ。

「彼女は血の付いた服を抱きしめて、私たちの前で泣いていました。息子が着ていた血の付いた服の匂いを嗅ぎ、香水よりも良い香りだと言いました。その情景は実に悲しいものでした…」とヨルダンの慈済ボランティア陳秋華(チェン・チュウフア)さんが、初めてアリママに会った時の心が引き裂かれそうな悲痛な雰囲気を再び蘇らせながら、ゆっくりとその時の情景を振り返った。

当時、既に半年以上ラムサに住んでいたアリママ一家は、慈済と現地の慈善団体が協力してケアしていた。慈済ボランティアはその家族の息子の不幸を聞いて訪問した。その時から長期的に支援するようになり、彼らの医療費や経済的な負担を軽減して来た。

それ以来、慈済ボランティアは毎月、そこを訪れている。アリママは、次のように言った。「慈済のように私たちに安心感を与えてくれた人はいません。慈済は、戦争が原因で私たちにもたらした病気や痛み、精神的な苦痛を慰めてくれました」。アリママも徐々に慈済人の後について善行するようになった。二〇一八年二月、台湾の花蓮で発生した大地震は世界中に衝撃を与えた。そのニュースはヨルダンにも伝わり、アリママはリサイクルした布で手提げ袋を縫い、チャリティーバザールで売って得たお金を慈済に寄付した。その他、毛糸の帽子を作って、難民の子供たちに寄付した。

二〇二一年の年末、ヨルダンでコロナウイルスの感染拡大が第四波のピークに達した。アリママは十一月末に感染したが、十二月中旬になって慈済に助けを求めた。幸いなことに投薬と酸素マシンを併用したことで、無事に回復した。彼女はボランティアが毎日、気遣ってくれたことに感謝し、その時からラムサで慈済人の手伝いをするようになった。どこかの家族が感染したと聞くと、彼女は末の息子に感染者の記録や酸素マシンを届ける手伝いを頼んだ。

2018年2月、台湾の花蓮で強い地震が起きた時、ヨルダンにいるシリア人のアリママ(右)はチャリティバザールに出品する手袋を縫い、慈済の災害支援に寄付した。(撮影・陳秋華)

心の傷は深く沈んで痛むが、愛は創作の源

アリママは物書きだった父親の才能を受け継ぎ、その文章力は人々を感動させた。故郷にいた時、彼女は自分の書斎を持ち、さまざまな書籍を収集していた。結婚してからも家族の生活を一字一句記録していた。「絶えず頭に浮かんだことを全て書き留めていました。それが私の人生でした」。残念なことに沢山の作品は燃えてしまったが、全ての創作はアリママの心の中に生きている。

彼女は五歳の孫娘を連れ、慈済のベストを着て、人々に混じってボランティアをしている。彼女の話は多くの人に感動を与えている。證厳法師からいただいた祝福の手紙を大切に保管しているのは、千里の彼方で彼女の気持ちを分かってくれる人がいるからだ。彼女も法師のために詩を書いて捧げた。

夜の暗闇が私に覆いかぶさった時、
あなたは明月となって
私を照らしてくれました。
太陽は最愛のあなたがいてくれることで、
私たちに輝き続けてくれています。
あなたは希望を取り戻させてくれ、
私の生活と家族に
幸福をもたらしてくれました。
愛に満ちた心は私の悲しみを
拭い去ってくれました。
あなたは私のあらゆる重荷を
背負ってくれた母親であり、
あなたは
果てしなく広い心を持ったお方です。
毎日呼びかけて
衆生に愛と安心感を与え続けています。
私は心を尽くして
自分の両手で善の種を蒔き、
あらゆる場所が緑に変わるまで、
私たちは善と愛、希望を植え続け、
代々受け継がれるよう願っています。

あれから九年、慈済ボランティアはラムサ地区にいるシリア難民の家庭を訪問して、ケアを続けている。アリママの父親、彼女そして夫の白内障手術費用は全て慈済が支援した。また、慈済はアリママの弟一家が難民としてドイツに安心して移住できるよう、航空券も提供した。

「人生で最も困難な時に、慈済は私に無償の愛を与えてくれました。私はもう慈済の一員です。困っている人に出会ったら、直ちに手を差し伸べます」とアリママは、残りの人生をかけて、法師の教えを守って歩んでいく、と発願した。

アリママの心には、いつも息子アリの栄光と誇りが煌めいている。我が子を失った痛みは癒えないかもしれないが、彼女は悲しみを力に変え、同じような経験をした多くのシリア人の母親たちに勇気を与え続けている。人生はこだまのように、愛を奉仕すれば、愛が返ってくる。アリママは未来と向きあい、「我々の心と全世界がより美しくなるように!」と感謝の気持ちで祈りを捧げた。


(慈済月刊六七〇期より)