家族の間で

「愛は相手に求めるものではなく、自ら奉仕するものである」。

簡単な言葉だが、実践するとなると簡単ではない。家族の間でどう会話し、話に耳をどう傾け、どうすればもっと思いやることができるか、それら全てが課題である。

顔を合わせる度に善の因縁を植え付けるのだと自分に言い聞かせるべきであり、善い言葉こそが善い因縁を結ぶのである。

私は何年も写真館に行っていなかったのだが、先日久しぶりにプリントに行くと、店主は私を見て喜び、笑顔を浮かべた。先ず私の近況を尋ね、我が家の息子が結婚したことを知ると、昔を辿るように彼の息子さんの話をしてくれた。息子さんは二年も正月に帰って来ることはなく、メールも受信拒否になっていて、携帯電話に掛けても出ないのだそうだ。店主夫婦が大晦日に寂しそうに食桌に向かう光景が思い浮かんだ。

店主には息子さんが二人いる。上の息子さんは三十歳代で、背が高くてスマートなエンジニアであるが、結婚したがらない女性と付き合っている。彼女が香港へ行けば、彼はその後を追い、アメリカヘ行けば、旅費を工面してでもアメリカまで追いかけて行った。そして両親に何も言わず、最後は仕事を辞めてイギリスに長期滞在する計画を立てた。間もなく、何年も働いて苦労して貯めた貯金を使い切ると、百万元余りを借金した。

この二年間はコ口ナ禍のこともあり、息子は台湾に戻っては来たが、また問題を起こして、安定した仕事に就いていない。心配が絶えない店主はやっと息子と対面したが、互いに幾らも言葉を交わさないうちに腹を立て、スマホを投げ捨てるほど怒ってしまった。これまでにもそういう類の衝突は何度も繰り返されてきた。
店主は子供がどうして忠告を聞き入れないのか、理解できなかった。立派な青年が無駄に歳月を過ごし、貯金も仕事もない上に百万元余りの借金を返済しなければならない。店主は心配のあまり、息子の借金を肩代わりした。

店主は、その子が高校生だった頃のことを思い出した。以前に音楽の勉強ためにフル―トを買って欲しいと親に頼んだことがある。父親に初めて頼みごとをしたので涙さえ流した。父親は、彼の願いを叶え、一本二万元あまりのフル―トを買い与えた。その後にも一本四万元あまりの更に良いフル―トを買ってあげた。子供はとても音楽の勉強はよくできたが、学校の勉強を疎かにしてしまった。

店主は私に、自分の育て方が間違っていたのだろうか、と尋ねた。いつの頃かはわからないが子供を正しく導かず、疎かにした時期があったからなのか、それとも何かの出来事でそうなったのだろうか。だから子供は、父親の気持ちを理解できず、漠然とした感情に執着し、親の愛情を理解せず、父親の悲しみを感じ取ることもできなくなったのだろう。

私は《法華經》の中にある「長者窮子(ぐうじ)の喩え」の情景を思い浮かべた。窮子(落ちぶれて帰宅した我が子)になってしまって助けが必要なのだからと、長者も精一杯気配りして寄り添い、どうやって近づき、どう話を切り出したらいいか、我が子を驚かさないようにするにはどうしたらいいかと考えている様子だ。子が自分を受け入れられるように、遠ざかってしまわないように……。

證厳法師は私たちにこう教えてくれた。「全く汚れのない清らかな気持ちに従うようにするのです。これ以上多くの煩悩を作ってはなりません。それ故、私たちには大きな智慧が必要なのです。もっともっと仏法を聞くことが重要なのです」。

私は、上人のお諭しを店主に伝えた、「煩悩が煩悩を生み出すようになるのはよくありませんよ。次に息子さんに会う時には、先ず自分が落ち着いてください。顔を合わせるたびに善の因(内的原因)となる縁を植え付けることを忘れないように、自分に言い聞かせるのです。その縁を植え付けることができれば、対面そのものが円満な功徳になります。その後のことは、私たちが左右することはできません。把握できるのは今この瞬間だけです。よい言葉を口にすることこそが善い縁であることを忘れてはいけません」。

私も記憶している法師のお諭しの言葉を彼に伝えた。「愛は相手に求めるものではなく、自ら奉仕するものである」。このように簡単な言葉でも、実践するのは簡単なことではない。

私も自分の人生体験について話した。何年も前、子供のことをとても心配し、喧嘩したこともあった。その時、私はどうやってその苦境から抜け出せばいいのか分からなくて悲しんだ。仏法の中から自分を修正しようと試み、自分と家族の心の安らぎを得ることを試みたことがある。

家族の間でどういう話し方をするかは課題だが、落ち着いて話を聞くこと、お互いのために何をしてあげられるかを考えることも必要だ。とはいえ、同じようにいつも失敗しても、不思議と能力の及ぶ範囲が少しずつ変っていくのである。

店主は悩んでいる時、《般若心経》を写経し、念仏して子供に回向もしている。意見が食い違いつつ関心を寄せているのだから、互いの交流になっているのだ。側にいるおかみさんも、店主に子供のことで悩むのをやめるようアドバイスしている。私も彼と彼の子供を祝福している。


(慈済月刊六六七期より)

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