奉仕は福、喜捨は智慧

(絵・陳九熹)

人助けができることは福(幸せ)であり、 見返りを求めないことは(智)慧です。

福と慧を同時に修め、絶えず善い種を蒔いて、良縁を結び、この世で菩薩の心を持つ人が群れになれば、社会は自然と平穏、平和がもたらされるのです。

九月十八日午後二時過ぎ、台東県の池上郷でマグニチュード六・八の表層地震が発生しました。プレートが動いて、瞬時にして大地が裂け、橋桁が傾き、堅固な建物まで被害を受けました。大地の威力はこれほど大きくて恐ろしいものです。

慈済人は直ちに被害を受けた花蓮、台東間にある地域へ、被害調査に向かい、損傷した学校校舎は修理が必要か、或いは補強するだけでよいのかを確認しました。一番怖いのは再び大きな地震が来ることです。数百戸が被災しましたが、幸いにも、住民は無事であるとわかり、感謝の気持ちが湧き上がったものです。訪問ケアを受けた人の中には、自力で家を建て直せるという人もいれば、自力では無理な人もいました。また、中には障害者や病気の人、身寄りのないお年寄もいて、以前は生活補助を必要としていなかった人でも、今は私たちの付き添いとケアを必要としています。

政府は半導体製造のTSMCや慈済等の団体と共同で、今回の震災援助にあたりました。北部、中部、南部の慈誠隊員や台湾全土の建築経験のある団体が、自発的に花蓮や台東に集合し、手分けして被災地へ行って状況を視察し、必要な材料と人数を把握した上で、各自、工事を始めました。今回はしなければならないことが多く、期間も長くなるため、慈済人にとって大仕事になります。

世の中で苦難に見舞われると、菩薩は忍びなく思い、出動して金銭と労力を提供しています。その時、尻込みすることなく、数々の困難を乗り越えながら奉仕しています。ボランティアに休暇はなく、逆に休暇を取ってボランティアをするのです。もし店のオーナーなら、シャッターを下ろして何日も商売を休みます。この無私の愛はとても美しく、慈済の情は長く続き、菩薩の愛は広く行き渡っています。これが真、善、美です。

彼らは心して作業を行いました。例えば、或る家で修繕していた時、長年使用したタイルが割れていたのですが、同じタイルがなかなか見つかりませんでした。そこで、努力して探したところ、元のものと柄や色の似たものを見つけました。全く違った色のタイルを貼ったりすれば、恐ろしい地震の記憶が蘇ってしまうかもしれないからです。

ボランティアは壁を修復することで、傷が癒えることを願ったのです。彼らに感謝します。数々の感謝は言い尽くせません。慈済医療志業が義援金を呼びかけたところ、ボランティアたちがあちこちで募金活動を始めました。海外の人たちもこの災害を知って、台湾の平安を祈り、多くの子供が竹筒にお金を入れて呼応しました。愛と福気(幸福)は日常の積み重ねから来るものです。皆さんは、台湾がいつも世の為に奉仕していることを覚えているでしょう。今回も同じように恩に報いています。その全てに感動させられました。

人助けができることは幸福であり、奉仕は自分を幸せにすることです。以前はよく「なぜ台湾を救わずに、外国ばかり救済するのか?」と言われましたが、私はこう答えました。「むしろ福のある発願をして人助けをしたいのです。国の分け隔てなく、何処かで災難があれば、物資を人に届ける幸せは、あなた自身のものなのです」と。一人ひとりが幸福をもたらす心で、日々お互いに祝福し合い、喜びに満ち溢れ、めでたい雰囲気になることは、幸せに庇護されているようなものなのです。

今生、人間(じんかん)菩薩と共に集い、お互い励まし合い、一緒に人間(じんかん)に手を貸して善いことを成しているのは、過去世で福を作り、良縁を結んでいたからです。絶えず善い事をして、善い因の種を蒔いて、福報という実が結び、私たちが平安で幸せな環境で暮らせるようにするのです。

このところ、世界の国々でも四大不調が起きています。アメリカのハリケーン・イアン、タイの洪水、メキシコの震災などがありますが、慈済ボランティアは災害状況の視察と支援の準備ができた、と報告してきました。私はいつもと同じように、安全が確認できれば、警戒心を持って行きなさい、と彼らに注意を促しました。皆が無事なら、私はとても安心するのですが、同時に喜びと心配が混ざった複雑な心境になります。皆が菩薩道を心に培い、どこで災難が起こっても自主的に赴いています。しかし、それでも、洪水がまだ引かない中で筏を使ったり、平坦でない道で水の中を歩いたりして訪問ケアに行くのが心配でなりません。

人間(じんかん)の苦しみは天候不順によるもので、世界の至る所で急を告げ、人心の乱れで人禍による苦しみも起きています。慈済人がいる所は、人々が救われることを意味していますが、慈済人がいない所では、どんなに災害が酷くてもどうしようもなく、駆けつける人はいません。結局、近隣諸国で支援してくれる人力を求める以外にありません。菩薩の情が長く続き、人間愛を大愛に広げてくれることを期待するしかないのです。

善い事は私一人が欠けてもならず、参加することで生命の価値が累積されるのです。奉仕できることは幸福であり、見返りを求めない奉仕をすることが智慧なのです。幸福と智慧を同時に修め、私たちが暮らすこの世に菩薩が集まり、福の因、福の縁、福の果、福の報に満ちれば、自然と家庭は円満になり、社会は平穏になるでしょう。皆さんの精進を願っています。


(慈済月刊六七二期より)

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