福に近づいてもらう

寒い冬が過ぎれば、温かい春の日差しが射してきます。
寛容になれば、未来の幸福が懐に入ってきます。

互いに恩人になり、感謝し合う

十月二十二日から二十四日まで、トルコ・マンナハイ国際学校のチームが台南慈済中学校を訪れ、教育関係の交流を行い、姉妹校として締結しました。二十五日は台中静思堂で、トルコの胡光中師兄と周如意師姐及びマンナハイチームが今回の訪問に関して分かち合いました。
上人は、「皆さんの分かち合いから真の愛を見て取りました。何人かが過去の生活と今の心境を語っていましたが、過去はやり過ごすべきで、直面している現状に対して心を平静に保ち、人間の本性である愛を発揮しなければなりません。それは宗教の違いを超えた、広くて寛大で、思いやりのある美徳なのです」と言いました。「仏教では因縁を語ります。不本意な状況は既に過ぎ去っています。心を平静に保って未来を迎え入れれば、幸福は絶えず近づいてきます。それは、苦痛が過ぎ去って、寛容になれた自分がすでに受け入れていることを意味します。過去に対して寛容になり、未来の幸福を迎えることです」。
「マンナハイチームは台湾に来たことで、慈済人の誠意のある長く続く情を目にしただけでなく、台湾の慈済学校の教師や生徒の心からの愛を感じ取ったことでしょう。マンナハイ学校の教師が、シリア難民の子供たちが学校に通えない苦しみを語ったことで、台湾の教師や生徒は自分たちの平和を今まで以上に大切にし、平安が即ち幸福であることを深く感じて、今の生活を大事にしていくでしょう」。
「この世で、誰もが教師になり、互いに恩人になることができます。ですから、私たちはお互いに知って愛し合い、感謝し合うべきです。私が毎日話していることはどれも感謝以外の何ものでもありません。感謝こそが私の生命で最も現実的に感じることなのです。皆さんが幸せや喜びを感じるなら、感謝と満ち足りた心を持たなくてはなりません」。
「世の中は災難が多く、天災の他に、人心の不調和によって衝突が起き、広い地域で数多くの人々が苦しんでいますが、それは天気と同じで、春夏秋冬が巡るように、冷たい風が肌を刺すような冬もいつかは過ぎ去り、温かい日差しが訪れるのです」。
トルコのアルナフツキョイ地区はマンナハイ国際学校の新住所です。高等部、小中等部及び現地の貧困家庭の子どもたちのためのトルコ大愛高校などの建設が予定されています。また上人は、「慈済が苦難を助け、学校の支援建設をするのは至って単純な心からの考えです。しかし、それぞれの国には法律の規制がありますから、慈済人が外国で志業を行う時は、各国の法律を遵守すべきで、違反してはいけません。ですから、現地で長く生活しているトルコの慈済人に頼らなければならず、重責を担った彼らはとても苦労が多いのです。しかし、師兄と師姐に福縁がある故に、とても良い縁を結ぶことができ、共にそれを成就させることができたのです」と言いました。
「世の中の正信の宗教は皆、大衆を教育したり、導いたりしており、信者が正しい道理を人間(じんかん)に広めることで、人心を雑念や欲念、悪念から愛と善に向かわせています。それも大善と大愛です。人々が大善や大愛を結集させれば、世の中に困難なことはなくなります」。上人はマンナハイ学校のチームに、心を一つにして力を出し合うようにと励ましました。管理職たちは声を揃えて、「上人、やり遂げます!」と発願しました。

誰でも福を造る機会がある

十月二十八日に彰化地区で催された歳末祝福会は、今年の台湾全土における最初の認証授与式と歳末祝福式典です。上人はこう開示しました。「この時にこれほど多くの荘厳な人間(じんかん)菩薩に会い、皆が平穏で健康に過ごされているのを見て、心から無限の喜びを覚えました。日々平穏に過ごせることに感謝の気持ちでいっぱいになります。人として生まれ、仏法を聞くことができるのは容易なことではありませんが、それ以上に人間(じんかん)菩薩道を歩むことができるのは稀で、とてつもなく長い時間の中で出会った、実に素晴らしい因縁です。皆さん、それを大切にしてください。無駄にしてはいけません」。
「毎日、不順な天気や人心の乱れを目にして、とても憂慮していますが、どうなるものでもありません。世の中はこんなにも広く、どうにもならないことが多いのです。菩薩の慈悲はいつも、衆生が苦しんでいるのを見過ごしません。ですから、関わることができ、助けられるのであれば、直ちに慈善支援を始めるのです」。
「私たちは衆生を愛護し、広く悟りに導かなければなりません。衆生を菩薩道に迎え入れて共に歩み、誰にも福を造る機会を持ってもらうのです」。善法を心に受け入れ、悪念を起こさず、自分の善行を促すと共に、人間(じんかん)に幸福をもたらすのが即ち、菩薩です、と上人は言っています。お互いに愛おしみ、励まし、手を取り合いながら、修行するのです。

(慈済月刊六八五期より)

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