風に乗り波を蹴って前進する─杖一本を贈るだけで終わらない

離島の高齢化は深刻で、長期介護や福祉用具のニーズが高まっている。

ボランティアは要望に応じて高齢者に歩行補助杖を届けたが、実際に家庭訪問して初めて、生活する上で心配な点があることに気づき、高齢者たちにもっと関心を寄せなければならないことが分かった。

この十年間、観光客の増加は離島に大きな経済効果をもたらしてきたが、金門県や澎湖諸島などの離島における少子高齢化、医療資源の不足等の構造的な問題を解決するには至っていない。

離島の市街地や集落を訪ねてみると、若者の流出状況が依然として深刻で、独居老人や老夫婦が多いのに気づく。それ故、離島の慈済エコ福祉用具プラットフォーム拠点のボランティアたちは、重い任務と遠い道のりを感じている。

「最初の頃は、金門島のエコ福祉用具の需要はそれほど多くないと思っていましたが、この一年間で想像を上回りました」と、小金門地区在住のボランティア、洪松柏(ホン・ソンボ)さんが言った。昨年七月十八日からスタートして今年の十月までに、既に三百世帯余りにエコ福祉用具を届けたそうだ。平均すると三日に二世帯のペースで奉仕していることになる。

新型コロナの後遺症なのか、肺に損傷のある患者が多く、今年上半期からずっと、酸素濃縮器の供給が需要に追い付かなかった。車椅子やトイレチェア、病院用ベッド及びその他の福祉用具の需要も非常に多かった。福祉用具チームの珍しく暇な時間に、ボランティアの王仁戚(ワン・レンウェイ)さんは、「二、三日に一度行くこともあれば、一日に何カ所も回ることもあります」と大方の状況を説明した。そして、チームの主要メンバーは「歳をとっても引退しないお年寄り」ばかりで、よく物を運んで腰が痛くなっても諦めないのだ、と笑った。

「私は今年七十六歳ですが、まだまだやらなければなりません!なぜなら、住民の喜びは私の喜びですから」。

植物が人類に与えるメリットは、人々が自然から離れてしまった今、特に重視されている。「ハーブの家」は劉雨青さんが器用な手で作り上げたもので、その気さえあれば、誰でも「グリーンフィンガー」になれる。

年配者が快適であれば、若者は安心する

金門県には閩南式の古民家や東南アジア様式の洋館が多く、ボランティアチームはよく古民家が両側に並ぶ曲がりくねった路地を行き来するが、時には「迷路」に迷い込んでしまったかのように、長い時間かけてやっと訪問先にたどり着き、エコ福祉用具を届けることもある。

また、使用者から不要になったという知らせが入れば、早速回収に行く。古寧頭地区に住んでいる李さんは、病気で亡くなった九十歳の父親の葬儀を終え、少し落ち着くとボランティアに連絡し、父親が使っていた中古の医療用ベッドを慈済に返却した。

彼は以前、高齢の両親と叔父のために、三台の電動ベッドを慈済に申請したことがある。お年寄りは三人とも九十歳を超え、自力で生活できないほどの健康状態になっていたので、五十歳の李さんはきっぱり仕事を辞め、介護に専念することにした。

「私の子供たちは皆成長し、自立して生活しています。私の日常は、お年寄りたちの世話の外は、テレビを見たり、アルバイトをしたり、時間を見つけては寝ています」。他人の目には、大変な苦労が要る介護者と映り、その孝行ぶりを褒められるが、彼はいとも簡単に言ってのけた。慈済が提供した医療用ベッドで、お年寄りたちは快適に暮らすことができた。「申請してから四日ほどで届きました。仕事がとてもスピーディでした。電動ベッドを使うようになってからは、介護がとても楽になりました」と李さんが賞賛した。

金門の王清武さん(右)は、新型コロナウイルスに感染したが、人工透析をしながら緊急入院し、肺機能の回復を待った。ボランティアの陳翔景さん(左)は酸素濃縮器を届けて、使い方を教えた。(撮影・蕭耀華)

船酔いを克服し、波を蹴って進む

澎湖諸島は金門県と同様、高齢化が深刻なため、長期介護と福祉用具の需要が非常に高まっている。ただ違うのは、金門県では大金門(金門島)と小金門の間に金門大橋が建設され、福祉用具はトラックで輸送できるようになったことだ。澎湖諸島の場合は、市街地と吉貝、望安、七美などの離島間の輸送は依然として船に頼るしかない。

「冬になると、北東の季節風がいつもレベル八から十の強さになり、時にはレベル十二に達することもありますが、緊急の場合は送り届けなければなりません」。澎湖諸島に嫁いで三十年余りになるボランティアの陳沛琳(ツン・ペイリン)さんは、船に乗る話になると、今でも不安に感じる。澎湖の慈済人には、港を出るとすぐ船酔いする人が少なくないが、それでも勇気を出し、「エチケット袋」を用意して、波を蹴って前に進むのである。

今回、望安郷の花嶼に来たのは、一人暮らしの九十歳の劉蔡お婆さんに福祉用具を届けるためである。村長がニーズを聞き取った時、お婆さんは「杖一本だけで十分です」と答えたが、ボランティアは彼女が必要としているのはそれだけではないと思った。「こんなのはよくないですよ、とても硬いから」。陳さんは、劉蔡お婆さんがテーブルを組み合わせた木の板のベッドで寝ているのを見て忍びなく思い、慈済からの電動ベッドを受け入れるよう説得した。

「ベッドならあります。でもぼろぼろで、家も雨漏りがします」。お婆さんによると、その古い家は台風五号(トクスリ)の被害を受け、屋根から雨漏りが三階から二階を伝って一階の寝室まで浸透し、元々あったベッドが水浸しになったので、やむなくリビングに移動し、テーブルと椅子をベッドにしたのだそうだ。

ボランティアたちは彼女に電動ベッドだけでなく、トイレチェアも持って来た。「夜のおトイレは部屋の中でも大丈夫になりましたよ。座ってみてください」。ボランティアの許文虎(シュ・ウェンフ)さんはトイレチェアの蓋を開けて、お婆さんに座ってもらった。花嶼の古い家には殆どバス・トイレ設備がない。お年寄りたちは若い時からずっと公衆トイレや公衆浴室を使用しているのだった。ボランティアたちは、高齢のお婆さんが、夜中に公衆トイレに行く途中で転倒したり、事故に遭ったりするのが心配なのである。

夜になるとボランティアは、馬公市慈済エコ福祉用具プラットフォームの倉庫で、翌日発送する電動ベッドを清潔にしてから消毒した。

馬公から花嶼までの船は、一日に二便しかなく、ボランティアたちは、初日に午後の便で島に着くと、三十分足らずの停泊時間を利用して、「フラッシュモブ」のように訪問ケアを終えたが、その日の夕食後、翌日早朝の船で電動ベッドを運ぶことにした。

「シューッ!シューッ!」と、許さんは低圧エアスプレーガンを手に取り、ベッドフレームに付着したほこりを吹き飛ばした。出荷前夜に澎湖エコ福祉用具プラットフォームの倉庫に集合したボランティアは、出荷する予定の電動ベッドを丁寧に整理し、次亜塩素酸水で消毒した。日が昇ると、ベッドフレームとマットレスをトラックに積み込み、船着場で船に載せた。

往路の一時間は波が穏やかで、港に到着すると、島民と沿岸警備隊員に協力してもらって、電動ベッドをお婆さんの家に届けた。

「ベッドはこちらから上り下りします。これは固定したままにしておいてください。では、横になってみませんか。起きる時は、ボタンを押して角度を上げれば、腰の力を余り使わなくて済みます」と許さんが丁寧に説明した。ベッドの手すりにつかまり、杖で体を支えて上り下りする方法を教えた。ボランティアたちがお婆さんの家を整理し、電動ベッドを設置するのを見て、近所の奥さんが率直な気持ちを言葉にした。

「まあ、こんなベッドを用意してあげたなんて、あなた方は本当に助けが必要な人を助けましたね」。

その奥さんの話によると、お婆さんは波瀾万丈の人生を送ってきたそうだ。彼女には二人の息子がいるが、次男は心身障害があり、施設で暮らしている。夫と長男は既に亡くなり、長男の嫁は馬公に住んでいて、孫は他の地方で働いている。彼女は政府の補助金に頼って、一人で花嶼に暮らしているのだった。

この奥さんの話から、劉蔡お婆さんの困窮した生活が報告されたのだが、そこには隣人同士の緊密な付き合いが見て取れた。もしエコ福祉用具によって、日常生活のリスクが軽減されれば、お婆さんの晩年の生活はより保障され、安心したものになるだろう。

慈済が提供した杖をついて、長年してきたように、近所の人たちを訪ねて談笑するお婆さんの姿を見て、ボランティアたちは安心して帰途に就いた。「お気をつけて!」、「お元気で!」と皆口々に祝福した。

夜が明けると、ボランティアは電動ベッドを定期船に積み込んで離島行きの準備を整えた。輸送中に緩んで危険にならないよう、事前にベッドフレームを布で縛って固定した。

緊急時に全力を尽くす

慈済エコ福祉用具プラットフォームは、現在すでに澎湖諸島、金門県をはじめ、馬祖列島、小琉球、蘭嶼などの離島でも奉仕をしている。金門県と澎湖諸島のプラットフォームは既に稼働して一年余りになる。大部分のエコ福祉用具は、台湾本島の北部の慈済人によって、基隆港或いは台北港を経由して金門や澎湖に運ばれているが、嘉義から澎湖に運ばれるものもある。

「澎湖へのエコ福祉用具の輸送は、嘉義の布袋港からが最も早いのです。北部の師兄が、コンテナ輸送の連絡方法を教えてくれました。それで、情報と資源を連携させることができました」。海上輸送担当ボランティアの陳明周(ツン・ミンヅォウ)さんによると、去年、嘉義エコ福祉用具プラットフォームが立ち上げられた時、ボランティアたちは既に澎湖諸島を支援する任務に就いていたので、煩雑な海運業務について熟知していた。「嘉義でコンテナに積み終わっていても、強風や高波のために船が出航できず、待たなければならない時もあります」。

人力と物資が限られ、輸送が天候に左右されるので、離島でエコ福祉用具プラットフォームを運営する場合は、台湾本島よりもはるかに苦労が多い。しかし、ボランティアは村民の緊急のニーズに応えており、多くの喜びの声を得ている。

澎湖諸島のボランティア、陳沛霖(チェン・ペイリン)さんによると、島民は県政府に福祉用具を申請しても、順番待ちの人が多いため、長い間待たなければならず、場合によっては三カ月後にやっと入手できることもあるそうだ。そして、重症患者の中には、退院して在宅ホスピスケアを受けながら、福祉用具が届く前に亡くなってしまう人もいる。

「私たちは、人々のニーズに応えて速やかに愛を届けています。人生の最期を快適に過ごし、安らかに旅立ってもらえるようにと願っているからです。真っ先に私たちに機会を与えてくれたことに感謝しています」。

陳さんは、澎湖諸島のエコ福祉用具プラットフォームの運営状況について話してくれた。福祉用具は利用者が健康になったか、亡くなってから返還されたかに関わらず、利用者も家族も大いに感謝しており、中にはこれがきっかけとなってボランティアとして参加する人も少なくない、という。陳さんは付け加えて言った。

「そういう感動があるから、私たちはどんなに疲れても、やり甲斐を感じるのです」。

(慈済月刊六八五期より)

劉蔡お婆さんは試しに電動ベッドで横になり、ボランティアの許文虎さんが電動ベッドの操作方法と、ベッドの柵を掴んで上り下りする方法を教えた。

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