弘法で衆生を利し、仏恩に報いる
慈済は既に五十八年目を迎え、仏陀の教えに基づいた菩薩精神が定着し、慈済人は六十七の国と地域に到達している。現代は科… Read More »
日本能登半島地震─大雪に見舞われた半野外の仮設厨房
新年を迎えた最初の日に、石川県能登半島で地震が発生した。
雪の降る季節でもあり、穴水町では、住民の生活が一層困難に… Read More »
世の在家信者に感謝しよう
二〇二三年十二月十五日の早朝、法師は歳末祝福会の行脚に出発した。出かける前のボランティア朝の会の席上では、世界中の… Read More »
2023慈済大愛の足跡─共に善を行えば平和が訪れる
貧困と欠乏、高齢と病苦と孤独、天災と戦禍……
慈済慈善志業の足跡は、二〇二三年末の時点で
世界百三十三の国と地域に… Read More »
感謝、尊重、愛
感謝があれば、福を造る機会ができますが、
それ以上にあらゆる人助けにおいて、
細やかな尊重と愛が示されなければなり… Read More »
高齢化する台湾・慈善の寄り添い
二〇二三年一月から十一月までに各方面から慈済に連絡があったケアケースは、一万二千件以上に上った。ボランティアが毎月… Read More »
ネパール─家の切り盛りをするスリジャナ
生活はとても大変だが、祖母は、いつも一握りの米を貯めて、より貧しい人を支援している。
祖父は、住居修繕の仕事を手伝… Read More »
平安で幸福な智慧に溢れる年への敬虔な祈り
「衆生の共業をなくすよう、悪を止めて、善を行う」。
「『人傷つけば我痛み、人苦しめば我悲しむ』精神を持つ」。
「敬… Read More »
地球規模の医療で命を守る
「貧困は病に起因し、病は貧困から生じる」状況を見るに忍ばず、慈済は一九七二年、花蓮市仁愛街に「慈済貧困者向け施… Read More »
二月の出来事
02・02
慈済基金会仏国プロジェクトチームは、インド・ブッダガヤにあるティカビカ公立小学校で、64人の生徒が出席… Read More »
クロスボーダーの援助協力で難民ケア
ロシア・ウクライナ戦争はすでに六百日を越えた。二〇二三年十月と十一月、隣国ポーランドに身を寄せているウクライナ人が… Read More »
世の中を広く見渡し、無量の幸せをもたらしましょう
穏やかな気候に恵まれた平穏な所で生活できる私たちは、
自分に「とても幸せです」と、言いましょう。
世の中のこんなに… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
證厳上人のお諭し
行脚の軌跡
二月の出来事
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。
20240420
高山の石地に新しい教室ができた─仏陀の故郷への恩返し
慈済ボランティアは、仏陀の故郷に長期滞在して、現地の住民たちが自助と助け合いをするよう導いている。2023年11月にネパール西部で強い地震が発生した時は、山間部の小学校でプレハブ教室の建設を支援したり、ルンビニで職業訓練を受けている女性たちが編んだ毛糸の帽子を送ったりして、生徒たちが安心して授業を受けられるようにした。
20240320
日本・能登半島地震─大雪に見舞われた半野外の仮設厨房
【台湾の慈善団体は、なぜやって来たのか】
比較的積雪の少ない能登半島に大雪が続いたこの冬、炊き出し支援を計画したのは、断水と地震被害で閉ざされた生活を送る住民に、ただ温かい食事を届けたい一心からだった。住民の感謝は親しみに変わり、慈済ボランティアとの絆が深まった。(詳細はp.64-89)(撮影・鍾佳玲)