クロスボーダーの援助協力で難民ケア

シリアトルコ地震の重被災地のガズィアンテプ県で、トルコ・マンナハイ学校の教師であるゼハラさん(右)が被災者用仮設テントの中で、慈済の災害支援スタッフとして、子供と交流していた。(撮影・余自成)

ロシア・ウクライナ戦争はすでに六百日を越えた。二〇二三年十月と十一月、隣国ポーランドに身を寄せているウクライナ人が、長期間、彼らに寄り添ってくれている慈済ボランティアを伴って、占領地に最も近いザポリージャ等の地域に入り、冬季配付活動を展開した。

シリア内戦は十二年を超え、トルコマンナハイ国際学校で働いているシリア人の教職員は、教育によって希望をつなげると共に、多くの人はボランティアになり、二〇二三年二月にトルコとシリア国境付近で発生した大地震の後、災害支援の主力となった。宗教と国籍を問わず、皆が共に抱いている心、それが大愛である。

トルコ地震の被災地で四万世帯を支援

二〇二三年二月六日午前四時十七分、「トルコ・シリア地震」が発生し、トルコ国内だけで四万人以上が犠牲になり、百四十万人余りが住む家を失った。

慈済ボランティアの一部はイスタンブールに留まり、親戚を頼って来る被災世帯に対して配付活動を行った。災害視察先遣チームが二月十五日に被災地に入ると、マンナハイ国際学校の教師と学生は、自ら参加を願い出た。二月下旬からグループに分かれて遠路はるばる配付活動に向かい、毎回被災地に十日間から二週間程滞在し、合計四万七百四十四世帯に物資を配付した。

ボランティアのアデルさん(左)は、三月にハタイ県で、被災したお婆さんにマフラーを巻いてあげた。(写真提供・慈済基金会)

六月四日マンナハイ国際学校で、トルコ人とシリア人の被災者に買い物カードを配付した。指定のスーパーマーケットで生活物資を購入して二カ月間の生活ができる。(写真提供・慈済基金会)

イスタンブール、ハタイ、ガズィアンテプ及びシャンルウルファの四県で行った配付活動は計七十四回。

・配付内容:四万七百四十四世帯に対し、各世帯に一枚の買い物カード、毛布八万六千二百八十八枚、マフラー一万三千四百十三本、衣類等防寒グッズ四十五万七千九百二十点。

・延べボランティア動員数:一万三千六百五十一人。

終わりの見えないロシア・ウクライナ戦争
ポーランド社会に溶け込む女性や子供

二〇二三年、七つのNGO組織と協力して、ウクライナ周辺の九カ国に五十カ所の難民センターを設置した。支援内容は、生活物資及びデビットカードの配付、医療及び医薬品の支援、語学及び児童教育心理カウンセリングと法律相談等十項目に及び、十一月までに延べ十五万五千八百十五人に奉仕した。

二〇二三年一月から九月まで、延べ千二百二十人のボランティアを動員して、ルブリン、ワルシャワ、ポズナン、オポ―レで様々な団体へのケア、慈善配付活動と家庭訪問、ポーランド語講座、雇用による生活支援及び職業訓練講座が行われ、計二万四千五百七十一人が恩恵を受けた。

二〇二三年四月、ポーランド語による医学講座が追加開設され、十月には既に二十三名のウクライナ籍医療従事者が合法的に医療行為を行えるようになった。

ウクライナの人口は四千万人余りだが、二〇二三年十一月の統計によると、約六百万人の女性や子供が国外に逃れた。ポーランドは最も多く彼ら避難民を受け入れている国である。

異郷で迎えた二度目の復活祭前夜、慈済ポズナンチームはボランティアを集めて、低所得者世帯に無料のヘアカット活動を行った。数人のウクライナ人お母さんたちも無料ヘアカットのために、子供たちの身だしなみを整えた。(写真提供・張淑兒)

ウクライナ難民がポーランド社会に溶け込めるように、慈済ポズナンチームはポーランド語養成講座を開設し、続いて各種職業訓練講座を開いている。講師の多くもウクライナから来た専門職の人たちで、専門知識を活かして同胞のサポートに貢献している。裁縫職業訓練クラスでは、お母さんたちが子供を連れてミシンを習っていた。(写真提供・張淑兒)

ウクライナ国内でも毛布と食糧を配付

二〇二三年十月から、慈済は協力関係にある十一の団体と共に、ポーランドのワルシャワ、ウクライナの首都キーウ、ザポリージャで、一万四千枚のエコ毛布、千セットの食糧パックとデビットカードを配付した(写真提供・ポーランド慈済ボランティア)。延べ三万人が恩恵を受け、二カ月間の生活が維持できると見積もっている。十一月末までに、慈済ボランティアは既にワルシャワでデビットカードを八十三世帯に、ウクライナで物資を六百五十六世帯に配付した。

ポーランドで慈済の雇用による生活支援制度に参加したウクライナ人ボランティアは、故郷のためにも尽力したいと思っている。ワルシャワ慈済事務所のハンナさん(写真左)は、ウクライナの友人たちに声をかけ、三千セットの物資の配付を引き受けた。彼女はボランティアの養成のために、自分の休暇を使って自費でウクライナに戻り、先頭に立って訪問ケアを行い、配付活動の後にも再度訪問ケアを行った。十月三十日、ボランティアは、ウクライナ・ザポリージャの配付会場に行くことができなかったケア世帯に物資を届けた(写真提供・ハンナさん)。

受けとった人たちの中の一人は、このように述べた。

「戦争がこれほど長引き、毎日砲弾が遠くや近くに落ちる音を聞いていると、人々は不安な状態が続いて心が塞ぎ込み、疲れ果てています。慈済が来てくれたことに大変感謝しています。私たちが今最も必要としているのは、温もりと愛です」。

シリア地震の被災地に医療ステーションを設置

トルコシリア地震の被災地の広さは十万平方キロを超えた。シリア政府は国際慈善団体が被災地に入ることを許可していないが、隣接するヨルダンの慈済ボランティアは積極的にルートを探し、三月にシリア重点被災地に物資を届けた。これは二〇一一年シリア内戦勃発以来、慈済が初めて現地を支援した行動でもある。その後すぐ、慈済はトルコ世界医師連盟と協力して、シリア国境にあるイドリブ市(写真提供・トルコ世界医師連盟)に医療ステーションを設立し、四月から運用が始まった。

二十二カ所以上のキャンプで、約五万五千人の難民に、一般内科、小児科、夜間診療などの施療を行った。診察と処方薬は全て無料である。毎日平均して延べ百五十人を診ている(写真提供・トルコ慈済ボランティア)。

現地の難民は、長年空爆に見舞われて路頭に迷っていた上に、震災で再び全てを失い、恐怖に慄くと共に為す術もなく、生活は一層困難になっていた。そこから最も近い衛生所や病院は七キロも離れているため、新しく医療ステーションが設立されたことで、近くで診てもらえるようになった。

(慈済月刊六八六期より)

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