ネパール─家の切り盛りをするスリジャナ

生活はとても大変だが、祖母は、いつも一握りの米を貯めて、より貧しい人を支援している。

祖父は、住居修繕の仕事を手伝いながら家族を養っている。以前、寒風の中で震えていたスリジャナは、もう涙を流すことはない。

小学生のスリジャナは、「静思語・良い言葉」の絵カードを持ち、その言葉を行動で表わした。「微笑む顏が一番美しい」。(撮影・王渝嬋)

白米を載せた車は、慈済ボランティアチームに従って、村の滑りやすい泥道を走った。沿道にある家は土壁やレンガ造りのものと、藁や割れた瓦を屋根に被せているだけの造りだった。時々、大雨で一部の壁がすでに崩れ落ちてしまっているものが見えた。

毎月第一土曜日は、慈済のルンビニでの慈善日である。七月初め、ボランティアは、幾つかのルートに分かれ、十八戸のケア世帯にレンズ豆、塩、食用油、砂糖及び二十五キロの白米などの物資を届けた。扉のない粗末な土壁の家に行くと軒がとても低く、身を屈めないと入ることができなかった。屋内にはベッドが二つあり、その一つの藁が敷かれた方は、べットでもテーブルでもあり、さらに客が座る場所でもあった。壁にはスリジャナのカバンが掛けられてあった。ボランティアが一枚のネパール語で書かれた静思語を送ると、十一歳のスリジャナの笑顔が輝いた。

部屋の片隅は火を焚いて炊事する場所で、二つのプラスチック製バケツが屋根から漏る雨を溜めていた。スリジャナは祖父母と一緒に住んでいるが、祖母は心配そうな顏で雨漏りのところを指すと、「雨季になって雨が降ると、炊事ができないのです」と言った。

家族全員が一カ月間の生活に必要な食糧を受け取ってから、ボランティアが次のケア世帯に向かうのを見た祖母は、急いで米貯金箱を取り出し、自分たちの気持ちを分かち合って欲しいと言って、ボランティアに渡した。こんなに困難な生活をしていても毎日一握りの米を貯めるという人助けの善行を続けており、ボランティアたちは心を打たれた。しかし、訪問ケアでこの家族のニーズが分かったので、彼らの住居を修繕することにした。

家事を切り盛りする女の子の日常

スリジャナ一家と知り合ったのは、去年十二月に、慈済がルンビニの二十八の学校で冬物衣類と文房具を配付した時である。シッダールタ小学校で、ボランティアは寒風が吹く中、まだ濡れている制服を着て、ぶるぶる震えていたスリジャナに気づき、急いで彼女を抱きしめて暖かくしてあげた。そして、一歩踏み込んで家庭訪問をすると、長期ケアを始めた。

来訪したボランティアに孫のことを話す祖母の言葉には、可哀想でならないという気持ちが溢れていた。スリジャナは幼い頃、両親が離婚し、各自再婚し、父親は他の地方に移って行った。七十歳の祖母は、もし自分が働けなくなったり、死んだりしたら、孫の世話を誰に見てもらったらいいのか、とても心配しているのだ。

家の収入は祖父のディヤルさんに頼っている。彼は四十坪余りの畑を耕しており、一年に収穫できる約二百キロの麦で生活を維持し、冬になると、カラシナを栽培する。スリジャナは良い子だが、恥ずかしがり屋で、放課後、遊びに出掛けることはない。家に帰ると、掃除や床拭きを始め、田んぼの雑草取りをして羊に餌を与えたり、野菜を採ったりした後、家に戻って、食事の支度を手伝っている。祖父母が畑仕事を終えて持ち帰った弁当箱を、スリジャナが糠で洗ってから、家族全員で一緒に食事をする。これが彼女の日常である。

家事を一手に引き受けるスリジャナは、夜の時間に授業の復習をするしかない。家が貧しいため電気がなく、ボランティアが訪問した時、彼女はベッドの上で懐中電灯をつけ、かすかな明かりで真面目に宿題を書いていた。それを見て、忍びなく思った。今年三月上旬、ボランティアはソーラーパネルを持参し、照明設備を取り付けた。スイッチをつけると、部屋は瞬時にして明るくなり、一家全員が歓喜の声をあげた。家に電気が通ったので、ボランティアは、学校の勉強に追いつくように宿題をしよう、とスリジャナに言って励ました。

「私は学校が好きです。毎日学校に通って、将来は教師になりたいのです」とスリジャナは、自分の望みを師姑と師伯に話した。

安心して住めるよう自宅も他人の家も修繕する

今年七月中旬、六人の慈済ボランティアが建築資材を持って訪れ、屋根の雨漏りを修繕した。一部の瓦と鉄板をトタンに取り替え、その下に断熱のための木の板を敷いた。そしてそれ以上に思いやりを込めて軒の高さを高くした。祖父のディヤルさんも工事を手伝ってくれた。皆が力を合わせて、一日で修繕工事を終えたので、夫婦はとても喜んだ。「慈済の支援に感謝しています!」。

七月から八月までは農閑期に当たり、ボランティアは、ディヤルさんがテキパキとしているのを見て、「仕事を与えて支援に代える」活動で、修繕チームに参加してもらい、プレハブ住宅の建材準備の手伝いを依頼したところ、ディヤルさんは即座に了承した。その翌日から工事を始め、ルンビニ慈済連絡所に来てもらって一緒にプレハブ住宅の建築資材を揃え、ラドヘイシャムさんという人の「家」を建てる準備をした。

ラドヘイシャムさんの家は、雨水に浸食されて今にも倒れそうになっていて、修繕を待っていた。ディヤルさんは、穴をあけたり、ペンキ塗りや建材の切断をしたりして手伝い、深く感銘を受けると共に、自分がまだ役にたつことに感謝した。「ボランティアが家の修繕をしてくれた後、彼らが私を必要としていたので、直ぐに駆けつけました。この仕事は素晴らしいです」。

ボランティアはルンビニで、既に十七世帯で修繕工事を終え、プレハブ住宅を完成させた。多くのケア世帯の男性は、「仕事を与えて支援に代える」活動で、修繕工事に参加した。自分の家を再建できる他、ほかの世帯の世話もできると同時に収入も得られ、家計の足しになった。マレーシアのボランティア張柏林(ヅァン・ボーリン)さんは、「彼らは殆ど毎日仕事にやって来ます。その心がけには心を動かされます」と言った。

スリジャナの家の屋根はもう雨漏りしないし、軒も高くなったので、炊事場も明るくて広くなった。修繕してから次の週、ボランティアは工事の品質を確かめに来た。屋内はやっと体を真っ直ぐにして立つことができ、もう腰を屈める必要はなくなった。祖母は、ボランティアと世間話をしながら、ディヤルさんが「仕事を与えて支援に代える」活動に参加してからはとても楽しそうにしていることに言及した。ボランティアは、「お祖父さんはとても真面目に慈済の仕事をしていますよ。本当に上手です」と返答した。

スリジャナと祖父母3人は、ぼろぼろで雨漏りする土壁の家に住んでいたが、ボランティアが協力して家を修繕し、軒を高くした。(撮影・ラジェ・クマー)

一握りの米、私も善行に参加する

毎月の物資の配付は、ケア世帯の生活の困窮状態を解決できるが、家庭訪問した時、彼らが仕事に就くチャンスを望んでいることがよく分かった。ある人は、最近慈済が行った手作り石けん教室に参加し、石けん作りと包装の仕方を学んだことで、新しい収入になるかもしれないと考えたそうだ。またある人は、修繕プロジェクトで恩恵を受けたが、今では工事メンバーの一人になり、人助けすることができると感じる気持ちがとても良いと自慢した。

持続的且つ誠意のある関心を寄せてこそ、言語の壁、文化と種族の違いを乗り越え、互いに信頼と愛の友情を育むことができるのである。例えば、スリジャナは毎月、ボランティアが来訪をすると、いつも笑顏を見せ、毎日米を貯めてきたプラスチック製のボトルを取り出して、ボランティアに渡している。炊事する前に一握りの米を貯める善行は、既に彼女の習慣になっている。

去年末から今まで寄り添って来てくれた慈済人に対して、スリジャナは心から感謝している。住まいの環境が改善されただけでなく、祖父は収入が増え、スリジャナは勉強に専念する時間が増えて、成績が上がったので、教師になる夢に近づいている。シンガポールとマレーシアの慈済ボランティアがネパールで深く愛を根付かせたので、仏佗の故郷に善の種が芽生え、すくすくと成長している。

(慈済月刊六八三期より)

    キーワード :