電話で状況がはっきり分からない場合、直接訪問して福祉用具のニーズを確かめる。
電動車椅子を届けるだけでなく、安全のためにバリアフリースロープの設置に行く。何度も訪問して、やっと任務が果たせる。
方奇輝さん(右)は、林君憶さんが電動車椅子の操作に慣れるまで付き添った。
「
本当に暑い。あなたを押すのも大変」と、摂氏三十度を超えた暑さの中、娘を押して歩いていた李鳳春(リー・フォンツン)さんは、何気なくつぶやいた。
言葉を発した人は何気なくても、聞いた人は心に留めてしまう。実は、車椅子に乗っていた林君憶(リン・ジュンイー)さんも、七十歳の年老いた母親が、毎日自分のために走り回って疲れる姿を見たくはなかった。しかし、脳の手術を受けてから行動が不便になった彼女は、一日も早く自分の足で立てるようにと、積極的にリハビリに行くほかなかった。
彼女は真剣に福祉用具を探したが、説明が苦手な彼女は多くのチャンスを逃してしまった。諦めなかったことが幸いして、ついに慈済を見つけた。新竹エコ福祉用具プラットフォームの窓口であるボランティアの方奇輝(フォン・チーフエイ)さんは、電話で何度も彼女の話を聞いたが、ニーズを完全に理解することができなかったので、自ら苗栗県竹南鎮にある彼女の家を訪ねることにした。対面でコミュニケーションを取った後、方さんは電動車椅子を届け、操作方法を教えた。彼女は近所の道路で何度も練習したので、直ぐ操作が分かるようになった。
林さんは、毎朝八時にリハビリのために出かけるが、片道約三十分かかる。着いた後、一時間のリハビリが終わると、再び母親が付き添って帰って来る。以前は、車椅子を推す必要があったので、母親は本当に大変だった。特にリハビリの時間が午後になる場合は、日中の炎天下と重なるのでもっと大変だった。しかし、電動車椅子が手に入ってからは、母親は散歩するように娘の横について歩くだけでよくなった。母親が少し楽になったので、林さんもそれほど自分を責めなくなったのだろうと方さんは思っている。
林さんは、「これからは、どこかへ行こうと思ったら、自分一人で行けるのです」と言った。リハビリで大分良くなった娘が夜中に一人でトイレに行けるようになったのを見た母親は、かなり安心した。もちろん、最大の願いは、娘が自力で歩けるようになることである。
大仕事は完成に近づいたように見えたが、ボランティアは、出入り口の敷居が車椅子の出入りに支障をきたすことに気付いた。操作に慣れていない状況下では転倒する危険もあった。同行した大工職人であるボランティアの楊文宗(ヤン・ウェンヅォン)さんは、方さんに相談し、スロープを作ることにした。そして、その場で寸法を測り、福祉用具プラットフォームの倉庫に戻って探すと無垢材を見つけたので、それに鉋をかけた。そして、再び林さんの家に戻ると玄関口に取り付けた。林さんに車椅子を操作してもらった所、その傾斜は丁度良かった。方さんは「スロープがあるかないかで、車椅子の移動が違ってきます。今はもっと便利になりました」と嬉しそうに言った。
楊文宗さん(右)は出来上がったスロープを持参して玄関に設置し、車椅子の出入りをより安全にした。
林さんは、自分を世話してくれる両親の大変さを知っており、とても感謝している。また、リハビリを手伝ってくれた理学療法士にも感謝している。「自分が病気になってから、この世には体の不自由な人がたくさんいて、助けを必要としていることを知りました。慈済に感謝しています」と述べた。
ある日、方さんが林さんを訪ねた時、同じ障害を持つ友人の柯(コー)さんとバッタリ出会った。彼女はネットで購入したシーツを手にして、「このシーツはマットレスのサイズに合いませんでしたが、返品もできないのです。街で何軒もリフォームの店に行きましたが、誰も引き受けてくれません」と訴えた。障害のある柯さんが困っているのを見かねた方さんは、そのシーツを持ち帰って、考案してみることをした。
息子が持ち帰ったシーツを見て、八十五歳の母親の方鄭鳳玉(フォン・ヅンフオンユー)さんは、「これは職人泣かせね」と言った。ベッドカバーを縫ったことはないが、洋裁が得意な彼女は、経験を頼りに任務を果たした。手直しされたベッドシーツを受け取った柯さんは、「師兄(方さん)のお母さんに感謝しています」と林さんから伝えてもらった。
実は、方さんの情熱は母親譲りだったのだ。長年のボランティアによって得られた経験から、慈済ボランティアは自分だけではなく、家族も一緒にできるということを学んでいたのだ。「社会で必要とされた時は、誰でも喜んで手を差し伸べるはずだと、私は信じています」。
(慈済月刊六九四期より)