苦を見て福を知り、幸福を分かち合う

大愛テレビに勤めて二十年になるが、取材に出かけるたびに様々な世相を見てきた。

仏陀の故郷では、貧困がもたらす影響が、自分の想像をはるかに超えていると感じた。ボランティアたちの無私の奉仕から学んだ利他と布施は、今回の旅で最も意義のある收獲となった。

インド・ブッダガヤの貧しい村を訪れた呉志怡(左4)と大愛テレビの取材チーム。

私は大愛テレビに勤めて二十年になる。この間に多くの慈済ボランティアと共に異なる国々に出かけたが、その中には地震や台風に襲われた被災地、貧困や見捨てられた世界の一角もあった。その度に、様々な苦難に喘ぐ人々の有り様を見てきた。二○二四年十月から十一月にかけて、私は慈済人に同行して仏陀の故郷であるインドとネパールを取材し、歴史的な瞬間を見届けた。

十月二十七日、慈済が建設を支援したインド・ブッダガヤの「シロンガ大愛村」に、第一期三十六世帶が入居した。入居前日、村民は生活に関する公約にサインするために、早朝から喜びに溢れて家を出た。ある村民が言うには、「今、私は周りの人々に、一緒に菜食をしましょう、お酒をやめて他の人を助ける方法を学びましょうと、お願いしています」。

今まで茅葺き屋根と土壁の家に住んでいたカースト制下級階層の住民が入居前に語ったこの言葉は、心からの約束である。この新居は容易に得られる物ではなく、無数の人の愛と期待が込められていることを彼らは知っていた。

トラックが清掃用具などと一緒に、住民への入居プレゼントを運んできた。マレーシアの蘇祈逢(スゥー・チーフォン)師兄は、「この家を気に入ってくれたならば、一年、二年、三年後も同じように綺麗なままにしていてください。よろしいですか?」と約束を交わした。

インドからネパールに移動し、十一月五日には、慈済がルンビニで支援建設するシッダールタ学校の起工式に参加した。粗末な校舎は将来、幼稚園から高校までが入った教育の殿堂に変わり、現地の子供たちの運命を変える起点となるだろう。

私たちも慈済ボランティアの後について、甚大な洪水被害に遭ったマハンカル郷へ被害調査に向かった。車は険しい山道を走ったが、途中で小さい女の子に出会い、私は車の窓ガラスを下ろして、彼女にピンクの熊のぬいぐるみをあげた。女の子はそれを受け取ると、手に持っていた白い花を私にくれた。この小さな贈り物の交換で、お互いの心に善意と温もりが溢れた。

好きなおもちゃに新しい主人を捜してあげる

取材で海外に行く場合、私はいつも息子に、「お母さんが行く所の子供はおもちゃを持っていないから、あなたのおもちゃを分けてあげてもいい?」と聞くことにしていた。すると、大事にしているおもちゃを差し出してはくれたが、幼い彼は名残惜しいのか、スーツケースに入れたのにもう一度そっと取り出していた。そんな息子も十四歳になり、貴重な子供時代の思い出に溢れるおもちゃであっても、新しい主人ができることを喜んでくれるようになった。

おもちゃは息子に愛され、大切にされてきたので、とてもいい状態だった。私たちは一緒に整理して、スーツケースにいっぱい詰めた。私も息子の愛と幸福を分かち合いたいと思ったものだ。

そうしておもちゃを持って行き、今までは子供たちに自分の好きな物を選ばせていた。すると、内気なのか直接手を出さず、私が何か差し出すまで待って、やっと恥ずかしがりながらも受け取り、笑顏を返してくれたものだ。しかし、今度のインドでは、袋からおもちゃを取り出すと、あっという間に多くの子供が殺到して私を取り囲み、私が反応する前に、人の群れと共に跡形もなく消えてしまっていた。

子供たちの渇望する目つきは、私を震撼させた。貧困がもたらす影響は、私が思っていたよりも遙かに大きかった。あの瞬間、私は物資の欠乏を目のあたりにし、その苦しみもこの目で見た。私たちの日常は、求めても得られない人がいる楽園だったのだ。本当の貧困に接触して初めて、自分はなんと裕福なのだろうと気付かされた。

苦を見て福を知る!私は一層敬虔な気持ちになって今ある幸福に感謝した。しかし、苦しみを見ただけでなく、同時にボランティアの無私の奉仕も見ることができた。そこから利他と布施を学び、證厳法師の開示の中にある慈悲と智慧を思い起こした。このことは、私が仕事の中から得た学びと成長であり、今回の仏陀の故郷への旅で、最も意義のある收獲でもあった!

(慈済月刊六九八期より)

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