0121嘉義震災への支援

一月二十一日の嘉義地震で、震源地に隣接する台南市楠西区が直面した最大の困難は、数百戸の家屋の内部が損傷してしまったことだった。

震災から一カ月が過ぎても、慈済人は未だに被災地にとどまり、修繕することで住民に安定した力を与えた。安全な家があってこそ、安心できるのである。

楠西区楠西里の或る民家は壁いっぱいに亀裂が入り、ボランティアがセメントを塗って修復していた。

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楠西を見回る修繕チーム
帰宅できるようにと願う

たとえ自宅が目と鼻の先にあっても、地震後はそこに帰ることができない。一部の古い家は亀裂だらけで、庭でテント生活する人もいた。

修繕ボランティアは台湾全土から台南市楠西区の楠西里と東勢里に集まり、被災者が帰宅できるようにと丁寧に修繕した。

地震の翌日から、慈済は直ちに緊急支援金配付活動を始め、重度と中度の家屋損壊を被った住民延べ二百四十世帯に、三万元(約十二万円)から五万元(二十万円)を配付した。同時に、0403花蓮地震の災害支援経験に基づいて、修繕と復興住宅(恒久住宅)の建設を査定した。

二月中旬の統計によると、災害通報件数は約四千件あった。プロの技師と建築士が被害の調査を行い、色分けした紙を貼った。赤色は倒壊の危険がある建物、黄色は差し迫った危険はないが補強すべき建物、そして、表記の必要がない建物は危険がないと判断されたのだが、この類は最も数が多く、修繕しなければ安心して暮らせない可能性があるのだった。

玉井、楠西、嘉義等を含めて赤色と黄色の表示は、千七百件に上り、張り紙は不要だが損傷がある建物も二千件を超えた。慈済は一段階目で、楠西区楠西里の「張り紙をしていない」四百七十二件の住宅を対象に、慈済のソーシャルワーカーとボランティアは、各世帯に電話をして確認し、視察を行った。すると、百二十三世帯近くが協力を仰ぎたいと言った。そして二月中旬、新たに東勢里への支援が追加された。

ほとんどの住宅は修繕が必要で、どれも小規模な工事で済むが、遠隔地では作業員にすぐ来てもらうことは難しい。一月末の旧正月休みの間、慈済は台湾全土にいる土木作業、水道電気、鉄工、大工、塗装工及び左官などのプロボランティアに呼びかけた。台湾全土から集まった修繕チームは、曽文青年活動センターを宿泊の拠点にしてもらい、台南ボランティアが全力で生活や飲食のサポートをした。香積(料理)ボランティアがそこで食事の用意をするだけでなく、外部のボランティアも次々と食料を届けたり、地元住民も自家製の野菜や果物、米を届けたりして、体力を消耗する修繕チームに栄養を補給した。

二月十日に修繕が始まると、建設会社を経営している高雄ボランティアの楊銘欽(ヤン・ミンチン)さんが社員を連れて奉仕にやって来た。廃棄物を入れるための四百個の大きな袋を用意すると共に、資材配送車を一台出動させ、ボランティアの何萬春(ホー・ワンチュン)さんが随時調達と配送を担当した。

震災後初めての昼ご飯。500個の菜食弁当が楠西区に届けられた(写真1)。ボランティアは朝早くから慈済善化連絡所に集まり、昼前に食事の準備を終え、弁当の盛り付けが行われた(写真2)。(撮影・王永周)

疲れ知らず 来られて良かった

ボランティアが訪れた或る家では、玄関前の庭に上部をキャンバス地で覆われた青いテントが張られてあり、風が吹くと音を立てて軋んでいた。この家を借りている林さん一家は、旧正月前に里長から送られたテントを張り、今に至るまでそこで暮らしているのだった。

地震が起きた時は、立っていられなかった。揺れが収まるのを待って、暗闇の中、屋内から寝具を持ち出し、屋外で防寒対策を取った。午前三時か四時ごろに電気が復旧し、林さんが屋内に入って調べたところ、中は至る所に亀裂ができていて、キッチンやトイレは使えなかった。ガスも使う勇気はなかった。

「余震が続いたので一家でリビングに集まって寝ました。玄関のドアも鍵を掛けませんでした。あの数日間は本当に耐え難いものでした」。その後、一家は庭で寝泊まりすることにしたが、雨水の浸水で目が覚めたり、夜に冷え込んだので屋内からテントに電線を引き入れてハロゲン電球を点け、暖を取ったりした。七十一歳のボランティア韓玉銅(ハン・ユートン)さんは、テントはキャンプなどレジャーの時に張る人が多いが、被災者は仕方なくテントを張っているのだと言った。塗装の専門職を活かし、「早く工事を終えて、少しでも早く屋内に戻ってほしいのです」と言った。

ボランティアが重点的に修繕したのは、寝室、トイレ、浴室の壁の亀裂で、幸いに地震による建物の主要構造には影響がなかった。

盧建焜(ルー・ジェンクン)さんは、作業用安全ヘルメットをかぶり、はしごのステップに立って電動ドリルでひび割れた壁を取り除いたので、粉塵が舞い上がり、コンクリートのかけらが落ちた。それから、ベースにセメントを塗って、その上に塗装をした。彼はすでに退職していたが、あちこち旅行したいとは思っていない。「何かお手伝いできるのは幸せなことです。お金を遊びに浪費してはいけません」と言った。

薛張恆娟(シュエ・ヅァンヘンジュエン)さんは、普段、清掃の仕事をしているが、修繕活動への参加に応募した。「辺りを見回し、必要な時に素早く掃除をして、作業員が仕事をし易いようにしています」。彼女は、左官ボランティアをサポートし、砕け落ちた塊を直ちに清掃して清潔で安全な環境を保っていた。「時間は人を待ってくれません。今回参加できても、次回参加できるチャンスがあるかどうか分かりません」。地元住民の家屋の損傷を見て、自分が来たのは正しかった、と思った。「私たちがすべき仕事は、彼らが安心して暮らせるようにすることです。この因縁を逃さなくてよかったです」。

自宅が目と鼻の先にあっても、帰ることができない。テント内にハロゲン電球を灯し、オレンジ色の光が輝くと、暖かさが感じられた。それは、慈済ボランティアが台湾全土から駆けつけて、地元住民のために修繕している様子を象徴するかのようで、寒い冬を照らす暖かい日差しのような温もりだった。

ボランティアは小型トラックから、工具と資材を下ろし、事前に視察した被災家屋に入って工事を始めた。

林さん一家は屋外でテントを張って生活し、旧正月もそこで過ごした(写真1)。住宅の裏で木の板が落ちていて、構造エンジニアの鑑定を待つ間、ボランティアは亀裂が入った場所の破片を取り除いて修繕の準備をした。(写真2)

無償提供 達人は民間にいる

各作業チームの主要メンバーのほとんどは、二〇二二年の池上地震と二〇二四年の花蓮地震後の住宅修繕活動に参加しており、多くの暗黙の了解ができていた。さらに、慈済は何年も「安全な住まい・善美なコミュニティ(安美プロジェクト)」を進めてきており、安全手すりやバリアフリースロープ、滑り止め措置、照明改善など、小規模な工事を施して一人暮らしの高齢者や身体障害者及び生活困窮世帯の暮らしの安全を改善してきた。各コミュニティには達人が潜んでおり、経験豊富で、災害後の助けになるのである。

不安定な天候に加えて、インフルエンザが流行する中、二月十五日、大林慈済病院中医・西医医療チームは、ボランティアの健康チェックのために、曽文青年活動センターを訪れた。それを聞きつけた住民も、わざわざ診察にやって来た。

賴寧生(ライ・ニンスン)院長によると、ボランティアは皆あまり若くなく、労働後の筋肉痛、身体への悪影響は避けられず、集団生活によってインフルエンザの感染の恐れもあり、様々な医療が必要だという。さらに慢性疾患があるボランティアは、症状を適時にモニタリングすることが不可欠で、院長は「これは私たちがやるべきことです」と強調した。

1月22日、ボランティアは安心ケア訪問を展開し、台南市楠西区に入った。至る所にある赤色の紙が貼られた家は主要構造がすでに損壊している建物。(撮影・陳松德)

台南市玉井区の或る被災世帯は、全ての貯蓄を使い果たして買った家に引っ越しして間もなく地震に見舞われた。評価で黄色と認定された住民は悲しみをこらえきれず、ボランティアの肩に寄りかかって泣いた。(撮影・蔡淑娟)

鉄骨構造住宅 安心の選択

楠西里は四方が山に囲まれ、田舎道は格別に静かだった。ボランティアは路地を行き来し、少しにぎやかさをもたらした。或る母娘が立ち止まって、ボランティアに、「あまりうまく言えませんが、皆さんには本当に感謝しています。地震で家が倒れた時は、這い出てきたようなもので、家にあった物は何も持ち出せませんでした。今着ている服も慈済に頂いたもので、数日間は届けていただいた温かいお弁当を食べていました」と挨拶した。

ボランティアは母娘と共に彼女たちの実家に行ったが、一列に並んでいた住宅のほとんどは赤色の紙が貼られ、天井やセメントが剥がれ落ちて玄関を塞いでいたので、入るのも難しかった。

「家が無くなり、ここで家を借りることも難しいので、仕方なく玉井に住んでいます。旧友たちは皆ここにいますが、仕方ありません……」と、八十三歳のお母さんが悲しげな表情を浮かべて言った。ボランティアは、無事であることが何よりであり、娘さんも側にいるし、多くの人が再建の道に寄り添っていますよ、と慰めた。

慈済は、修繕活動をすると同時に台南市政府とも連携し、赤色の紙が貼られた被災世帯のために、元の場所に「鉄骨構造安心住宅」を再建する提案を進めている。希望する住民が区役所に申請し、実地調査と評価を受けて承認を得ると、慈済が、できるだけ早く耐火・耐震の新しい住宅の建設を進めるというものだ。被災世帯が一日でも早く安心して暮らせるようにしたいと願っている。

(慈済月刊七〇〇期より)

部屋を仕切っていた壁が崩れた家。ボランティアはそれを取り除くとセメントを塗り、凹み部分を修復した。

ミニ辞典—建築物損壊の評価基準

  • 赤色の紙:主要構造が損傷し、構造上の安全が懸念されるか、土台が不安定になっているため、住民が直ちに避難を勧告された建物。

  • 黄色の紙:構造上の安全に懸念はないが、内部で物の落下や傾く危険、或いは近隣の建築物が倒れる危険のある建物。住み続けることは可能だが、一定期間内に修繕を要するもの。

  • 張り紙不要:構造上は安全であるが、依然として修繕の必要がある建物。

  • 赤色と黄色の紙の住宅は主に政府が支援し、慈済は楠西区の楠西里と東勢里で張り紙不要家屋の修繕を支援している。
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