スペインの洪水被害—国を越えて復興を支援するボランティア

稀に見る暴風雨により、この三十年間で最も致命的な洪水被害を被ったスペインの古都バレンシア。多くの地域では、半年が過ぎても復旧には程遠い状態が続いていた。十の国と地域から来た慈済ボランティアが被災地に集合し、再建に協力した。

洪水が引いた後、復旧工事が始まった。ベネトゥッセルの一部の道路が泥で覆われ、水に浸かって転覆した車が道端で撤去を待っていた。(写真提供・ベロニカ・チャパロ・ソルノサ)

南欧スペインの東部で、二〇二四年十月下旬に致命的とも言える洪水が発生し、災害をもたらした。一部の地域では、短時間に一年分に相当する雨が降って河川が氾濫し、瞬く間に住宅地区や交通の要衝が冠水した。犠牲者の数は二百人を超え、その中には避難が間に合わなかった高齢者も少なからずいた。

バレンシア州の被害が最も深刻だった。ヨーロッパの慈済ボランティアは、現地調査を一度、再確認を六度実施し、地元政府機関を通じて被災者名簿をまとめ、二〇二五年の七月九日から七日間、三千世帯以上に買い物カードを配付した。

ボランティアは2025年1月21日から24日にかけて現地視察を行った。チバ市の川辺には、洪水と土砂災害の傷跡がまだ残っていた。(撮影・王慧貞)

洪水が引いた後に残る傷跡

慈済ボランティアは、アルティウス基金会、カリタス基金会、地元政府機関と協力して、被害状況の調査と配付を行った。アルティウス基金会は、災害発生後、緊急救援活動を開始し、今なお被災世帯からの支援要請を受けて、家具などの物資を提供している。彼らの作成した資料はとても詳細にわたっていて、被害の程度や在住事実の有無に基づいて、支援リストに含めるかどうかを総合的に判断し、必要がある時は家庭訪問して確認した。慈済ボランティアは、彼らから提供されたリストをもとに、家庭訪問して再調査した。

配付活動は教会や政府の文化センターで行われた。配付した買い物カードは、大手スーパーチェーンのメルカドーナと連携しており、店内の新鮮な野菜、果物から保存の効く非常食、生活用品まで様々なものを買うことができる。

買い物カードを受け取った三千世帯あまりのうち、半数はピカーニャに住んでいる。現地の人口約一万二千人のうち、千七百世帯の約五千人が被害を受け、そのうちの八十世帯は自宅での生活が不可能となり、政府が確保した安全な場所へ移動した。

五月中旬、ロサリオ・ゴンザレス第一副市長自らが案内役となり、慈済ボランティアの現地視察が行われた。市内を貫く一本の河川には五つの大きな橋が架かっており、そのすべてが洪水で流されていた。政府は交通を復旧させるために仮設の橋を造ったが、作業員は今なお川の清掃作業を続けている。

川の両岸の家屋は、高さ一、二メートルに達した洪水で大きな被害を受け、廃墟のようになっていた。川沿いにある主要な教会は、数カ月の修復工事を経てようやく再開された。社会局のエミリア局長によると、二〇二四年十月二十九日に洪水被害が発生した後、十一月二日に緊急対応センターを設立し、被災者が災害状況やニーズを登録できるようにして、政府と赤十字社が共同で補助金を支給した。また、五十世帯あまりが家電を受け取っていないか、物資が不足しているとの資料が示された。そして、水位は高くなかったが、住民のほとんどが一人暮らしの高齢者だという地域もあった。

その後、アルティウス基金会のボランティアも慈済ボランティアに同行し、再度被災地を訪問した。いくつかの町村の被害状況はほぼ同様で、廃墟或いは改修工事のため居住不可能になっていたが、室内の家具の大部分は慈善団体から寄付されたものだった。ピカーニャという町に三十五年間も住んでいるマリアさんの家は川沿いにあって、洪水が来た時は家族で二階に逃げたが、ご主人は重要な書類を取りに戻り、予期せず水に流され、十五日後自宅の近くで、遺体で発見された。

あるお婆さんはボランティアにこう話した。災害はこの町の住民に大きな打撃を与え、誰もが呆然としていたが、長い時間をかけて少しずつトラウマから立ち直ることが出来たそうだ。或る人は、幸いに二階があって、避難できたが、暫く経っても、当時の助けを求める声が聞こえ、そしてその声が消える瞬間がまだ脳裡に残っているという。

4月12日、ボランティアはウティエル市政府とカリタス基金会から提供された被災者名簿をもとに、家庭訪問を行った。浸水が深刻な地域では、多くの家屋はすでに危険と判定されて床と壁が撤去されていた。(撮影・梁欣伶)

古い家に住むお年寄り 
言葉にならない苦しみ

ウティエルという町は、十月二十九日の午前から雨が降り始め、その後、堤防が決壊し、建物の中に水が流れ込んだ。水は高さ二メートルにまで達し、二十四時間後にやっと引いたが、深刻な被害をもたらした。家によっては、洪水で壁が損傷し、今も時折水が染み出てきて、天井には白華現象が現れていた。

ポヨ渓谷沿いの大きな被害を受けたカタルーニャでは、洪水が山から流れきて水の都になってしまった。カリタス基金会のスタッフが慈済ボランティアに同行して家庭訪問を行った。七十三歳のビセンタ・フアナ・ユサ・シスカンさんは、洪水が襲ってきた時は一人で家にいたが、水があっという間に腰まで達したので、事態の深刻さを悟って、慌ててテーブルの上に上がって立った。しかし水位は首まで上がり続け、停電して暗闇となった中で、救助が来るまで四時間も待った。

右手で杖を突いていた行動の不自由なフアナ・パコモさんは、家から逃げた時、隣人が投げたシーツを掴んだことで、洪水に流されなくて済んだが、浮き沈みしているうちに、亡くなった隣人の遺体が目の前を漂っていくのを見た、という。災害の後、彼女の三歳の孫がシャワーを浴びる時、水の音を聞くたびに、「やめて!」と泣き叫んだ。

この地域で被災した人の多くがお年寄りで、歴史のある古民家に住んでいる。しかし、一旦洪水によって破壊されると、再建する能力がない。慈善団体からの補助金は焼け石に水である。幸いにして生き残っても、家族を失った後、壊れた家で一人、その苦しみに向き合わなければならなかった。ボランティアたちは相手の身になって、静かにお年寄りたちの話に耳を傾けた後、温かくハグした。

被災した当時を振り返ったある女性は、真っ先に頭に浮かんだのは、アルバムを救うことだった、という。結婚式で母が化粧してくれた事から出産、子育てまで、家族の良い思い出が詰まったアルバムだからだ。(撮影・梁欣伶)

悲しみを拭い去り 
扇状に広がった縁

フランス、イギリス、ドイツ、ポーランドから来たボランティアは、チームを組んで被災状況の調査と再確認をするため、政府機関と施設を尋ねた。一月、三月、四月、五月には、それぞれ異なった被災地を訪れて、適切な配付場所を探した。六月もポヨ渓谷沿いのもう一つの甚大被災地、パイポルタで臨時オフィスを借りて、配付の準備を行った。

災害後のパイポルタは、道が泥だらけになり、電気、水道、ガスの供給も停まって麻痺状態に陥っていた。慈済の臨時事務所の近隣住民は、ボランティア活動があることを知ると、頻繁にやって来て挨拶したり、慈済のことを聞いたりすると共に、よく野菜や果物、ケーキを持ってきた。そのうちに、ボランティアのベストを着て定期的に手伝いに来る人が増えていった。リディアさんは、慈済ボランティアたちが自費で様々な国から来ていることを知ると、ほぼ毎日事務所に来て事務の手伝いをしたり、被災者と電話連絡を取ったりした。「苦しんでいる人、すべてを失った人がこんなにたくさんいるのです。電話をかけるのは小さなことですが、私も役に立ちたいと思ったのです。それに、多くの慈済人が遠くから支援に来てくれたのを見て、私も何らかの力を出して行動すべきだという心の声が聞こえたのです」。

仮設事務所では「愛の扇を広げて善行する(扇と善の字の中国語の発音は同じ)」活動を催した。配付活動の時のプレゼントにするために、扇子にいろいろな絵を住民に描いてもらった。住民たちが絵に集中できれば、心が落ち着き、ストレスも軽減されるだろうと考えたのだ。一部の人は帰る前に、人助けのために、と竹筒募金箱に小銭を入れるのを忘れなかった。何人かのお年寄りは、毎日来て、平均三時間も描き続け、中には家に持ち帰って描く人もいた。彼らは二千枚の扇子を完成させることを誓った。扇子が広がるように善の縁を結ぶことができれば、それはとても意義深いことだからだ。

六つの町村で七回の配付活動を行うには、多くの人手が必要だった。言語と文化の違いがあるため、中華系が主な慈済ボランティアについて、多くの住民はよく知らないことから、電話をしても詐欺だと間違われ、すぐに切られることも少なくなかった。そのため、スペイン語、英語、中国語を話せる地元住民を募集することが非常に重要になった。六月三日、慈済はパイポルタで最初のボランティア募集説明会を開いた。地元の中華料理店オーナーである鄭小玲(ヅン・シャオリン)さんが、無償で営業していない午後の時間帯にスペースを提供してくれた。「人は生活のためだけに生きるのではなく、誰かを助けるために最善を尽くすべきです。これこそが生きている意味なのです」と彼女は言った。鄭さんはいつも、ボランティアのために昼食を作り、一味違った美味しい菜食料理を提供してくれた。この親切な心遣いは、半年間、被災地を頻繁に往来していたヨーロッパのボランティアたちの心を落ち着かせた。

六月下旬からは、様々な町の被災世帯に配付活動の知らせを届ける作業を始めた。ピカーニャのエミリア社会局長も地域ボランティアを連れて、十本のルートに分かれて各世帯に届けた。

買い物カードを配付した会場で、地元スペインのボランティアは、第一線で役割を担って同胞に奉仕した。チバにある教会で、地元ボランティアが両手を添えて買い物カードを渡していた。(撮影・王素真)

宗教を超え、円満に終えた配付活動

スペイン、イギリス、ドイツ、フランス、オランダ、ポーランド、イタリア、スイス、台湾、そしてアルゼンチンなど十の国と地域から五十人余りのボランティアが駆けつけ、七月八日に被災地に集合して配付の準備にあたった。

七月九日、被災した中華系実業家への配付に続き、七月十日にはカタルーニャ聖母教会で配付活動が行われた。カウンセラーである、地元ボランティアのモンサさんは、より多くの人にボランティアへの参加を促すために、配付手順を説明したビデオを作成しただけでなく、段ボールでプレートを作り、関連書類に被災者が署名する欄を示し、地元ボランティアが配付手順に慣れるよう手助けをした。

テレサさんは、水害で家具が全部壊れたが、九十歳近い両親も、家が損壊したため、一緒に暮らすことになった。建築士の彼女は、慈済が支給した買い物カードが両親の三カ月分の生活費になり、自分も他の慈善団体の支援を受けているので、少しずつ家庭の再建が進んでおり、とても感謝していると言った。

或るお婆さんは、買い物カードを受け取って教会を出た時、広場でプレゼントを配付している慈済人の姿を見て、再び涙を流した。。災害から十カ月経った今でも、被災した人たちは、言い尽くせない多くの重い感情を心に抱えており、彼らは悲しみを脇に置いて前に進み、新しい生活をしていくしかないことを知って、ボランティアたちも感極まった。

ウティエルの町にある数百年の歴史を持つ聖母被昇天教会が、物資配付の会場になった。日曜日のミサの時と同じように、クリストバル神父は、慎重に六本の大きな白い蝋燭に火を灯し、厳粛さと神聖さを象徴しながら、慈済による物資配付に祝福を与えてくれた。

慈済基金会宗教処欧・米・アフリカ会務室の呂宗翰(リュー・ヅォンハン)室長が、慈済を代表して挨拶し、「台湾の仏教団体がスペインのカトリック教会で物資の配付を実施できたことは、宗教が融合した美しい奇跡であり、また今の世界が最も必要としている大愛精神です」と述べた。「慈済人が来るのが遅くなって申し訳ありません。私たちは皆さんを支援するために、努力してきました。最も感謝したいのは、多くの地元ボランティアの皆さんの手伝いです。皆さんがいたからこそ、今日の配付は円満に終了できました!」。神父は、『新約聖書・ルカによる福音書』にある「善きサマリア人」のたとえ話を引用し、「隣人を自分のように愛しなさい」という一節の真意を説き、遠方から慈済ボランティアが来たことに深く感動したと言った。そして住民に、慈済ボランティアの「不請の師」精神を学ぶよう励ました。

慈済人が調査を始めた時からずっと協力してくれた地元の中華系実業家の陳耀明(チェン・ヤオミン)さんは、配付活動の終盤、住民がボランティアの導きで互いに手を繋いで、皆で『家族』と言う慈済の歌に合わせて、しなやかな手つきで手語を披露した時、会場は神聖で温かい雰囲気に包まれ、最後に大きな拍手が響き渡った瞬間、今までの苦労が価値あるものになった、と語った。

被災地には常設の慈済連絡所はなく、ボランティアたちは異国で言い尽くせない苦労はあるが、パイポルタの若いお母さんの、「世界から私たちが忘れられた時、慈済が依然として私たちの苦しみを心配してくれたことに感謝します」という言葉を聞いた時、あらゆる苦労が消え去った。(資料の提供・王素真、潘静涵)

(慈済月刊七〇五期より)

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