慈済は西アフリカのシエラレオネ共和国で、協力パートナーの一つであるランイ基金会と共に職業訓練クラスを開設し、女性が手に職をつけることで地域が貧困から抜け出せるように後押ししている。(撮影・マイケル・マズール)
慈済は三十余りの国際人道支援団体とパートナーシップを構築し、それぞれが現地で持つネットワークや専門技術、物流の強みを活かして助け合い、紛争地域、災害被災地域、疫病が蔓延している地域であっても支援を行っている。
このことは単独の組織の限界を超えただけでなく、宗教の垣根を越えた共善モデルであると言える。互いに補い、信頼し、助け合うことで、愛をあらゆる苦難の地に届けることができるのだ。
【慈済の活動XSDGs】シリーズ
国連が取り決めた十七の持続可能な開発目標の十七「パートナーシップで目標を達成しよう」は、それ以前の十六項目が達成し得るかどうかを左右する鍵となる。いま世界が直面している気候変動、公衆衛生、貧困、飢餓など諸々の問題を見れば、国家政府や民間組織が単独で取り組んだだけでは力が及ばない。だが、長期にわたる戦乱や大規模な自然災害の打撃を受けた中小の国の多くは、自力での復旧すらできないでいる。国境を越えて協力し、多様なパートナーと共に資源を補い合うことで、より効果的に問題を解決できるのである。
まもなく創立六十周年を迎える慈済は、一貫して「直接・重点・尊重」の原則を掲げ、人道支援に率先して取り組んでいるが、同時に宗教や国境を越えたパートナーシップを重視している。国連の組織に参画するだけでなく、慈済は三十あまりの国際人道組織と協力して互いに協力し合い、協力パートナーのネットワークを通して、支援を必要とする地域へ速やかに届けている。
2024年5月、シエラレオネの首都フリータウンの一角にあるスラム街で大規模な火災が発生した。慈済は、協力パートナーであるカトリックのカリタス基金会、ヒーリー基金会、ランイ基金会のボランティアと連携し、21日間にわたり、リレー式に炊き出し支援を行った。(写真提供・花蓮本部)
リレー式にシリアを支援
コンテナハウスから病院に移転
「この神聖な事業に貢献した方々である、慈済、世界医師連盟、そしてこの崇高な使命の達成に参加した全ての皆さまに、心より最高の感謝を捧げます……」と、シリア北西部イドリブ県の保健局長サミール・アラビさんが、シリア政府と国民を代表して、カフル・タカリーム・プライマリ・ヘルスケアセンターの開所式であいさつした。
この医療機関は、難民や被災者を援助するために設立され、二〇二五年九月に開業した。その発端は二〇二三年二月のトルコ・シリア大地震に遡る。当時、慈済はトルコの被災地で救援活動を展開したが、同じく被災したシリア北部は内戦状態にあり、胡光中(フー・グァンヅォン)さんや余自成(ユー・ヅーツン)さんらトルコの慈済人は支援に行くことができず、支援活動に参加したシリア難民ボランティアも、涙をこらえながら国境の向こうを遠く見守るしかなかった。
長年の戦火に苦しめられ、さらに大地震の被害を受けた被災者がどれほど苦しんでいるかを忍びなく思い、慈済はトルコの「世界の医療団」と連絡を取り、シリア北部で特に被害の大きかったイドリブ県で一緒に施療することを話し合った。最終的に、慈済が資金を提供し、トルコ世界医師連盟が医薬器材の購入および医療人員の募集を担当することで合意した。両者は二〇二三年三月に正式に契約を交わし、イドリブ県のケリー難民キャンプに医療ステーションを設立した。
国連の持続可能な開発目標で見ると、この取り組みは目標17「パートナーシップで目標を達成しよう」におけるターゲット16「知識、専門知識、技術や資金を集めて協力する」や17「効果的な公的、官民、市民社会のパートナーシップを進める」といった詳細を実践している。慈済と世界医師連盟の連携と相互支援は、実は前世紀からすでに始まっていたのである。
一九九三年、慈済は、フランスの「世界の医療団」と協力してアフリカ北東部のエチオピアで保健衛生面の支援を展開した。その内容は、医療センターや保健所の再建、保健所スタッフの養成、カルテの作成や薬局の管理などで、地域に入って衛生教育や栄養の改善などを含む。翌年、両者は再び協力し、内戦が終結したばかりのルワンダに入り、緊急の食糧・医薬品支援を実施した。そして二〇二〇年代には、戦火の絶えない中東地域において再度手を携え、困難に寄り添った。
シリアは十年以上にわたり内戦に陥り、戦闘地域に援助要員や物資を届けるのは安全が確保できないため、救済任務の遂行は困難だった。一方、トルコの世界医師連盟はシリア国内で長年活動し、早くから人脈ネットワークと情報ルートを築き、戦火の下でどのように運営を維持できるかを熟知していた。そのため、同団体と協力することで不必要なリスクを回避できた。
二〇二三年、「世界の医療団」と慈済のマークが掲げられたケリー施療センターが難民キャンプで開業した。それまでトルコの「世界の医療団」がシリア国内で運営していた多くの医療拠点は、アメリカの支援に依存していたが、アメリカの政権交代により援助が停止し、施療はほとんど行われなくなった。そういった中で設立されたケリー施療センターは、戦時下でも活動を続けた。暗闇の中の微かな光のように、戦火に巻き込まれた上に病に苦しむ人々の心の拠り所となった。
慈済基金会執行長室所属のグローバル協力と青少年開発室の専門員、褚于嘉(ツゥ・ユージャ)さんは、ケリー施療センターには内科、産婦人科、小児科があり、妊婦の産前産後ケアを行うこともでき、基本的な医療に過ぎなくても、難民キャンプにいる高齢者、女性、子どもにとってはとても必要な事業だと説明した。
「彼らは心理カウンセリングや相談サービスも提供しています。市民は戦争が長引いているため、やむを得ず故郷を離れて難民キャンプで生活しており、心理的な負担が非常に大きいのです。そのため、一般的な医療に加えて、心理面でのケアも強化されました」。
二〇二四年十二月、十四年に及んだシリアの血生臭い内戦がようやく終結した。ケリー施療センターは、いつでも避難できるように備え、戦火が収まれば戻って診療を再開するという緊迫した状況から解放された。しかし、医療スタッフの負担は依然として重い。トルコ慈済の責任者・胡さんは、振り返って述べた。「二〇二五年二月の契約更新から七月までで、施療センターは延べ一万七千人余りを支援しました。この数字は、この地域が医療を切実に必要としていることを示しています」。
内戦の終結に伴って難民が帰郷し、ケリー施療センターを受診する患者が減少した。さらに、元来のコンテナ型施設が老朽化していたため、慈済とトルコの「世界の医療団」はイドリブ県新政府に協力を求め、より適した診療所の確保を進めた。最終的に、ケリー難民キャンプからさほど離れていないカフルに、内戦によって放棄されていた病院を見つけた。修繕を施した後、施療センターはついに鉄筋コンクリートの建物に移転した。
新しいカフル施療センターには検査科が新設され、設備は一段と充実した。周辺地域の八万人近い住民に、より良い医療を提供し、医療スタッフやソーシャルワーカーも、必要な衛生教育と支援を適切に行うことができるようになった。
シリア北部に位置するケリー施療センターは、2023年以降、慈済とトルコの「世界の医療団」の協力により、地震被災者に医療サービスを提供している。毎月の受診者数は延べ3千人を超える。(トルコ慈済ボランティア提供)
宗教と国境を越えて力を出し合う
「力を出し合う」支援モデルは、一九九一年五月に遡る。当時、アメリカ慈済人はバングラデシュの洪水被災者を支援した。その時、慈済にはまだ国際的な支援経験がなかったため、ボランティアは集めた募金を赤十字社に託し、援助活動を代行してもらった。それが国際的な緊急援助の第一歩であった。
同じ年の夏、慈済は中国の華東・華中における大洪水被害の中で、「直接、重点、尊重」という支援原則を徐々に確立した。さらに、海外での災害視察、物資の配付、施療をするたびに、慈済のボランティアや医療スタッフが現地に赴き、自らの手で奉仕した。この「必ず現地で」という姿勢は、一九九〇年代から現在まで受け継がれている。しかし、二〇一九年末に蔓延が始まったコロナウイルスの影響で、国際的な人の往来がほぼ中断し、各国の慈済ボランティアが他国へ援助に出向くことが困難になったため、他の人道支援団体に援助活動を委託することが、現実的な手段となった。
コロナ禍の間、慈済は世界九十八の国と地域に支援を行い、五千万点を超える防疫物資を送った。宗教団体の相互協力は、その活動をサポートした点で重要な意味を持つ。特に、コロナ禍のインドで、慈済は連絡拠点を持たなかった。しかし、カミロ修道会や神の愛の宣教者会などのカトリック系団体は、現地で数十年にわたって活動しており、多くの現地の聖職者や信者のボランティアを擁していた。そのため、慈済はこれらの団体に、インドでの物資の受け取り、調達、配付などの多くの業務を委託した。神父や修道女が慈済ボランティアに代わって食糧や物資を弱い立場の貧困者に届け、必要な防疫用具を医療の最前線に届ける役割を担った。
「彼らは名簿も作成し、慈済の感謝・尊重・愛のモデルに従って活動しました。慈済人が見ることのできない、到達できない場所では、これらの宗教パートナーが慈済の目と手になってくれるのです」と、慈済基金会国際事務執行長の曽慈慧(ヅン・ツーフェイ)さんが説明した。コロナ禍で世界各地がロックダウンした際も、即時にマスク、手袋、防護服などの防疫物資を届けたことで、人々を救ったと同時に、多くの支援者の命も守った。
2002年初頭、慈済は再びアメリカのナイトブリッジ・インターナショナル(KBⅠ)と協力してアフガニスタンでの緊急援助を行い、戦乱と飢えに苦しむ人々に、毛布や医薬品など、冬を越すための救命物資を届けた。(撮影・王志宏)
東ヨーロッパのモルドバで慈済は、イスラエルの人道支援組織イスラエイドを通じてウクライナ避難民の子どもたちに心のケアを提供した。(写真提供・アメリカ総支部)
平等・尊重・透明性に基づくパートナーシップ
コロナ禍の間、苦難を共にする協力パートナーとの関係構築の重要性が浮き彫りになった。慈済は、どのようにして相手と協力し、共善し、その団体が信頼に値する存在であるかを見極めたのか。さらに託した資源が適切に活用されていることをどのように確かめていたのか。
「それらのことについてですが、私たちは『適正評価手続き』を行い、協力パートナーがマネーロンダリングやテロ資金供与に関与していないか、詐欺などの不祥事がないかを確認しています」。国際事務を担当する慈済基金会の熊士民(ション・スーミン)副執行長が説明した。「適正評価手続き」や「本人確認」は、国際間では企業の取引や官民協力の際に不可欠な手続きとなっている。慈済は相手の与信調査を慎重に行っているだけでなく、相手側も同じ基準で慈済を厳しくチェックしているのである。
慈済の協力プログラムは、四大志業の範囲から逸脱せず、常に協力パートナーの行動が、仏教の慈悲と利他の精神、および関連する法規に沿ったものであることを求めている。
慈済基金会宗教処海外事務室副主任の林裴菲(リン・フェイフェイ)さんは、慈済とラブビンティ・インターナショナルとの協力を例に挙げて説明した。台湾のトップ10傑出女性青年に選ばれた楊怡庭(ヤン・イーティン)さんが創設したこの国際NGOは、アフリカで多くの支援プロジェクトを展開しており、慈済は彼らと協力して、アフリカの経済・衛生・環境保全改善に取り組んでいる。
「私たちはラブビンティ・インターナショナルと協力し、女性の自立を支援する職業学校の建設や、低炭素型校舎の普及を進めています。また、農村の自立支援プログラムを通じて農業技術の改善や農産物加工を行い、井戸掘りや雨水の集水設備、生態トイレの整備、衛生教育など地域の公衆衛生の向上にも取り組んでいます」。
さらに特筆すべきは、慈済とラブビンティ・インターナショナルが、裁縫訓練と布ナプキン製作を二〇二五年の重点プロジェクトとして位置づけ、「生理の貧困」解消に取り組んでいることである。
林さんは「布ナプキンは衛生状態の改善に役立ち、女性の平等にもつながります。また、農業支援は現地の人々の自立を促し、これら全ては慈済の慈善・医療・教育・人文の理念と深く関わっています」と補足した。
仏教克難慈済功徳会は一九六六年に創立された頃、台湾は、戦後の食糧不足に直面し、海外からの援助を受けていた孤立した島だった。それが今では一人当たり所得が世界の上位に名を連ね、世界のために奉仕する意欲と力を備えた「愛の宝島」へと転換を遂げた。
證厳法師の言葉どおり、台湾は愛と善を宝としてきた。慈済はこの六十年の歩みの中で、各方面のパートナーと広く連携して共に苦難にある人々を救ってきただけでなく、他者から信頼される存在となるよう自らを磨いてきた。現代社会が直面する深刻な環境・生態問題や社会経済の課題に対しては、世界のパートナーたちと協力関係を構築してこそ、持続可能な未来を共に創り出すことができるのだ。
(慈済月刊七〇九期より)
トルコの慈済ボランティアは、台北清真寺と協力してガザ地区に食糧を提供した。現地の人々が配給された米でお粥を炊き、飢えに苦しむ同胞を支えた。(写真提供・胡光中)
2021年、コロナ禍がインドで猛威を振るい、医療機関と人々の生計が崩壊の危機に瀕した。神の愛の宣教者会は慈済基金会と協力して貧困家庭に食糧物資を配付した。(写真提供・花蓮本会)


