真実の歴史は今でも、
人々にとっては真実の教育であり、
より深い体験となります。
辛抱強く次の世代を教え導く
十月三十日の病院と大学の合同懇親会で、主任たちによる医療教育事務関連の報告が行われました。慈済大学の陳宗鷹副校長によると、花蓮慈済病院のチームがせき止め湖溢流災害の後で光復郷の被災地に赴いたほか、慈済大学の学生たちも奉仕しました。ボランティアチームは、医療チームと教師たちの行動と、心を一つに協力し合いながら支援に投入する中で、言葉と行動と環境による貴重な教えを学ぶことができました。
上人は、慈済大学創設を振り返り、初代学長の李明亮教授が良好な校風を作ってくれたことに感謝しました。教師も学生も制服を着用し、校内では菜食をするという習慣が、今日まで続けられ、それらが慈済の教育の特徴として既に揺るぎないものとなりました。医療教育では、学校から病院に至るまで、慈済人文精神を受け継いできました。「慈済の教育は最初から隊列を整えてから歩み始めました。だからこそ、今まで順調にやって来られたのです。慈済の医療も教育も人文精神に溢れていることから、社会の中で、清浄で秩序があり、善良な考えを持つという印象を持たれています」。
「慈済の志業は、花蓮で愛と善を実践しています。それらは言葉にするだけでなく、人同士の関係に表れています。医療従事者はいつも年長者を尊敬し、患者を大切にして思いやっています。それらの行動は全て誠の愛から出たものです。この数十年間、皆がこのような行動を取っており、それは表面的なものだけでなく、愛が骨髄にまで届くほどのものになっています」。上人は、教師や主任たちが心を尽くして若い人の指導にあたり、知識や技術を教えるだけでなく、忍耐強く教え導いて、精髄を伝承していることに感謝しました。
見聞きしたことは伝承する価値がある
花蓮地区の慈済人は、台風十八号(ラガサ)の災害支援に動員されて、連日忙しく奉仕し、緊急支援の配付が一段落した後の十月三十一日に精舎に戻ると、上人に報告しました。その時上人は、「皆さんの報告を聞いているうちに、心が感動と感謝の気持ちでいっぱいになりました。今回の災害支援はこの時代における、人間(じんかん)で発生した重要な歴史の一部です」と言いました。
幾つかの映像で見ることができるように、洪水で道路は冠水し、人の乗っていない車が水に浮かび、まるで渦に巻き込まれたかのように流されていたのを見て、大自然の強大な威力を感じることができました。上人は、「これは大自然による教育であり、人々に人生の無常を感じさせ、福と禍は紙一重であることを教えているのです。皆さんが被災された住民と交流した時、彼らが長年経営してきた果樹園が冠水し、家の中にあった大事な記念品が壊れたり、商売道具が損壊したりしたというような、それぞれの境遇や悲しみに耳を傾けたことと思います。それらの話を言葉にして記録すれば、歴史となって残るだけでなく、未来への警鐘にもなり、後の人の教育になるでしょう」と言いました。
「私はよく慈済の学校の教師や教授にこう話します。歴史の授業では、数百年や数千年前の歴史を教えるよりも、昨日、一昨日、先月、去年に発生した事など、皆の記憶に新しく、多くの人が目で見たことを真実の歴史として語れば、学生はより深く体得するはずです」。
「例えばシャベルを持ち上げる時、一見軽そうに見えても、一旦掬ってから上げようとすると、ずっしりと、まるで誰かに掴まれているかのように、重たく感じたはずです。皆さんには、もっと心を込めて、その時の感想や見聞を話してもらいたいのです。見聞は一瞬という短い時間に起こり、目を動かすだけで見えたものが心に刻まれるのです。誰かの感想を聞いた場合は、それを他の人に伝えることもできます。話した内容は全て誰かが見聞きした真実の歴史であり、真実の教育でもあるのです」。そして、「毎日各地の慈済人や志業体の主任クラスによる感想を聞いていますが、私はそれぞれの教師から授業を受けているように感じています。それであってこそ絶えず資料が伝えられていくのです。人と人の間にある無私の大愛と、皆さんが他の人に奉仕する動作は、全てとても価値のある教育なのです。一挙手一投足の全てが伝承される価値のある歴史であり、大衆が学ぶべき教育の模範として、この世で善行を促しているのです」と言いました。
寸分違わぬ慧命の方向
上人はマレーシアの郭済航(グオ・ジーハン)師兄と懇談した時、仏像を拝んだり、仏に庇護を求めたりする人は多く、たとえ経典を読んで唱えていても、仏法の道理を実践していなければ、真に仏法を信仰しているとは言えません、と言いました。
「仏陀が仏法を伝えた目的は、人々が道理を理解して日常的に活かすことにあり、仏教を信じれば全てが平穏になるという意味ではありませんでした。頼めば応えてくれるわけではないのです。願い事が正しいことでしょうか、間違ったことでしょうか。正しいことなら、実行に移せば何かが得られるはずです。人生の歩みが進むべき方向から逸れてはいけません。僅かな逸れが大きな誤差を招くのです。実は、未来の人の世は、表面的にはとても裕福ですが、慧眼で衆生を見てみると、衆生の慧命が徐々に虚ろになっているのです。たとえ今は生き生きとしていても、心からの誠意や敬虔な心が絶えず薄れ、その速度はとても速いのです」。
「慧命を大切にしなければいけません。慧命はあなた自身の努力で大きくなりますが、その方向が寸分違わず逸れないようにしなければなりません。さもなければ、足は前に進んでいても、歩めば歩むほど逸れていきますから、とても心配になります」。
(慈済月刊七〇九期より)
慈済大学物理療法学部の教師と学生が、10月1日から5日まで、光復郷の花蓮観光製糖工場内に設置された慈済医療ステーションで、被災地の清掃をして体に不調をきたした人々やボランティアの治療に当たった。(撮影・李家萱)


