人間で安心して住めるように
三月初め、ウクライナとロシアの戦火に怯える中、多くのウクライナ人が追われるように故郷を逃れた。慈済は人道支援活動を… Read More »
絶えず真理と向き合う
日々、真理と向き合って暮らす
真理と向き合い、清らかな本性が現れれば、
迷いが智慧に変わる。… Read More »
NO.306 世界に目を向ける
中国四川省涼山州喜徳県の住民は、少数民族の彝族が主体である。地方の学校は全般に浄水設備が不足しており、教師や児童・… Read More »
収まらない戦火 故郷を思うウクライナ難民
ロシアとウクライナの戦争が始まって久しい。
今年二月から第二次世界大戦以来ヨーロッパ最大規模の戦争である。
ポーラ… Read More »
リサイクルステーションに来て 若返った
シニア世代がリサイクルに参加することで、
健康促進の効果が実証された。
毎日「運動する、頭を使う、人と交流する」こ… Read More »
終の住処に・新たな原住民集落となった再建
慈済が建設支援を行った、
台中市山間部の花東新村と自強新村で入居開始… Read More »
シンガポールの防疫 配慮の力をプラス
シンガポール社会は「ウイルスと共存」する道を進んでいるが、
前例がないため、慎重にならざるを得ない。
慈済の訪問ケ… Read More »
「徳運丸」を下船してミャンマーに帰った─かつては船長 今はボランティア
台湾に二年余り滞在した後、
やっと故郷のミャンマーに戻った徳運丸の船長は、
彼らが困難に陥っていた時、
慈済ボラン… Read More »
心が通じ合えば、世に幸せがもたらされます
衣食足りた生活と雨風をしのぐことができる家があることは、
なんと幸せなのでしょう。
このような幸せも人心が通じ合う… Read More »
急速にピークを更新─香港 コロナ禍の第五波
私たちのコミュニティーもロックダウンしたり、
強制PCR検査を実施したりするようになるのだろうか?
もし家族が感染… Read More »
荒涼とした戦場 ホタルが淡い光を放つ
私たちは高いリスクを冒しながら、各機関に防疫物資を届けた。
ここは戦場ではないが、見渡す限り荒涼とした感じを受ける… Read More »
五月の出来事
05・04
慈済基金会はポーランドでのウクライナ難民支援で、本日、「ポーランド女性キャン基金会」と慈善活動に関する… Read More »
今月の内容
編集者の言葉
特別報道
表紙の物語
世界に目を向ける
證厳上人のお諭し
健康の玉手箱
親と子と教師、三者の本音
国際慈善
行脚の軌跡
五月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。