シンガポールの防疫 配慮の力をプラス

シンガポール社会は「ウイルスと共存」する道を進んでいるが、
前例がないため、慎重にならざるを得ない。
慈済の訪問ケアは家庭訪問、電話訪問、オンライン訪問を同時に駆使することで、行動制限の中で最大限に気遣う力を発揮している。
ケア世帯が感染或いは在宅隔離になった時、訪問ケアボランティアは彼らと外部を繋ぐ重要な中継役になっている。

新型コロナウイルスが変異を続け、二〇二一年末にはオミクロン変異株が凄まじく勢いを増した。以前は毎月第一日曜日が慈済ボランティアの訪問ケアの日だったが、この二年間は政府の防疫措置が調整されるたびに対応し、家庭訪問が全くできない時もあるため、電話やオンライン形式に切り替え、同時に「物資の宅配」を行なった。特別の状況下では一人から三人までのボランティアが訪問し、医師の診察に付き添っている。

殆どの訪問ケアは一時中止する必要があったが、ケア世帯が孤立無援になるのではなく、慈済は方法をこうじて防疫物資を届けたり、寄り添いの連絡をしながら、彼らの代わりに日用品や薬を購入したりして、衛生教育に関する情報を提供し、彼らと外部の重要な中継役を担った。

一人が倒れたら、一家が倒れる

去年の八月、シンガポール政府は大衆に、「新型コロナウイルスとの共存」を呼びかけ、防疫措置を緩めたため、感染者数は一日に数千人に及んだ。感染拡大が数カ月続き、ケア世帯の中には収入が激減したり、仕事が影響を受けて生活が苦境に陥る家庭が出てきた。慈済は多方面にわたる寄り添い計画を立て、ケア世帯に七百パックの防疫物資を送り、さらに医療ホットラインを開設して医療知識と最新の防疫政策をすばやく届けることで、心身の落ち着きを計った。その他、「感染者のいるケア世帯或いは隔離者を気遣う連絡方法」を始動し、個別のニーズに応じて支援を提供した。

訪問ケアボランティアの梁慧貞(リャン・フェイツン)さんは去年十月のことを振り返った。政府は自宅療養計画の試行を開始し、ワクチン接種をしている感染者が自宅で療養できるようにした。如さんから連絡があり、自分と自宅にいる介護師が感染したと伝えてきた。

心配して怖くなったが、如さんから知能障害のある姉は食べ物を呑み込めないので、特殊な食事が必要だが、使い切ってしまったので、途方に暮れている、と聞かされた。姉と中風の母親は、デイケアセンターが感染拡大の影響を受けたことから、家で介護してもらうしかなく、二番目の姉はコロナ禍で失業してうつ病に罹り、終日家で寝ていると言う。

日用品を購入するために外出することは、彼女らにとって非常に困難で、支援をとても必要としていた。状況が厳しかったコロナ禍で、梁さんは色々と連絡をとり、程なくボランティアが見つかり、付近で物を購入してもらい、安心祝福バッグも準備した。如さん一家に慰問できるよう願った。

訪問ケアボランティアは感染対策を厳守しながら、ケア世帯の日用品購入を代行して玄関先に置くと、すぐそこを離れた。(撮影・戴小慶)

以前の介護師は如さんの家族と頻繫に言い争って離職したので、如さんは仕事を辞めて家族の世話をしなければならなかった。彼女は退職する時、事前に会社に話さなかったので賠償金を請求された。次々に起きる予想外の出来事に彼女はなす術を知らず、耐えられなくなった。

梁さんは、こんな将棋倒しのような不運の例は、ケア世帯の中では多く見られ、「もしも如さんのような家計の大黒柱が倒れたら、彼女一人だけでなく、家庭が崩壊してしまうのです」と言った。

緊急支援以外に、慈済人は彼らへの補助申請を手伝い、支援が得られる方法を紹介すると共に、ゆっくり彼らの話に耳を傾けて、相手の張り詰めた情緒を解きほぐした。「自分一人でこの問題に対するのではなく、慈済という団体が寄り添っていることを伝えました」。

任務がきた!歌を唄おう

ボランティアは自ら安心祝福バッグや防疫物資を届けた。ケア世帯と話し合う僅かな機会だったが、挨拶するだけで、接触を減らすためにすぐ離れなければならなかった。ケア世帯との交流は非常に限られている。

訪問ケアのシニアボランティアである徐雪友(シュー・シュエユウ)さんは、訪問ケアはケア世帯と顔を合わせて、「愛の貯金」を積み重ねることがとても大事だと言う。以前は相手が電話に出なかったり、電話を掛けてこなかった時は何とかして訪問するようにしていた。中でもインターネット環境のない一人暮らしのお年寄りが最も心配である。「もし『愛の貯金』が充分にあれば、電話訪問でも問題はありません」と説明した。

英さんはベトナムからシンガポールに嫁いできて間もない。彼女は中国語とその文化に疎く、悩んでいることを他人にも言えず、慈済ボランティアの気遣いもあまり受け入れようとしなかった。英さんは故郷を離れて悲しんでいるのだと知って、異国出身者で訪問ケアボランティアの鄒佩君(ゾウ・ペイジュン)さんと姚慧欣(ヤオ・フェイシン)さん、陳玉真(チェン・ユーツン)さんの三人は、これを解決するのは自分たちの役目だと思った。

そして、唄を歌って英さんを慰めようと相談し、陳さんが「音楽は心の悩みを僅かな時間でも暫く忘れ去ることができる最も良い方法です。シンガポールに居るのは彼女一人だけでなく、私たちが一緒にいるのですから」と言った。

英さんはその提案を断らなかった。彼女が恥ずかしがるだろうと思って三人は声を張り上げて唄っていると、英さんも小声で皆に合わせて唄うようになり、一曲を唄い終えた頃は皆で満足そうに笑った。

「その日から彼女は自主的に、来月は何時オンラインで会うことができるのか、と尋ねるようになりました」。英さんの変化に、鄒さんは嬉しくなり胸を打たれた。彼女の心の悩みを聞く以外に生活問題も解決するようになった。

シンガポールの慈済ボランティアは去年5月初め、ケア世帯の健康状態を調査した。2年間政府が防疫政策を引き締めたり緩和したりする中、ボランティアは、訪問ケアができる時間を大事にした。

オンライン訪問はよく不安定なネット接続状態で切れたりするが、四人は相手と話したがったので、何度もネットをつなげて通話した。電話訪問でもオンライン訪問でも、心を込めて付き合えば、困難は解決することができる。科学技術も大事だが、「人」こそが最も重要な支えなのである。

シンガポールには鄒さんのような訪問ケアの主任ボランティアが三百五十人おり、他に百人余りの訪問ケア幹事とチームメンバーが約七百世帯をケアしている。今年から訪問は電話の代わりにオンライン方式が主流になっており、多くの人はボランティアの親切を感じ、心の内を話すようになった。

梁さんは、「以前は訪問する時間がとても逼迫していて、多くても三十分で離れなくてはならなかったのですが、オンライン訪問だとどれだけ話していても構わないのです。中には嬉しさの余り、家の中の様子やおばあさんがご飯を食べている様子を映し出したり、または誰それが眠ってしまったなどと話します」と言った。

以前のようにお互いの肩を叩いたり、抱き合うことはできなくなったが、彼女は、毎月一度に制限されていた訪問よりも、今の方がお互いの関係がより密接になっていると感じている。

コロナ禍はなかなか収束しない。たとえ慈善奉仕に制限があっても、訪問ケアチームは努力を尽くして、ケア世帯に前進する力をもたらしたい。ボランティアが実際に訪問できなくても、優しく話しかけることに注意を払っている。「電話訪問の時、相手の表情が見えないのが一番難しいところです。例えば、悲しみのあまり話しが途切れた時などは、どうして話を続けたらいいのか分からなくなるのです」。コロナ禍での訪問ケアの仕事はより複雑である。粱さんはたとえオンライン訪問時間の約束が取れなくても、連絡を取り続け、どの家庭にもケアがいき届くよう尽力している。

訪問ケアボランティアが使命を果たそうとする責任感は證厳法師に習ったものである。「慈済人は『法師を愛しています』と言いますが、法師は振り返って『私を愛するなら私が愛することを愛するのですよ』と返します。その言葉は私の心の中に深く刻まれており、ケア世帯こそが法師の愛する人なのです」。「相手の苦難が取り除かれ、自分で立ち上がれるようになってほしいのです」と梁さんが言った。

(慈済月刊六六四期より)