荒涼とした戦場 ホタルが淡い光を放つ

私たちは高いリスクを冒しながら、各機関に防疫物資を届けた。

ここは戦場ではないが、見渡す限り荒涼とした感じを受ける。

ただ同時に第一線の人々が依然として役目を全うしていることに尊敬の念を覚える。

愛がホタルの光のように、遍く香港の空に点滅してほしい。

去年の後半、香港はコロナ禍の第四波による陰影が徐々に薄れ、何カ月も市中感染がなく、規制も段階的に緩和された。宗教活動も条件付きで解放され、私たちは二年も開催されなかった慈済歳末祝福会が、予定通り今年の一月に、八回に分けて、小規模で催されることを期待した。

ただ、思うようにいかないのがこの世の常である。第五波が短期間で迅速に悪化し、一月五日に政府は、ソーシャル活動の規制を強めたので、それに伴って支部も歳末祝福会の中止を表明した。

私はもう二年も、年老いた両親がいる実家に帰ってない。すでに高齢だが、来る日も来る日も私という娘を心配し、たとえ病気になっても姉妹に口止めして自分たちは大丈だからと心配をかけないようにして、私がきちんと自分と子供の面倒を見られるようにしてくれている。コロナ禍が過ぎるのを待ち、隔離の必要がなくなった時に、福建省の実家に帰ればいいように。

今年の冬は長くて憂鬱である。感染者数、擬似感染者数、死亡者数、死亡率…日々このような数字を目にしなければならない。

コロナ禍が厳しくなるにつれ、周りに感染者がどんどん増えた。初めの頃はウイルス検査の報告は当日に出ていたが、やがて二日、三日、時には一週間と待たされるようになり、さらには一週間後になり、香港の医療体制の負担は相当重くなった。大勢の人が抗原検査を受けるため、検査センターや簡易検査所はいつも殆ど満員で、マスクが日常生活の必需品であると同時に、簡易検査キットの需要も増え続けた。

慈済香港支部静思堂は、集会禁止令で暫時開放されなかったが、慈善の歩みが滞ることはなかった。皆一層、心と愛を募り、様々なルートを通じて防疫に必要な物資を購入した。

二月二十四日、広東省の師兄が私たちに代わって購入した五万個の新型コロナウイルス抗原検査キットが、香港に到着した。他にも、在宅信者が寄付した四千個の政府指定メーカーの検査キットが、同じ頃に支部に届いた。

慈済花蓮本部は香港を支援して、二十フィートコンテナに七百四十六箱のジンスー本草飲(漢方茶のティーバッグ)、本草飲濃縮エキス、本草エッセンス及び九万回分の抗原検査キット等が入っており、台湾から香港に送られた。また、在宅信者が寄付した四万回分の新型コロナウイルス抗原検査キットも間もなく到着した。その他、支部が発注した韓国からの五万枚のマスクは、三月二日に香港に到着した。

林恵鴻(リン・フイホン)師姐(スージエ)がこのことを知らせてくれた時、私はとても感動した。こんなにも多くの師兄や師姐たちがずっと頑張っているのに、私は何もしていないのだ。そして、私も出勤して慈済の防疫慈善活動に関する記録を取ることぐらいはできる、と恵鴻師姐に相談した。

私は長女と暮らしているが、長女はピアノの先生で、レッスンで多くの生徒と接触しているし、私も仕事をしているので、人と接触しないわけにはいかない。そのため、出勤してボランティアすることは、さほど懸念することではない。

訪問ボランティアは、絶えずケア世帯、三無世帯(公営住宅、総合社会保障援助、単独の電力メーターが無い)、さまざまな団体や施設と連絡を取って状況を把握し、防疫物資が足りているか、緊急支援が必要かどうかを確認した。

私は幸いにも、支部で二日間の梱包作業と三日間の防疫物資の配送に参加することができた。そこで師兄や師姐たちの努力を目のあたりにした。彼らは最少の人手と最速の仕事ぶりで、気を配りながら物資の梱包と配送を終えた。

あらゆる防疫物資はボランティアが一軒一軒連絡を取り、生活困窮者の必要に応じて配分する。梱包する前は注意深く資料と照合する。(撮影・徐淑琴)

尊敬に値する仲間たち

二月下旬から三月上旬にかけて、感染状況は深刻化していった。毎日新規のケースが万の単位になり、先行きが憂慮された。しかし、慈済香港支部執行長の施頌鈴(シー・ソンリン)師姐が言うように、状況は厳しいが、何をするにしても、ボランティアは一声で集まってくれるのだ。ボランティアの梁潤雄(リャン・ルンシオン)師兄(シーシオン)と何俊佑(ホー・ジュンヨウ)師兄の家には、どちらにも幼い孫が二人いる。家族は子供が感染することを心配して、彼らの外出を嫌うが、彼らは勇敢に任務を引き受けている。

今回、物資の配送は高いリスクと向き合わなければならず、六十歳以上の師兄たちにとっては容易ではないが、彼らには悔いも恨みもない。配送中、私たちはコロナ禍での苦しみを目にした。

視覚障害者施設や養老院などでは相次いで感染者が出たが、その多くは施設内の自分の部屋での隔離を余儀なくされた。それに加え、看護等を担当する人にも感染者が出て、施設の運営を維持するには、深刻な人手不足になり、仕事量が重くのしかかった。

そのお年寄りたちを見舞うことはできないが、各施設の責任者や看護師、ソーシャルワーカー、職員と会う中で、彼らがコロナ禍に対して不安を感じ、お年寄りを心配していることがよくわかった。またこのような仕事に携わる人は皆、大愛の心を持っており、それは最も人を感動させるものである。

第一線で同僚たちが次々と感染する中、彼らは依然として自分の役目を全うしている。最も尊敬に値する人たちである。

この困難な時期に、彼らのために手を差し伸べ、彼らを通じて上人の愛、慈済人の愛を伝えることができた。私たち皆が奉仕した諸々の愛と力の全てが価値のあるものであることを信じている。

防疫物資が不足した状況はそれぞれ異なっていた。簡易検査キット、マスク、防護服、手袋、アルコール消毒液…様々で、できる限り提供した。コロナ禍の影響で、貨物輸送が滞り、非常に多くの物資が香港に届かなくなった。野菜や副食品の価格が高騰したため、一般家庭の生活も厳しくなった。ボランティアの李国富さんは、防疫物資を届けた後、引き続き食料とスーパーのギフト券が入った祝福パックを、必要としている家庭に配付する準備を整えて、各施設に届けた。

人間(じんかん)には苦難が多いが、人間に菩薩がいて、愛がある限り、どれほど多くの苦難があっても、私たちはそれらを乗り越えることができる。香港を祝福し、コロナ禍が収まることを願っている。

安心と祝福を家に届ける

編集・林恵鴻(香港慈済ボランティア)

人に接し、物事に対処する時、穏やかで礼儀正しく、笑顔で親しみやすい、というのが、慈済ボランティアの王純純(ワン・ジュンジュン)さんが人に与える印象である。香港で第五波の中、彼女は思いやりでもって積極的に、先ず、コミュニティーボランティアと一緒に施設とケア世帯と連絡を取り、そして訪問ケアチームに報告した。最も早いスピードで防疫物資を届けることが先決であったからだ。

市場では、抗原検査キットを争って購入する現象が起きていた。彼女もボランティアと慈済会員一人一人に必要かどうかを聞いて回った。ある会員は無症状だったが、検査によって感染したことが分かり、直ちに治療を受けた。

また、慈済から簡易検査キットを受け取ったある会員は、旦那さんまでも感激していたと言った。このような困難な時期に、彼らは社会のために何もしていないのに、慈済は積極的に素早く人々の支援をしているのだ。以前、慈済を誤解して、寄付を止めてしまったことがある。王さんは慈悲と智慧でもって会員を励まし、噂のために善の心が惑わされて、途絶えてしまうのではなく、元々慈済に寄付しようとしたお金は、他の機構のために使ってでも、菩提心を発揮し続けるよう教えた。今回、旦那さんが慈済の善行を目の当たりにして、一緒に善行する、と言った。

王さんは馬鞍山に住んでいるが、そこでも少なからぬボランティアが感染している。彼女は車で支部に行って防疫物資を乗せて戻り、呂美恵(リュー・メイフイ)さんが大囲区と沙田区の配付を担当した。馬鞍山区は仇文英(チョウ・ウェンイン)さんと馮少蘭(フォン・シャオラン)さんが届けた。将軍澳区は施淑卿(シー・シューチン)さんと黄金珠(ホワン・ジンジュー)さんが、それらをコミュニティーに持ち帰って配付したので、ボランティアたちはいち早く受け取ることができた。

コロナ禍でもケアが途切れることはなく、王さんは絶えず感染した法縁者と会員を気遣った。スーパーでアルバイトしている蔡(ツァイ)師姐(スージエ)は、感染隔離期間を終えた時の検査では陰性だった。体は弱っていたが、スーパーは人手が足りなかったため、仕事に行くことを余儀なくされた。王さんは、蔡秀蓮(ツァイ・シウリエン)師姐の手作りした防疫匂い袋をスーパーまで届けたので、彼女は感動し、感謝した。

ある会員は王さんに、自宅隔離している間は世間から孤立したような感じだったが、幸いにも慈済人が毎日気遣ってくれ、王さんが彼女に浄斯本草飲と検査キットを提供してくれたお陰で、病気を乗り切ることができた、と言った。

この津波のように恐ろしいコロナ危機は、人と人とのソーシャルディスタンスを引き離しただけでなく、現状に対して為す術がない感じだった。だが、慈済ボランティアは、感染予防措置をしっかり行った上で、行動でもって奉仕し、無私の愛とケアで互いの距離を近づけたのである。

(慈済月刊六六五期より)