母の豆選り分けに付き添う
母の老化現象に、黄裕櫻さんは心を痛めると共に無力感を感じていた。
ずっと農業をして生きてきた母親の勤勉で倹約家と… Read More »
ジンバブエ─移動式理髪店・お子様もどうぞ
散髪に行くお金も、髪を洗う水もない。ジンバブエの農村の子供は全般的に頭部が白癬に感染している。過去六カ月間で、慈済… Read More »
彰化県のエコ福祉用具プラットフォーム─お祖父さん世代のボランティアが慈母の愛を担う
息子を亡くした悲しみは未だ癒えず、
張さんは電動ベッドを見ながら、
一年半付き添ってくれたボランティアのことを思… Read More »
無償で家まで届けてくれるのは本当だった!
母が怪我をして、短期間療養していた時、
電動ベッドと車椅子が必要になった。
慈済ボランティアは退院に間に合うよう、… Read More »
福慧乗り換え駅─李威震
車椅子は車輪一つ壊れても、分解して回収してしまったら、
鉄くずになってしまう。しかし、
ひと手間かけて修理すれば、… Read More »
この瞬間の正しい心構え
時間は累積して歴史を作りますが、
人生では価値を見直す必要があります。
この瞬間の心構えを正し、
福と慧の縁を逃し… Read More »
日常における最高の言葉
五月二十日、インドネシアの石毓達(シー・ユーダー)師兄(シーシォン)らと話をした時、上人は二十五年前のことを思い出… Read More »
隠れた都市の表情 台湾の「街家具」
中国語の「街道家具」という言葉は、何を意味するのだろう?
そこには、公共の場にある備品全てが含まれる。
椅子やベン… Read More »
一族三代を蝕む疾患 十八年間続けた長期ケア
遺伝性の重症心身障害を含む重度の精神疾患を患う一家がいる。慈済ボランティアはこの一家三世代に寄り添い、それぞれの人… Read More »
「お年寄りの話」を喜んで受け入れる
問:私は家庭と事業を持ってからも、「お年寄りの話」を聞けばよかったな、と遺憾に思う時があります。私はどうすれば、感… Read More »
「慈済月刊」五十六年を経ても 法の香は昔日のまま
慈済の機関誌である「慈済月刊」は、慈済が設立された翌年に創刊され、功徳会より僅か一年若いだけである。今年の五月に慈… Read More »
苦を感じて、真理を弘める
世の出来事を通して、この世の苦しみが分かるのです。
一層心を大きくして、大願を立てるべきです。
「菩薩は苦しんでい… Read More »
今月の内容
扉の言葉
編集者の言葉
今月の特集
グローバル慈善
證厳上人のお諭し
親と子と教師、三者の本音
聞・思・修
日常にある美
行脚の軌跡
八月の出来事
20241020
SDGs〜慈済の取り組み〜災害をなくし、飢餓をゼロに
慈済ボランティアはモザンビークで慈善農耕プロジェクトを推進し、ジョアキム・マラ小学校の貧困児童に温かい食事を提供している。同じような活動は、長年にわたり世界中の慈済拠点で行われており、飢餓に苦しむ家庭を支援しているが、これは国連の持続可能な開発目標(SDGs)2「飢餓をゼロに」にも対応している。
20240920
慈済は早くにSDGsの取り組みを開始している
慈済が60年近くにわたって取り組んできた活動の指針と、国連が掲げる持続可能な開発目標(SDGs)と図らずも一致する。月刊誌『慈済』は今月から関連記事を連載する。西アフリカのシエラレオネ共和国において、慈済は過去9年間にわたり、カリタス基金会やヒーリー国際救済財団などの組織と協力して、炊き出しの提供や現地の学校へリソースを拡充させてきた。
20240820
能登半島地震 復興の道
石川県の北西部に位置する有名な輪島市白米千枚田は、元日の強い地震で被害を受け、千枚の棚田のうち、八割に亀裂が入るか、土砂で押し潰された。六月の強い日ざしの下で、農家の人々は田植えを済ませた田で草むしりをしていた。現地で農業が復興の道を歩んでいることの象徴だ。( 撮影・林玲悧)
20240720
能登半島地震 支援をここで終わらせてはならない
能登町役所の入口には、各地から寄せられたカードや布がいっぱい掲げられ、励ましのメッセージが書かれてあった。(撮影・顔婉婷)慈済基金会は能登半島地震の被災者ケアを続けている。7日から9日まで石川県鳳珠郡能登町で第二回の見舞金配付活動が行われ、5つの会場で722世帯に手渡された。
20240620
愛ある商店 地域の愛が集まる場所
台湾全土で2万軒以上の店と屋台が慈済の「愛ある商店」活動に参加している。店主は店に置かれた竹筒貯金箱に客が釣り銭を入れるのを見ると、嬉しくなる。店と客が一緒に善行して福を作っている。(挿絵・徐淑貞)
20240520
コーラン経筆写本─百、千刧経て、器用な手で復元された
胡光中さんは、大切に所蔵していたコーラン経筆写本を證厳法師に寄贈した。検証の結果、紀元15世紀から16世紀に、10人以上の人の手によって書き写されたものと判明した。紙が変色して脆くなっていたページには血痕や水シミ、カビ、虫食い跡、焦げ跡まで残っていた。修復士は細心の注意を払って修復し、2年余りを費やして、本来に近い状態に戻した。