隠れた都市の表情 台湾の「街家具」

中国語の「街道家具」という言葉は、何を意味するのだろう?

そこには、公共の場にある備品全てが含まれる。椅子やベンチ、ポスト、街頭変圧器、バス停、街灯、遊具など、人々が普段は気にも留めないそれらに実は都市の表情が仔細に反映されている。

「見知らぬ都市を訪れて、ゴミを捨てようと思った時、手を伸ばして遠くからゴミ箱に放り投げるようなことはせず、慈しむ気持ちでゴミ箱に近づいて正確に入れ、そこを離れる時にゴミ箱の設計の美しさを鑑賞したら、進歩した都市にやって来たのだな、と自分に言い聞かせることができる」。

中華民国前駐フランス代表で、現駐アイルランド代表の楊子葆(ヤン・ヅーバオ)さんは、かつてフランスの著名な建築士のこの言葉を紹介してくれた。その時からそれは、彼が他国の都市を訪れる時の一風変わった評価の指標となっている。

街を歩く時、足元の道や手で握られたスマホ以外に、周りの町の街道や施設に注意を払ったことがあるだろうか?それは街灯の形であったり、山水画が描かれた電気ボックスであったり、公園にあったアルミ製や石作りのベンチ、色や規格に融通性のないユニット式の千篇一律な遊具、きらめく区長事務所のLED看板、不意に出現する道路工事の注意を喚起する人形だったりするだろうか。

容易に目に付くランドマーク的な建物に比べて、これら街にあるものは平凡で目につきにくく、都市景観の一部とみなされ、環境美学において意義があると考える人は少ない。しかし、それらの設計と設置は都市の「隠れた仔細な」表情となって現れ、都市の進歩にまで反映されるのである。

住民が自主的に道端や公園に置いた椅子も街家具である。(撮影・安培淂)

「街」という居間にある「家具」

都市景観は主に建築、緑化、街路備品及びその他(路面、空、水、人の活動)から成り立っている。このうちの街路備品(Street Furniture)は、「公共の空間に設置されていて、大衆のために提供されている、公的または私的な設置物」を意味する。その多くは公的に設置されたもので、その範囲はとても広く、都市だけに限らず、農村や偏境にもある。それらは狭義の街路という場所にだけではなく、広場、公園、駐車場、駅などの公共の場にも見ることができる。

「街道家具というのは別に学術的な言葉ではなく、ハイエンドの設計産物でもありません。大昔から街道ができた時には既に街道家具がありました」と建築士の林淵源(リン・イェンユェン)さんが言った。彼の定義によると、「街道家具」とは私たちが家から出て、街道を別の大きな家の中とした場合、周りの建築物が壁で、私たちはその家の応接間に立っており、ベンチやバス停、街灯などは人々が安心して生活するための必需品であり、それが正にその家の「家具」なのである。

家の配置で家具や装飾におけるスタイルや質感にこだわるのであれば、公共の場である街道に設置される家具も同じように計画を立てて設計されるべきである。楊さんは著書『街家具と都市美学』においてこう指摘している。昨今のストリート・ファーニチャーは、機能性や数量、アクセシビリティ、耐久性、快適さが要求されるだけでなく、造形や色、材質及び周囲の環境との調和性が重視されている。またそれ以上に、アイデア性や大衆生活との互換関係から、公共芸術の創作テーマにまでなっている。

台東県成功鎮の八嗡嗡地区はパイナップルの産地で、自治体はパイナップルの形をしたバス停を設置した。(撮影・安培淂)

都市の顔を全体的に表現する

台湾大学のメインキャンパスがある新生南路辺りは、以前は壁がキャンパスとコミュニティーを隔てていた時期があったが、「開け放たれたキャンパス」という趨勢の下に、ここ数年はその壁は跡形も無く取り除かれている。その代わりに小橋や流水、茂みができ、広い遊歩道広場には昔の用水路の風景が復活した。明らかに片方は大きな道路で、もう片方は学校のグラウンドなのに、都市の中にあるオアシスを散歩している錯覚にとらわれる。

経典工程顧問公司がこの企画と設計を任され、景観設計をした傅雅祺(フー・ヤーチー)氏によると、設計するにあたり、人が行き交う空間を通路にするだけでなく、方向を誘導する街灯や樹木の下に設置するベンチ、水辺の柵などの街家具を全体の環境と一体化することで、元々は機能優先の通路が、人々が足を止めたくなるような都市景観になるように考えたのだそうだ。

台湾大学前の新生南路歩道わきに昔の用水路が復元され、街灯や水辺の柵がその環境に溶け込んでいる。

「街家具は決して夫々が独立した物件ではなく、都市の顔を全体的に表現しています」。

銘傳大学建築学部副教授の褚瑞基(ツゥ・ルウェイヂ)氏はこう強調する。「例えば、光が射してくる方向は人が椅子に座る時の感覚に影響を与えるように、様々な街家具は互いに影響し合い、バラバラに設置してはいけないのです」。

「設計が美しければそれでいいというわけではありません。良い街家具というのは、先ず基本的な機能が満たされていなければなりません」と褚氏が説明した。例えば、案内標識は利用者が明確に分かるようにしなければならない。もし字が小さ過ぎたり、標識のベースの色と融合して見づらかったりすれば、どんなに美しく設計しても使い物にならないのである。

更に、環境心理学(人類の行為と物質環境の関係)から街家具の良し悪しを判断することができる。即ち、大衆がそれに近づいて利用するかどうか、管理する側が容易にメンテナンスできるかどうかである。

褚氏は「美しさ」から良し悪しを判断するよりは、環境心理学の角度から討論しようと考えているそうだ。

「実は『美』という字は少し危険を孕んでいます。例えば、超美しい作品を設計したとしても、それは設計士からみた角度です。もし人々にとって使い難く、メンテナンスも難しければ、目的を達した設計でないのは明らかです」。「簡単に言えば、街家具は、それがあると居心地が良くなることと、メンテナンスが容易であることとのバランスが取れたものでなければならないのです」と彼は言った。

台電ビル前の通路に風よけのガラス張りの庇ができ、歩行者に優しいものとなった。

台北メトロの中山駅と双連駅の間にある中山線形公園は、その双方のバランスが取れた良い例である、と褚氏は言う。その幅二十メートル、長さ五百メートルの細長い空間は、初めは単一的で、二次元的な景観だったが、今では人々に様々な角度と高度をもたらし、異なった生活を思い描く新しい空間を提供するようになった。

特に「心中山舞台」は、中山駅の出入口であり人目を引く建築物であるだけでなく、何重にも機能する街家具なのである。一口企画設計顧問公司は、駅の雨避け部分を二階構造にして、景観台にする計画である。階段で上がると南京西路の賑やかな街並みが見え、下の広場には待ち合わせ場所としてのランドマークを創り、週末にはパーフォーマンスがそこで繰り広げられる。

舞台の階段は通路であると同時に、観客席にもなる。「それに、人々は普段からその高くなった舞台の階段に座っていることが多く、そこから通行人を眺めているのです。底面的な処理方法に比べ、設計者は高さを駆使して利用者に異なった体験をしてもらうことができます」と彼は言った。

台北メトロ中山駅にある「心中山舞台」は駅出入口の建築そのものであると同時に、展望台でもある。街家具というのは単一の物件ではなく、都市の顔を総合的に表現している。

また、その細長い空間にある花壇は、不規則な曲線によって流動的な感覚を創り出しており、そこには設計者の利用者に対する優しさが窺える。褚氏の分析によると、湾曲した内側に座った場合、比較的人目につかず、身近に感じる空間になる。「異なったニーズを持った人は異なった空間でリラックスすることができるのです」。

「台湾は現段階では、全面的に街家具を造り変えることはできませんが、中山駅のような模範を通して、良い都市の応接間にある家具はどういうものかを、皆に身近に感じてもらうことはできます」と言った。

実際、街家具は、西洋で都市が発展した当初からあった。例えば、ローマ帝国で作られた行政区分の境界を示す石碑や噴水がそれに当たり、表面にはこの場所の水や土地は権力者が与えた物だと記された。中世にヨーロッパの都市が急速に発展するにつれ、街家具も進歩していった。十九世紀初頭には街家具は広く都市に設置されていた。しかし、「街家具」という名称は、一九六○年代になって初めてヨーロッパで広く使われるようになった。

最も代表的な街家具の例が、一九九○年代にパリのシャンゼリゼ大通りの整備プロジェクトである。その後フランス大統領になった、当時のパリ市長ジャック・シラク氏が首都全体の街家具を整備し直した。パリ独特の旧式街路灯やモリス広告塔、書籍販売スタンドを作り直すと同時に、モダンなバス停やゴミ箱、ベンチ、交通信号などを設計し、新旧融合させて、精緻且つ多様な都市の顔を造り出した。

そして、二○二四年の夏季オリンピックを迎えるにあたって、パリは再びシャンゼリゼ大通りの改造を計画している。それは、車道を縮小して遊歩道を広くすることで、人を都市の応接間の主役に戻す計画で、「家具」は自ずと画竜点睛の一つになるのだ。

西洋都市の発展に比べて、台湾は日本統治時代に初めて都市計画が行われて、道路や公園という公共の空間が生まれたが、街家具は僅かに街灯に留まっていた。戦後、国民政府にそのような計画がなかったため、民間で廟の前や道路脇に、人々に座ってもらう椅子を置くようになった。

褚氏によると、政府が一九九○年代になって街家具を設置するようになったのは、政治、経済、社会の間に切っても切れない関係があったからだという。地方政府は都市管理を通じて公共空間を建設し直すことで、公共性を大衆の生活領域にとり戻した。即ち、生活をより快適で便利なものにするために、各種街家具が設置されたのである。

ブラジルのクリティバ市で世界初めて運用されたBRT(バス高速輸送システム)は、バス停が円筒形のガラス張りになっている(写真1)。坂茂氏が設計した、東京渋谷にある透明の公衆トイレは、施錠すると曇りガラスになるが、大衆は使用する前に中の清潔さを確認することができる(写真2)。フランス・パリ発のモリス広告塔は、後に欧米各国に見られるようになった(写真3)。(撮影:写真1・安培淂、写真2提供・ゲッティイメージズ、写真3・王志宏)

環境に溶け込み、面白みを感じるもの

新竹市の繁華街にあるメガモール商業エリアから三民路に向かうと、歩いているうちにあまり広くない森林に入ってしまい、中には小川が流れていた。そこは四年前、隆恩圳(りゅうおんしゅう)という大きな水路が人々に親しまれる公園に生まれ変わったものである。

木々の枝の密度と今に残る石積み護岸に歳月を見ることができる。そして、目を凝らしてみると、新しいアイデアに驚かされる。不規則な形をした水草を囲う柵や足下に設置されたマッシュルーム型街灯、頭上に吊り下げられた風鈴型街灯、芝生に置かれた寝そべり用ベンチ等々、夫々が見事であると同時に、全てがそのリラックスした環境の雰囲気に溶け込んでいるのだ。

新竹市が企画している一大プロジェクト、「歩行都市」の下で、公園の緑、用水路、歴史のある市街地などを歩行空間で繋ぐことで実現している。隆恩圳もその一つである。

スイスのベルン市にある公園。民衆がベンチに寝そべって読書したり、談笑したりして、気ままに冬の陽だまりを楽しんでいた。(撮影・安培淂)

田中央聯合建築事務所で設計担当の主任建築士である黃聲遠(ホワン・ションユエン)氏はこう言ったことがある。元々、用水路が存在していた状況下では、様々な角度からそこに通じる道を作ることで、大衆に親近感を持ってもらい、植物と生活空間を連結することによって、街道には珍しい「空白」部分を創り出している。また、このような空白は想像力を必要とする。よって異なった街家具の出現によって、徐々に決まり切ったような都市に少しずつ趣を添えている。

だが、多くの公共部門では、このような想像力を歓迎しないだろう。「道路の街灯は普通であると同時に、中央政府や地方政府の基準に沿った造形のものが選ばれます。それらは注文し易くてメンテナンスも容易で、ごく一般的な形式のものです」と新竹市政府工務所土木課の莊坤霖(ジュアン・クンリン)科長が説明した。

隆恩圳(用水路)の改造案責任者である莊氏がこう説明した。街家具と周りの環境を融合させるために、全てを標準タイプにするわけではないが、メンテナンスが困難なものを採用することもない。例えば、機能的であっても環境にマッチしたマッシュルーム型や風鈴型の電灯は、その笠が標準的な造形でなくても、電球は標準タイプのものを使っている。水草の柵は従来の白鉄の代わりに細い鋼材を使うことで、見た目にしなやかな感じを出していると共に、その強度によって安全性も満たしている。

韓国ソウル市のソチョ区に外観と機能を共にヒマワリに似せたソーラー街灯が設置されている。(撮影・安培淂)

「市政府は設計チームの能力を信頼しており、チームも確実に設計とメンテナンスのバランスを取っています」と新竹市政府顧問でもある実践大学建築設計学部の王俊雄(ワン・ジュンション)副教授が言った。

隆恩圳の改造工事は工務所の他に、後々のメンテナンスを行う都市マーケティングオフィス、交通所及び市政府直属でない新竹農田水利会が責任を負っている。王副教授によると、公共事業が外部や他の部門に関係してくると、会議の時に専門知識を尊重せず、互いに詰問する状況が頻発するが、新竹市政府内ではあまり起きない。市長が毎週自ら主宰する重大建設報告会で、関連局長や科長、外部の設計と施工のチーム全てが参加して、共同で問題を解決している。そして、ただ「実行する」だけではなく、「良いものを作る」必要があるのだ。

道路上の至る所に存在し、大衆と密接な関係にある設置物であっても、そのもの自体が小さいために、台湾の都市設計の中で付随的なものとして扱われ、市街地の補助的な物に過ぎなくなってしまう物もある。長年、各方面の「作っただけで十分」という態度の下に、様々な劣悪品や混乱と調和の取れていない街家具を生み出してきた。

「都市計画の総合的に見たレイアウトに欠ける」ことが最大の原因である、と褚氏は結論づけた。都市は点から線、面へと構成して行くべきだが、以前は殆ど単一的な視点から思考する場合が多く、点と点の間は管轄権が異なるために統合できず、どうにもならなくなってから初めてマスタープランを持ち出したがるが、往往にして手遅れの場合が多い。

二つ目の難題は、「社会を利するよりも弊害防止を重視する」政府の調達方法への批判である。今まで政府の入札では価格のみを考慮するため、殆ど価格の最も低いものが落札され、総合的に条件を考慮し、公共にとって最も有利な札を採用して来なかった。そのやり方は「手順は合法でも、結果が悪い」ことになりかねない。三年前に法改正して最も有利な入札適用条件を簡素化し、各機関が機敏に運用できるようになったが、少なからぬ政府部門はいまだに古い習慣を踏襲している。

近年、公的部門と設計業界を結びつけている社計事務所の呉漢中(ウー・ハンジョン)代表がこう指摘した。「もし、絶えず大衆の生活に影響する事を解決しようとするなら、このような方法は適切ではないと思います」。

台中市緑園道にあるグリーンベルトは散歩するだけの空間ではなく、ベンチが設置されており、民衆がいつも待ち合わせと憩いの場として利用している。

「台湾はもっと視野を広く持った意思決定者が、単一的な視点から全体的な景観に広めて実行する必要があるのです」と褚氏と呉氏が異口同音に言った。

台北市羅斯福路にある台電(台湾電力)ビルは、かつて全台湾で初めて百メートルを超えた高層ビルだったが、その前を通ると、吹き降ろしの風に硬い感じの階段と花壇の影響で、夜は停電したように薄暗くなり、長年、「人々の近寄り難い」雰囲気を創り出していた。総合的に環境と街家具を創り変えた後は、風や日差しを遮って、夜間には照明が灯るガラス張りの庇やベンチの機能を持ったアーチ型の花壇など全てが、その空間を優しいものに変え、近所の住民も道ゆく人も近付くようになった。

「人々のそこを通過するスピードに違いを感じています。以前は足早にそこを通っていましたが、今は歩調を緩め、直線を通らず、ぐるりと回ったり、人との待合いに座ったり、休憩する人もいるほどです」。近くをよく行き来する傅雅祺(フー・ヤーチー)さんは、百メートルちょっとの距離ではあっても、空間の配分と視覚の感じ方で、新たに明るくて快適、且つ通行人に優しい通路ができたのを目にした。

人々は街の空間を移動する他に、そこにある街家具によって異なった行動を取るものだ、と言った。例えば、街灯は安全性を高めると共に、明るさで人を安心させ、ベンチやバス停は人々の足を止める。「街家具の機能と質が向上した時、移動する人々の足を止め、人同士の交流と各種イベントを開く可能性が増えてきます」。

新北市淡海ライトレール駅とバス停には、絵本作家の幾米(ジミー)の作品が取り入れられている。

再発見して、街に親しみを感じる

フランスの街家具研究者で、パリ大学の教授であるミッシェル・カルモナ氏は、「街家具を設置する目的は、人々が再発見して、街に親しみを感じてもらうことです」と言ったことがある。街家具は最初の公共奉仕をする施設から、人と人の交流を誘発し、人と空間の接触媒介となると同時に、都市の価値を表現するものに変わってきている。

「実は、隆恩圳の工事が完成する前は、人々がこういう変化を喜んでくれるのだろうか、と心配していました」と昨年、行政院と新竹市の模範公務員として表彰された莊さんは正直に言った。工事期間中、一部の人が設計に疑問を呈し、市政府のチームは何度も話し合いの場を設けて疑問に答えたことがある。姿を変えてから四年後の今、大衆の行動が明確な答えとなっている。

毎日、通退勤の時に隆恩圳の前を通る莊さんの観察によると、時間帯によって異なった人たちがそこを利用していると言う。朝は年配者たちが運動していて、午後は子供たちが放課後の遊び場として利用し、夜は家族やアベックが散歩している。「芝生に寝そべってスマホを見ている人や水草の柵にもたれて、用水路と樹木を一緒にカメラに収めている自撮りの人などをよく見かけます。皆、自分たちが好む角度を見つけているのです」と彼が楽しそうに語った。

街家具という小さな物体から道路や公園、駅といった大きな空間まで、都市の風貌はこれら一切が集まってできたものである。ある日、街をぶらついて、公園で休憩しようとした時、街灯やベンチを見て、その設計を褒めたなら、私たちの都市は本当に進化したと言えるのだ。

(経典雑誌二八五期より)

新竹市隆恩圳親水公園は、伝統的な作りの欄干や街灯、遊具を採用せず、徐々に決まりきった都市に質と趣が出てくるよう設計されている。

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