息子を亡くした悲しみは未だ癒えず、張さんは電動ベッドを見ながら、一年半付き添ってくれたボランティアのことを思い出した。
その時から、より多くの貧しい家庭を助けるために、慈済に惜しみなく寄付するようになった。
「スージェ、家に電動ベッドがあるのですが、数週間しか使ってなく、まだ新しいものです。慈済に寄付したいのですが、いいでしょうか?」
「分かりました。その関係の人に連絡します!」
五月九日、慈済訪問ケアボランティアの許君玉(シュー・ジュンユー)さんに張さんから電話が来た。張さんは毅然とした人だったが、四月初めに息子の葬儀を終えたばかりで、親が子供を見送ったことから、彼女の声には悲しみの影があった。彼女は息子の遺留品を整理していた時、もう使うことのない電動ベッドを見ながら、慈済のことを思い出した。
五月十一日の午後、六人のボランティアが彰化市五権里に到着し、張さんの家の状況を下見したところ、四階建てのアパートは階段しか使えないことが分かった。「電動ベッドを階下に移動させるのは大変なことでした!」 階段のスペースは狭く、ベッドを立てて運ぶしかないことを見て取り、許梅樵(シュー・メイチァオ)さんは直ぐ階段を降りて、資源回収車から麻縄を取ってきた。彼は経験から、ベッドフレームの支点を見つけ出し、運ぶ時に滑り落ちないように麻縄で引っ張って、複数の力点を作った。
重いベッドを運ぶのは、六人の若者でも大変なはずだ。しかし、呉旭鑄(ウー・シューヅゥー)さん、黃龍吉(ホワン・ロンジー)さん、許梅樵さん、黃銘湖(ホワン・ミンフー)さん、洪永昌(ホン・ヨンツァン)さん、董榮村(ドン・ロンツン)さんたちは若くないだけでなく、もうお爺さんの年代である。今回は疲れないと言えば嘘で、ましてや車に積むまで、あちこちぶつけないように注意しなければならない。ベッドフレームを無傷のまま運ぶことも試練である。
お爺さん世代のボランティア六人は、全員大汗をかきながら、順調に運搬の仕事を終えたが、「疲れた!」と言う人は一人もいなかった。当日は涼しい風が彼らの笑顔を撫で、そこには善行をした後の楽しそうな姿があった。
ボランティアたちは狭い階段で、重いベッドをゆっくりと回転させながら降ろして行った。途中で何度か運びにくい所があったが、やっと一階に着いた。
治療の継続のために、迅速に支援する
ボランティアたちが張さんと出会ったのは、二〇二〇年十一月のことだ。当時、新型コロナの感染が世界中に広がっていたため、各業界に変化が起きていて、工場で働いた張さんは解雇されてしまった。ご主人はそれ以前に退職していたので、退職金を全て住宅ローンの返済に充てた。家族の生活費は、コンビニで働いている娘の給料に頼っていた。
年末に近づいた頃、仕事を見つけるのは容易ではなく、張さんは時々パートの仕事に就くことしかできなかったが、九月に息子がガンを患い、キーモセラピーを続けるしかなかった。医療費の負担は重く、親戚や友人からお金を借りることもままならず、彼女は焦った。
その時、慈済に彼女のケースが報告され、ボランティアが詳しく状況を聞いて分かったのは、息子は仕事を辞めてキーモセラピーを始めたが、効果が芳しくなく、医療費が家計に与える多大な影響を考慮して、それ以上治療を続けたくないと思っていたのだった。その後、医者が説得し、また慈済が支援することになったため、十二月に入院して、治療を続けることにした。
慈済は先ず緊急支援し、その後、毎月の生活費を補助した。しかし、キーモセラピーの過程で多くの副作用が発生したため、妹から提供された造血幹細胞移植に切り替えた。しかし、再びひどい拒絶反応が起こり、退院するのが困難になった。
「息子さん、少しはよくなりましたか? 医療費は払っていますか?」
「勇気を出してください。家族も慈済ボランティアもあなたのことをとても心配しています。無事に乗り越えられることを祈っています!」
ボランティアチームは時折、チアリーダー役になって彼女を励ました。しかし、二〇二二年暮、病状が悪化し、もはや如何なる治療も適さない状態になり、ホスピス病棟に転院し、張さんとご主人が交代で付き添った。
二〇二三年二月、ボランティアに「張さんがスクーターで事故を起こした」という知らせが届いた。左手を骨折して手術し、少なくとも半年の療養が必要だった。その間、息子さんは「お母さん、入院して長いので家に帰りたい!」と言った。「分かったわ。病院に聞いてみるから」。
張さんは子どもが非常に衰弱していて、自分は既に高齢であることから、彼を助け起こすのは困難だったため、電動ベッドを購入することにした。「息子は自宅に戻って新しいベッドを使用して僅か二週間の時、突然、呼吸困難になり、病院へ救急搬送されました。幸いなことに、息子は安らかに亡くなり、やっと解脱しました。これ以上苦しむことはないのです!」
四月中旬、張さんは訪問ケアボランティアと相談した。「娘の収入は私と主人を養うのに十分です。私も仕事を見つけることができます。慈済はその補助金をもっと必要としている人に使ってあげてください」。
君玉さんは知っていた。張さんはいつも自分で全てを背負い、支援に頼りたくない考えを持っている。心から彼女を説得することにした。「張さん、私たちのソーシャルワーカーは、あなたの骨折が治って安定した仕事に着いたら、補助金を打ち切ってもいいと言っています。今は補助金を半分に減らして、安心して治療を続けてください。これでよろしいでしょうか?」
張さんは、世話してきた子供と死別した。このような人生を、彼女は何とかして自分で生きてきたが、それを見ると、心が痛む。
愛はこの世に巡る
お爺さん世代のボランティアたちは任務を終えた後、三人がトラックに乗り、他の三人は静かに四階に戻った。運搬作業中に張さんが、「電動ベッドを撤去したので、木製ベッドを元の位置に戻したい」とつぶやいたからだ。
ボランティアたちは張さんの言葉を心に留めていた。木製ベッドを元に戻し、スプリングマットレスを固定し、シーツを被せて整えた。タフな老人たちの心には優しさが残っていた。
この世は移り変わりが激しく、ボランティアは愛でもって道を切り開いている。 「慈済エコ福祉用具プラットフォーム」は、人々の善と愛を結集し、愛をこの世に循環させている。ボランティアたちも、張さんの腕が早期に回復し、日々平穏になることを願った。
(慈済月刊六八〇期より)