私は家庭と事業を持ってからも、「お年寄りの話」を聞けばよかったな、と遺憾に思う時があります。私はどうすれば、感情面、学業、事業において自分の「お年寄りの話」を子供たちと分かち合い、彼らが後悔するようなことがないよう手助けすることができるのでしょうか。
答:私が高雄の大学へ進学するため田舎を離れようとしていた時、母が私の荷物整理を手伝いながら、厳粛な態度で私にこう言いました、「大学に入ると、ボーイフレンドができ、将来結婚すると思うけど、結婚相手が金持ちでも貧乏でも、肝心なことは一つ、絶対に博奕をやってはいけない。というのも、博奕に溺れる人の家族が離散して肉親を失う姿をこの目で何人も見てきたから、これだけは必ず覚えておくのよ」。
それは母親が私に残してくれた最高の「お年寄りの話」です。私にとって生涯役に立つものです。
日常生活には選択肢も誘惑も多いですから、人はいつも欲望に負け、賢明さに欠けるため、大人を問わず子供たちまでも、常に後悔する状況に陥るのです。
「お年寄りの話」は全て自身の人生経験から来ています。しかし、子供たちにも自分たちで学習すべき課題があり、子どもに直接インプットして、問題を回避させるのではなく、「後悔する」というのも勉強の一つなのです。「私が言うから話を聞いて、その通りにしなさい」というパターンから離れて、目上の者が如何にして傍で「損失を最小限に止めるべきか」という点に重点を置いて注意を促し、子供がその言葉を聞き入れるかが大切なのです。下に挙げたのは、「お年寄りの話」をする際に注意すべき点です。
忍耐強く、子供の話を聞く
もし親が子供に「お年寄りの話」に従って行動するのを望むのであれば、子供は頭を使って問題を解決せず、自分の行動に責任を持たなくなるでしょう。
若ちゃんという生徒の家は、伝統産業に属する事業を経営していますが、彼女は現代科学技術が家業の経営に役立たないかと提案したのですが、お母さんは頭で暗記して、電話で顧客と連絡を取ればいい、と言いました。何度提案しても通じないため、若ちゃんは次第に家業を継ぐことをやめようと考えるようになりました。お母さんがやり方を変えられず、彼女の考え方を受け入れようとしないからです。親子の間に衝突が起きて、若ちゃんは全てを放棄しようと思いました。
子供は皆、自分の意見を持った、独立した個体であり、それぞれ生まれついた能力を持っています。親が安全な範囲内で適度に手を緩めて、子供の考え方を尊重すれば、子供はきっと多くの試行錯誤を経て経験を積み重ねていくでしょう。ファザコンやマザコンになっては成長しません。
子どもに付き添って、分析し、判断する
「お年寄りの話」の目的は、子供に険しい道を歩かせたくないからですが、大きすぎる保護の傘の下では、却って子供に判断や思考、問題解決の能力を失わせてしまいます。
自分の子供にアドバイスしたい時は、物事の優劣を挙げるだけにして、決定権は子どもに任せればよく、過度の干渉は禁物です。子供には、「ここにいるから、必要な時は相談してくれていいよ」と言うだけでいいのです。
支持しても、悪口を言ってはいけない
コミュニケーションを取る過程では、子供も親も感情的になりがちです。親は先ず自分の感情を抑えると同時に、子供にネガティブな感情を表すことも許すべきです。一番大事なのは、否定したり、ネガティブに批判したりしないことです。そうすれば、子供は心の中にある意見をちゃんと表すことを学べるようになります。親の高圧的な意見に屈して、表面上、従順になるなら、最終的には取り返しのつかない結果になってしまいます。
親しい友人のAさんの夫は理工系の男性ですが、子供から第一種(社会系)に進学したいと伝えられた時、父親は激怒して、「一種に進学したら、将来は何も物にならん!」と悪口まで言いました。その日から、子供は親に口を利かなくなり、一緒に食事もしなくなりました。親が態度を軟化させても、子供は沈黙し続けました。
子供に対するしつけはコントロールすることではなく、支持することなのです。
子どもが親の信頼と支持を感じ取れば、問題に直面しても安心でき、続けて探求して能力を身に付けることができるのです。子供の成長に伴って、適度に手綱を緩め、合理的な範囲内で、子供を試行錯誤の中から学ばせることこそが、最も賢明な「お年寄りの話」ではないでしょうか。
(慈済月刊六七八期より)