車椅子は車輪一つ壊れても、分解して回収してしまったら、鉄くずになってしまう。しかし、ひと手間かけて修理すれば、長く使い続けることができる。
物を大切にするという考えから、李威震さんは福祉用具の修理を始めた。福祉用具を寄付してくれる人と受け入れてくれる家族にとても感謝している。
「福祉用具を寄付してくれる人はとても智慧があり、物の寿命を延ばした福祉用具を受け入れてくれる人には福がある、と思います。そこで、私は心の中でエコ福祉用具プラットフォームに、『福慧乗り換え駅』という新しい名称を付けました」と彰化慈済エコ福祉用具プラットフォームの担当者、李威震(リー・ウェイヅン)さんが言った。
「小学校二、三年生の頃、助けを必要としていたクラスメートのことを家に帰って両親に話しました。すると、支援するためのお金を持たせてくれました」。両親は二人共人助けを好み、三人の息子を思いやりのある人に育て上げた。長男である李威震さんと弟たちは仲がよく、今でも父親と一緒に創業五十一年の醤油工場を経営している。
数年前から、彼は家族に内緒で、不要になった福祉用具を収集し始めた。
「最初は、家族が気にするのではないかと心配したので、家に持ち帰ると直ぐキャンバスをかぶせました」。しかし、それはすべて彼の考えすぎで、家族は反対しなかっただけでなく、醤油を運搬する小型トラックまで福祉用具を運ぶ専用車として使わせてくれた。逆に、会社が醤油を配達する時はいつも、先ず彼に使用時間を予約するようになった。
家族が全力で応援してくれるようになると、李さんは自宅の中庭を「福祉用具乗り換え拠点」に変えた。特に、李さんより早く慈済ボランティアになった妻の頼孟均(ライ・モンジュン)さんは彼のとても頼りになるアシスタントである。「主人は一日中忙しく家業を終えると、夜になってから一人暗い庭で福祉用具を整備しています。十時を過ぎる日もあるので、そんなに疲れるまでやる必要があるのかと、私は悩むようになりました。その後、考えを一転させ、彼がこれほど楽しくやっているのだから、私は喜ぶべきではないだろうか、と思いました。従って、私は二度と彼に小言を言わなくなり、彼を見て大いに喜んでいます」。
互いに感動し合えば、チームになれる
二○一三年に慈済委員になった李さんは、リサイクルステーションで再生された補助具の価値を認識した。「車椅子は片方の車輪が壊れただけかもしれませんが、解体してしまえば、鉄くずになり、大したお金にもなりません。しかし、ひと手間かけて修理すれば、まだ長く使える補助具になります。それならば、これらの補助具が再び利用されて、価値を取り戻す方法を考えなければならないと思いました」。
電化製品の修理が得意な李さんは、補助具の「修理」を始めた。一台終わると二台目、と徐々に庭の三分の一以上のスペースを占めるようになったので、さらに補助具を保管する簡易倉庫を建てた。
同じ地域のボランティア、范光文(ファン・グォンウェン)さんは、「彼の家の空地は車椅子や電動べッド、エアマットレス、歩行器などでいっぱいだったので、回収資源に回してはどうかと勧めましたが、彼はとても倹約的で、捨てるのが惜しく、修理したいと言っていました」と言った。
ボランティアの李宗炳(リー・ヅォンビン)さんは、熱心に補助具の運搬を手伝っている。「宗炳師兄はよく、主人と補助具を届けに出かけます。申請した人に届けるだけでなく、設置までするので、一度出かけると三、四時間かかります。食事の時間が過ぎても帰って来ないこともあります」と頼さんが言った。
ボランティアの江士偉(ジャン・スーウェイ)さんは塗装職人で、修復された補助具にペンキを塗ると、外観が新品のようになる。彼は使用者に、慈済補助具プラットフォームの心遣いと尊重を感じとってほしいと願っている。
回収された福祉用具は洗浄して、天日で消毒する。李威震さんは壊れた機能を使えるように修理する。
社会の需要は益々増えている
リサイクルボランティアの蘇家正(スー・ヂヤヅン)さんはオートバイの修理が得意だが、李さんが福祉用具の修理に取り組んでいるのを見て、時間さえあれば、員林市莒光路にある自宅から山脚路の李さんの家に行って、車椅子の修理を手伝っている。「二十数台修理したばかりだったのですが、最近、李さんが『車椅子はまた足りない状態になっています』と言うのです。本当に需要は益々増えています」。
受け取りと運搬の過程で、ボランティアたちは患者と家族のニーズを深く感じ、自ずと福祉用具チームが結成された。十年前から回収されたそれらを修理しているが、いつもリソースが足りないと感じてきた。エコ福祉用具プラットフォームが設立されてからは、助力が増えた。例えば、南投のボランティア洪錫財(ホン・シーツァイ)さんがよく技術を教えてくれたお蔭で、経費を大きく節約することができた。
「臨時に需要がある時でも、私たちにできるのは直ちに応じることです。急なことで、他の師兄と連絡がとれない場合は、私が単独で福祉用具を届けに行きます」。重い病院ベッドは、李さんの手にかかれば、羽根のように軽い。自ら設計した二つのスライドレールをうまく活用し、彼は数十キロの病床を軽々とトラックに押し上げることができるのだ。
「多くの家族は、福祉用具の縁で慈済の良さを知り、使用者が亡くなってから返却してくれる時、ご祝儀袋で感謝の気持ちを表してくれます。私は、受け取れない、と再三言いますが、最後には使用者の名前でそれを慈済基金会に寄付し、領収書を家族に送っています」。
現在、彰化では県内十三カ所にエコ福祉用具プラットフォームの拠点がある。「私たちは申請案件を受け取ると、所属地区の師兄に担当してもらいます。彼らは地元をよく知っているので、親しみがあり、より周到なサービスができるのです」。李さんは、各拠点のボランティアが協力してくれていることに、心から感謝している。
(慈済月刊六八〇期より)