ジンバブエ─移動式理髪店・お子様もどうぞ

散髪に行くお金も、髪を洗う水もない。

ジンバブエの農村の子供は全般的に頭部が白癬に感染している。

過去六カ月間で、慈済ボランティアは一万人余りの散髪を行って治療した。散髪で「三千の煩悩の糸を切って、尊厳を取り戻す」。

東マショナランド州ドンボシャバ・コミュニティで、チャリティー青空理髪店がオープンし、ボランティアが学童や民衆に無料の散髪を行った。(上の写真提供・朱金財)

「一」の後に「十四個のゼロ」を付けると、どのくらい大きな数字になるか想像できるだろうか?そして、そのような天文学的数字のお金でもトースト半斤しか買えないのだ。この百兆札を発行した国こそがアフリカ内陸部にある「ジンバブエ」である。

一九八〇年に独立したジンバブエは、豊富な金、銀、ニッケルといった鉱産物と農産物を有しているが、長年にわたる政治と財政の不安定で、十年以上前にハイパーインフレが起き、ジンバブエドルの価値が急速に下落した。百兆ドル紙幣は卵三個としか交換できず、政府は何度か新しい通貨を発行した。近年通貨価値は少し安定していたが、新型コロナで再びインフレが激しくなり、人々は仕事があっても、物価高のため、生活が苦しい。

また、現地は水道インフラが整っておらず、乾季になると長期間雨が降らないので、殆どの人は体を拭いて清潔を保つしかない。彼らにとって髪を洗うことは贅沢であり、散髪は一食相当の一ドルから五ドルかかる。貧しい家庭にとって、本当にそのお金があれば、むしろお腹を満たすことを選ぶ。

散髪するお金も髪を洗う水もないため、多くの子供の頭部は白癬に感染している。頭部白癬は伝染力が強く、拡散しやすい。親は薬を買う余裕がないため、子供たちの病気が根治するチャンスはない。台湾ビジネスマンの朱金財(ヅゥー・ジンツァイ)さんは、給食の提供で学校に行った時、この問題に気づき、どうすれば解決できるかを考えた。

髪が伸びすぎて体罰を受けた

一九九五年、朱さんは南アフリカからジンバブエに移住し、縫製工場の経営を始めた。彼は暴徒に強奪された経験があり、もう限界だと感じた時、仏典を読んで、「盗まれるより、もっと必要としている人にあげた方がいい」と考え直し、地元で善行を始めるようになった。

頭部白癬という皮膚疾患は非常に一般的で、「丸刈りにすればいいのです!清潔さが保たれやすくなります」。朱さんは電動バリカンと発電機を購入し、散髪用ケープを手作りし、理髪師チームを編成して、キャンパスや村に行って人々の散髪を行い、薬で治療した。

二〇一一年、彼は慈済ボランティアの認証を受けるために台湾に帰った。この十数年間、ジンバブエの地元ボランティアと一緒に、数え切れないほどの学校を訪れ、各学校の校長先生の許可を得てから、毎回数百人もの生徒の散髪を無料で行ってきた。二〇二〇年、新型コロナが広まると、全国がロックダウンされ、慈善散髪も中断した。

「二〇二二年八月に台湾に帰った時、上人にジンバブエのことを聞かれたので、散髪の話をしました」。ジンバブエのボランティアが現地で行ってきた志業のことを、證厳法師が覚えてくれていたので、朱さんは感極まった。ジンバブエに戻った後、西マショナランド州のモンドロ地区で、十歳の少年ターニャ君は、髪が長すぎたために教師から両手のひらを十回ずつ叩かれる体罰を受けたという新聞記事を読んだ。その子は空腹で登校していたので、その時、体力がなくなって気を失い、病院に運ばれたそうだ。

朱さんはとても心が痛み、コロナ禍が緩和されると、二〇二二年十月から慈善散髪と給食の提供を再開した。その活動は首都ハレから近隣の州に拡大し、今年四月初めまでの統計で、ドブサバ、ウシェウクンジェ、エプワースを含む十五の地区と学校で、約一万九百人に散髪を行った。

ドブサバ地区のニャマンデ小学校では、子供たちが整列して黄砂の空地を通って、大きな木の下までやってきた。発電機がごうごうと音を立て、椅子が一列に並べられていた。木陰がほとんどない木の下で、ボランティアは電動バリカンで生徒たちの散髪をした。待っていた子供が多かったため、ボランティアは何時間という間、座って休むことができなかった。十一月から四月はジンバブエの夏で、時折雨が降る。屋外で散髪をする場合は、天候にも注意する必要がある。朱さんは歩き回りながら気を配った。

朱さんはモンドロ地区に、少年ターニアとその母親を訪ねた。子供の小さな手を取りながら、朱さんは心が痛んだ。「子供が叩かれた時の痛みは想像できます!」 ボランティアが母子に愛の物資を贈ると、ターニアは久しぶりの笑顔を見せた。

「家には食べ物を買うお金もないのに、どこに子供の散髪のお金があるのでしょう?」母親は、慈済が一度に二つの大きな問題を解決してくれたことにとても感謝し、「子供が散髪できた上に、飢えずに済んだので、学校に行けるようになりました」と言った。

モンドロ地区では、ボランティアが、散髪する前に障害物競走を催した。子どもたちは空の米袋を使って楽しく遊んだ。(撮影・フレンギシレ・ジヤネ)

十台のバリカンが稼働中

ジンバブエの法律では集会が制限されており、無料の散髪と配付活動を行う時は必ず、関係部署に許可を申請する必要がある。ボランティアは、すべての器具と椅子まで車で一緒に持ってきた。散髪前に子どもたちと一緒に、空の米袋を使って障害物競走を催した。日ごろは祖父母と暮らしている子どもたちにとって、とても貴重で楽しい時間となった。

三月九日、ハラレにあるミリロ児童保育ネットワーク小学校を訪れた。ここでは慈済が支援建設したプレハブ教室で、生徒に無料の散髪を行った。当日、発電機が故障して、電動バリカン十台分の電力を同時に供給できなくなり、数台のバリカンしか稼働しなかったため、散髪の時間が長引いた。近くの中学校の生徒が散髪を待っている多くの子供たちを見て、手伝いに来た。

子供たちは椅子に座ると、ボランティアはバリカンで絡まった巻き毛を刈り取っていった。ほぼ九割以上の子供が頭部白癬に感染していて、頭部は白癬とふけに覆われていた。「髪を刈る前は普通に見えましたが、髪を刈ると、問題が見えて来ます。頭部白癬に罹っていると、子供は劣等感を抱くようになります」と朱さんが説明した。そして、殺菌剤をスプレーし、三十分もすると、頭皮の状態が改善し、眉をひそめていた子どもも笑顔を見せた。

慈善散髪は著しい効果を上げ、一カ月もしないうちに、ボランティアには再び村長とコミュニティから、他の子供や一般人の散髪の要請が届いた。ニャマンディ小学校では、参加者が多かったため、ボランティアは発電機が過熱して故障するのを避けるために、時々散髪を中断した。時間は長引いたが、誰も文句を言う人はなく、彼らは仕事に集中し続けた。髪を刈った子どもたちの姿が立派になったと同時に、皆楽しそうしているのを見て、ボランティアは嬉しかった。作業が終わると、皆で一緒に周辺を掃除して喜びあった。

朱さんは新型コロナに罹った時、重症で人工呼吸器を着用しなければならなかった。同じくボランティアである奥さんは、智慧でもって彼を励ました。彼はジンバブエ人の苦しみを思うと、することがまだまだたくさんあったため、生き延びられるよう頑張った。彼は回復して退院した後も、地元ボランティアを連れて、配付、井戸掘り、無料散髪等の活動を続けた。「今回の病気を乗り越えたからには、人生の時間をむだにすることなく、困っている人を助けようと誓いました!」

愛はジンバブエにある。貧しい土地だが、共に未来を照らすことで、より多くの子供たちの健康的な笑顔を目にすることができるだろう。

(慈済月刊六七八期より)

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