母の豆選り分けに付き添う

母の老化現象に、黄裕櫻さんは心を痛めると共に無力感を感じていた。

ずっと農業をして生きてきた母親の勤勉で倹約家という性格に合わせ、豆の選り分けトレーニングを勧めることにした。

黃裕櫻(フォン・ユーイン)さんと林耀錡(リン・ヤオチー)さんの後ろについて嘉義県水上郷にある三合院(中国の伝統家屋)のリビングに入った。そこは整頓されたスペースで、ローテーブルがあり、椅子の上には、大小多数のバケツが置かれ、中には何種類もの豆が入っていた。九十三歳のお婆ちゃんが、目の前に置かれた、皿いっぱいの十数種類の豆を選り分けていた。

「父が他界した後、母は三年前からだんだん記憶がなくなって来ました」と黃さんが回想した。「母は子供たちからもらったお小遣いを、自分しか知らない所に隠すのですが、どこに隠したか忘れてしまうのです」。見つからないと、家に泥棒が入ったと思い込み、慌てて泥棒を捜しに出掛けるため、家族はとても心配で、彼女を探し回るのだ。

「母は貴重品だと思って大切にしまうのですが、見つからないと、外国籍介護者のせいにしてしまいます。介護の人はいつも誤解されるため、我慢できなくなって、雇い主を変えたいと言い出すのです」と黃さんはいつも困ってしまう。彼女は、「母は七歳の時から農耕に従事し、九十歳になってもまだ野菜を植えることができたのですが、突然、このように老いてしまい、やるせない思いをしています」と言った。友人とどうすればいいかを話していた時、豆の選り分けトレーニングをしてはどうかとアドバイスしてくれた。

集中すれば、智慧が生まれる

黃さんは、花豆、大豆、あずき、ササゲ、黑豆、そら豆、豌豆、レンズ豆、ひよこ豆等十数種類の豆を買ってきて、「これは、豆農家が要らなくなったものだから、一緒に選り分けて、孫が帰ってきた時に、煮込んで皆で食べましょう」と母親に言った。「一生、物を惜しんで来た母なので、豆を見て手を動かし始めました。花豆は花豆の箱に入れ、大豆は大豆の箱に、というように、そうやって心も安定してきたようです」。

母親はずっと座っていられるが、一定の時間が経つと、黃さんは彼女に付き添って三合院(中国の伝統家屋)から連れ出して、ご近所に挨拶するので、人との交流もだんだんできるようになったことがわかった。耳は遠いが、誰かが尋ねて来ると、「どうぞ座ってください!お喋りしましょう」と言う。また、顔を下に向けて真剣に豆を選り分けていると、とても静かな表情になる。「お婆ちゃん、豆を選り分けてどうするのですか?」と聞くと、それが聞こえたようで、「 炒めるか、スープにしてもいいですね」と答えた。

母の認知症は悪化していない。豆の選り分けもレベルアップした。大きい豆から先に選り分け、最後は一番小さい緑豆を残している。「慣れれば、上手になります。一番嫌いな種類も方法を変えて選り分けています」。黃さんは、集中して雑念がなくなれば、智慧がつく、ということを母親から見てとった。

黃裕櫻さん(右)は、異なる種類の豆を選り分ける母親に付き添っている。(撮影・汪秋戀)

親孝行は本分

黃さんは、母に孝行するのは本分だと思っている。懸命に義母の世話してくれるご主人の林さんにはことさら感謝している。林さんは、長男で一人息子なので、重病を患っていた両親の世話を長くしてきた経験がある。彼がリサイクルトラックを運転して、近くのリサイクル拠点で回收物を積みに行く時いつも、沿道の年長者の様子を観察する。目つきが虚ろで、挨拶しても返事がなかったり、唇が乾燥して口角から出血していたりすると、徘徊しているのではないかと考え、これ以上徘徊させないよう、まず同乗者のリサイクルボランティアに、なだめながら付き添ってもらい、自分は車を運転して近くの警察署に通報し、年長者を発見した場所までパトカーを誘導する。何度も、ショック状態になりかけたり、道に迷っている年長者を助けたそうだ。

黃さんも林さんも慈済ボランティアである。法師の言葉「善行と親孝行は待ったなし」を生活に応用している。「付き添いは認知症の年長者にとって、一番の良薬です。いつも母に付き添って話をしたり、話をして聞かせたりすることで、母は子供が側にいると感じ、もっと安心して豆の選り分けができるようになっています」。器用に指を動かし、集中して豆を選り分ける母を見ていると、「母親のいる子供は宝」という幸せに浸っている感じがする。

黃さんは、母の情緒が安定すると外国籍介護者も落ち着きました、と語った。黄さんたちが忙しい時に母をきちんと世話してくれる介護者には感謝している。

全ての年長者や年老いた親が、穏やかな温もりを感じて暮らしていけるよう、子供である私たちは努力しなければならない。

(慈済月刊六七七期より)

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