一人で戦わなくていい 支援は世界を駆ける

台風15号(ディアンムー)がタイに上陸し、被害をもたらした。ロッブリー県など地勢の低い地域が20年来の大水害に見舞われた。慈済ボランティアは10月に被災した3県の住民に生活支援セットと清掃道具を届けた。(撮影・楠塔雅)

世界で新型コロナウィルスによる死者が、二〇二一年十一月までに五百万人を超えた。ワクチン接種を終えてもブレークスルー感染の脅威が依然残っているが、益々多くの国が「ウィルスと共存する」方向に政策を転換し、外出規制や入国制限を緩和して旅行客を迎え入れることで、経済の復興を計ろうとしている。

慈済ボランティアは引き続き、各地の感染状況に注視し、気候変動がもたらす自然災害が相次ぐ中、やるべき慈善はコロナ禍でも足踏みすることなく、苦難に喘ぐ人々に温かさを届け、「あなたたちは決して孤独ではない」ことを行動で示している。

救命は消火の如く 積極的にケアする

慈済が支援して来た世界百二十六の国と地域の中で、二十四の国と地域は、この二年間のコロナ禍で増えた所である。

その多くはまだ慈済ボランティアがいない場所だが、国境封鎖やロックダウン措置の中、どのようにして支援しているのだろう。

新型コロナウィルスが二〇二〇年初頭から世界中に拡散したが、一年後に何種類ものワクチンが世に出て接種が始まり、一筋の希望をもたらした。しかし、感染者数は減らないばかりか、二〇二一年四月には再びピークを迎えた。三十日間で新たな感染者が二千万人増え、四月二十三日には、ついに一日に九十万人を超え、その内の三分の一はインドで確認された。

インドのコロナ禍は深刻を極め、世界の上位三番目に入った。初期段階では政府の厳しい制限措置によって一時はコントロールされていたが、その後、経済要因を考慮して制限を緩和し、人々が宗教祭典や政治集会を開いたため、感染者数は一気に増え、そのひと月だけで六百万人以上が新規に感染し、約五万人が死亡した。全国の医療体系は崩壊し、病床、医薬品、呼吸器など医療資源が窮乏した。患者の家族が、病院の酸素ボンベが足りないという不安から闇市に走った光景は、今回のパンデミックの中でも、最もハラハラさせられた場面だった。

その時、東南アジア諸国もウィルスの返り討ちを受けた。その原因の一つはデルタ株の強い感染力だった。慈済は実状を考慮し、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどコロナ禍が再燃した国々に、医療物資の寄贈やワクチン接種への協力を最重要項目に掲げ、次に弱者世帯に食糧支援を行うことにした。

慈済は、医療資源の乏しい東南アジアとインド、ネパール、スリランカ、カンボジア、バングラデシュ、ブータン、ラオスなど東南アジア七カ国に対して特例プロジェクトを展開し、医療物資を支援すると共に、現地で食糧を仕入れて支給した。

様々な医療機器の中でも、酸素タンクは特殊で、慈済の慈善活動において買付けたことのない物である。慈済はインドとネパール両国の厚生機関、医療機関、慈善団体などと相談した後、酸素濃縮機や呼吸器は医療用に提供できても、病院に酸素タンクが不足していれば、全面的に患者を救うことはできないことに気づいた。「救命は消火の如く」、酸素タンクを購入して、両国の指定病院の医療設備を強化することを決めた。

しかし、病院毎に必要な酸素量が異なる上、設置条件に合わせる必要があるため、慈済花蓮本部は専門チームを立ち上げて、メーカー、型番、容量、入力電力、サイズを掌握した上で、感染状況が厳しい地方への貨物航空便を手配した。支援物資を受け取った人が実感することを願った。

二〇二〇年、慈済はインドの十二の団体と感染防止や貧困支援で提携し、延べ十四万世帯、七十万人が恩恵を受けた。これら団体には仏教ABM機構、カミロ修道会、神の愛の宣教者会及び多数のチベット仏教組織などが含まれている。二〇二一年のパンデミックでも、これらの仲間とより多くの有志の人々の協力があった。物資の購入から配付までを行い、インドの十七の州にわたる、三百二十九を超える組織を支援した。

慈済基金会の熊士民(シォン・スーミン)副執行長を先頭に、チームは困難な物資の購入と寄贈をやり遂げた。二〇二〇年一月にパンデミックが勃発した時、対応に追われながらも、多くの国から物資を調達して、中国の爆発的感染拡大地域に運んだことを思い出した。三月に感染の拡大が治まりつつあったが、世界の感染者数は急激に増え、再度多くの国を支援する物資の準備に取り掛かった。九月に変異株が出現し、前もって準備することで、多くの国に防疫物資を蓄え、最寄りから手を差し伸べる準備をした。二〇二一年四月からアジアのコロナ禍が厳しさを増し、支援物資も医療用器材に格上げし、酸素濃縮機だけで一万台を超えた。

フィジー共和国
(Republic of Fiji)
慈済が世界で人道支援を行って来た126番目の国

昨年、台湾カリタス基金会の紹介で、慈済がインド南部のバンガロールの「セントビンセントポールカトリック教会」を支援した。

その後、彼らからフィジーの「聖ヴィンセント・シスターズ」が貧困配付するのを支援してほしいとの要請が慈済に入った。

今年八月から三カ月にわたって、ナソリ町とナトヴィ町の860世帯の貧困家庭に食糧と生活物資を寄贈した。

半世紀以来、慈済は世界百二十六の国と地域で支援して来た。この二年のコロナ禍で二十四カ国増えたが、殆どは慈済ボランティアがいないため、各国が国境封鎖やロックダウンする中で、どうやって支援をしているのだろう。「世界がパンデミックに陥る中、慈済は臨機応変に対応しました。證厳法師の指示で、我々は積極的に関心を寄せ、現地の力を借りて支援しました。成し遂げられないことはなく、課題解決の糸口を見つけることです。災害視察にはハイテク機器を使いこなし、対面できなければオンラインで話し合い、宗教と地域、組織の垣根を越えて協力することで繋がりを作り、慈済の種を蒔いてきました」と熊副執行長が言った。


(慈済月刊六六一期より)

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