自分から始めよう、この世に希望の光りを灯すことを

(絵・陳九熹)

蛍が光を放つように、誰でも奉仕の力を発揮することができるのです。 自分から善行を始め、良い話をし、 互いに励まし合い、皆で人生を輝かせましょう。

十二月十日、アメリカ中西部の六つの州で三十個以上の竜巻が発生しました。その中の一つは、三百キロ余りという、台湾の北から南までに匹敵する距離を移動しました。どんなに強固な家でも、紙でできた家のようにいともたやすく巻き上げられ、破壊されてしまいました。その時既にボランティアは支援に動いていたのです。

アメリカだけでなく、フィリピンの台風被害、マレーシアの水害など、世界各地の数々の災害に心を痛め、憂いを感じます。気候変動が激しさを増し、生態系が変則をきたし、四大不調が頻繁に発生しています。もはや「自分とは遠い場所なので関係ない」などと言っている場合ではありません。その実、関係あるのです。宇宙は大きいと言っても、人類が共存する地球は一つしかなく、また、竜巻や大地震は予測が難しいのです。森林火災が辺りを焼き尽くすことが常態化しており、大気汚染は深刻で、益々視界が利かなくなり、この世はまるで黒い霧に包まれ、暗闇の中にいるかのようです。

人の力は天に打ち勝つことができるのでしょうか?その実、人はとても小さいのですが、傲慢で、貪念と欲念を抑制することができません。道理は誰もが分かっていますが、やってはいけないことと知りながらも、衝動的に悪を造ってしまい、後で後悔するのです。次にそのような境地が現れた時も、同じように自分の意志のままにならず、業を造ってしまい、知らぬ間に累積して強力な業になってしまいます。人類の心の有り様と行為によって、異常な生態ができ上がっているのです。

仏陀はこの世に来て、世の苦、空、無常の道理を説法しました。しかし、人はそれを体得し、覚るのはとても難しく、反対に苦の中で楽を求めています。人生で道を見失うと、道に背いて進むようになります。

人には皆仏性が具わっており、修行で習気(じっけ)をなくさねばなりません。分秒わかたず警戒心を高め、なすに任せて業を造ってはなりません。欲念の追求を止めれば、生活は安らかで自在になります。自分を見つめ直し、自分の心に耳を傾け、それに応えることで、自分の良知、悟りを呼び覚まし、これ以上迷わないようになることです。

近頃、暗い夜中で明滅して綺麗な明かりを灯す「蛍」のことを私はよく口にします。暗黒の大地を照らし出すことはできませんが、生き生きとした活力を持っており、この世に美しい景観をそえてくれています。大自然の活力を見ると、今の希望は何処にあるのだろうかと考えずにはいられません。

やはり信心を持つことであり、自分から率先して事を為し、より多くの人に呼びかけて影響する必要があります。絶えず良い話を伝え、良いことをして、お互いに励まし合い、褒め合えば、人間(じんかん)に希望がないわけがありません。天下の事はあらゆる人に責任があり、責任を尽くしているだろうかと自分に問いかけ、どんなに僅かな力であっても、蛍のように点滅することが出来るのです。自分を軽く見ず、奉仕できると信じれば、誰もが生命を輝かせることができます。

私も一匹の蛍となって皆と一緒に光を放ち、暗い社会に一筋の光りを与えることで、人々を正しい方向に導くことを願っています。そして、もっと多くの人を迎え入れることができるよう、前に向かって飛んでいきます。

「人生の棚卸し」とは、この生涯で毎日、幸せを作り、人間(じんかん)に利益をもたらしたか、それとも知らぬ間に無駄な時間を過ごさなかったかを反省することです。もし、充分にやっていなかったら、すぐに努力して前進することです。もし十分すぎるほどやっていて、進む方向に間違いないことが分かっているなら、もっと多くの人が私を必要としているはずです。善行には自分一人が欠けてもならず、自分を高め続けて重責を果たすべきです。

喜んで奉仕すれば、力量の多少は関係ありません。家庭を精一杯守り、事業で社会を利し、更に一歩踏み込んで、得た利益を社会に還元すべきなのです。社会を利するだけでなく、社会に幸せをもたらさなければなりません。正しいことは、方向を定めて実行すればよいのです。一心一志、勇猛に前進し、因縁を逃さず、功徳を積んで福縁を成就させるのです。もし、ぐずぐずしているなら、時と因縁は通り過ぎ、その信念も失ってしまいます。

もしも善行をせず、良い話も共有しなかったら、この世に伝える道理はなくなるでしょう。誰もが菩薩になり、皆が説法できることを願っています。今は正に私達が必要とされている時代です。身をもって努め励み、為すことで心が安らぐと共に道理を得、道理が通れば、心は安らぎます。皆さんどうぞ精進してください。


(慈済月刊六六二期より)

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