防護服と医療用キャップ、シューズカバー等の物資が5月末にネパールのカトマンズに到着した。
インドは五月には新規感染者が九百万人を超え、新型コロナのパンデミックが起きてから、最も苛酷な状況にあると言える。悲劇はこれだけではない。周辺各国にもウイルスが蔓延し、医療機関は酷い「酸欠」状態にあって、患者の命が今にも消えようとしている。この危機的状態を救わなければならない。
今年半ばまでで、台湾の累計感染者は一万一千人を超え、感染の拡大で警戒レベル3が延長された。だが世界的に見ると、その時感染状況が最も厳しい国は、南アジアのインドであった。
インド政府の公式発表によると、今年五月の一カ月間だけで九百二万人の新規感染者があり、約十二万人が亡くなっているそうだ。ピーク時には、一日に四十万人を超える新規感染者が確認され、不幸にも一日の死者は四千人余りに及んだ。新型コロナが発生して以来、世界で最も劇症的なものだと言える。
ウイルスの変異株による感染は急速に拡大し、四、五カ月で医療体制を崩壊させてしまう。例えばブッダガヤ、サールナート、霊鷲山(りょうじゅせん)そして隣国のネパールのルンビニ等を含めた幾つかの仏教聖地もどれ一つとして逃れられなかった。首都ニューデリー、ムンバイ、コルカタ等の大都市は軒並み重被災地になった。ウイルスは各州に広がり、十三億の国民に危機が迫り、世界中の感染防止策の勝敗に影響を及ぼしかねない。
インドは世界最大の新型コロナウイルスワクチンの生産国で、コバックス(COVAX)が確保したワクチンの大半はインド産である。感染者と死者が急増し、ワクチンが大幅に不足する中、インド政府は国内産ワクチンの輸出を制限した。ワクチン取得をコバックスに頼っていた百以上の国々にとって、感染防止が瞬時に「丸腰」状況に陥った。従って、ウイルスに勝つ為にはインドが直面している危機的状況を無視することはできない。
慈済は台湾本土を守ることに力を注ぐと同時に、インドと近隣のネパールやスリランカ、カンボジア、バングラデシュ、ブータン、ラオス等七カ国への援助を増やし、時間と争って救命物資を感染の重被災地に届けている。
インドに「酸素を供給」し、呼吸不全を助ける
「近頃、感染と疑われる患者を毎日二百五十から三百人受け入れていますが、その内、約百五十人はICUに入院すべき人たちです。しかし、毎日無事に退院できるのは二、三十人で、医療機関はとても重い負担を担っています。今最も必要なのは酸素濃縮機です」。
慈済大学の姉妹校であるインドのスリ・ラマサミー・メモリアル大学附属病院のラビクマール院長(Dr. Ravikumar)は、インターネットを通じて助けを求めた。コロナ禍がピークに達した時、重症患者が激増し、医療用酸素が供給不足の危機に陥っていたことを訴えた。医療機関は酷く「酸欠」しており、多くの人が呼吸困難に陥った多く家族を救う為に大金をはたいて、闇市場から製造経路不明な酸素ボンベを買っていたが、お金がなかったり、買えなかった人は家族が苦しみながら死んでいくのを見守るしかなかった。
コロナ禍での一幕一幕の死別のシーンが最も人心を苦しめるものになっている。重症患者の差し迫った状況下で、今にも消えそうな命は形容し難く、命は呼吸を一回する間にあると言える。
インドとその周辺諸国の差し迫った要請に応じて、慈済は七カ国の八十八を数える宗教、慈善、医療関係の機関に酸素濃縮機、酸素ボンベ、人工呼吸器等を提供した。また、病院用酸素貯蔵タンク十個を支援する予定である。買い付けと輸送を担当する慈済チームにとって、これらの医療器材や設備は専門領域ではないが、幸いにして、肝心な時に指示してくれる専門家がいた。
呼吸困難に陥った患者は数分間の酸欠で死につながる可能性があるため、病院では二十四時間酸素を供給し続けなければならない。病院用の酸素貯蔵タンクには超低温で液体酸素が保存されており、使う時に解凍して気化させ、パイプで各病室に送られる。買い付けも使用も医療の専門領域に関わるため、支援チームは慈済医療志業の林俊龍(リン・ジュンロン)執行長から指導を受け、各病院の病床数とその他のニーズに応じて、適した設備を買い付けた。
「四十七リットルの酸素ボンベ六百本を調達してくれた高雄の侯哲宏(ホウ・ジョーホン)さんにとても感謝しています。また高雄ボランティアの潘機利(パン・ジーリー)さんと黃建忠(ホワン・ジエンジョン)さんが連絡を取ってくれたことにも感謝しています」。インド支援の責任者である慈済国連事務活動チームの黄静恩(ホワン・ジンエン)さんによると、五月上旬にインド国際仏教連盟 (IBC)から、酸素ボンベ二千本を急いで調達して欲しいという要請があったそうだ。高雄で医療器材や化学薬品、一般金属製品の卸売業を専門的に営んでいる侯さんが、慈済の行動を理解してくれたことから、一刻を争う救命のために、直ちに調達できる酸素ボンベを全て回してくれた。
六百本の酸素ボンベを海運でインドの首都ニューデリーに素早く届けるために、侯さんと職員たちは五月中旬から点検を始め、残業してやっと予定通り五月二十四日にコンテナで出荷し、六月初めにインドに届けることができた。任務を終えた後は皆疲れ切っていて、「もう駄目です」と言ったものの、手伝うことができたことで、心に喜びが溢れていた。
酸素ボンベのほか、酸素濃縮機の買い付け準備と輸送も素早く進められた。五月末までに慈済は、既に一千台をインドに送り届けた。その内の二百台は西部の大都市ムンバイに送り、地元の慈済ボランティアであるプラヴィンさんが受け取った。更にその内の二十台を東北部の大都市であるコルカタにある神の愛の宣教者会(Missionaries of Charity)に、八十台を南インドのスネハ公益財団(SNEHA Charitable Trust)に送り、残りの百台は現地の仏教団体ABMサマジ・プラボーダン・サンスタが運用した。「先方は受け取った後、祈りの会を設け、仏教が皆に更なる力を与えてくれるようにと祈りました。ボランティアのプラヴィンさんも現地の仏教関係の人や実業家に、『菜食でなければならない』という證厳法師の理念を伝えていました」と、黄さんが付け加えた。
カルナータカ州ベンガルール市では、現地ボランティアのギリシュさんが一個人の力で、貧困者に対する配付活動を行なった。今年、第二波のコロナ禍が発生した時、彼は自費で酸素ボンベを購入し、酸素供給ステーションに行って列に並んで充填してもらった後、無償で貧しい病人に使ってもらった。彼は六月初めに、慈済が提供した十台の酸素濃縮機を受け取り、慈善事業をしている人が寄贈した発電機を使って早速酸素供給ステーションを立ち上げ、人助けできるエネルギーを一層大きく発揮した。「少しずつ、現地にいるボランティアも立ち上がりました」と、慈済基金会の熊士民(シオン・シーミン)副執行長がホッとして言った。
インド最南端にあるタミルナドゥ州に送られた二百台の酸素濃縮機が、現地政府と人々に熱烈に迎えられた。現地の議員が自ら出迎えただけでなく、民間の有識者も慈済に対して、確実に酸素濃縮機を最も必要としている病院に届けることを確約した。「彼らは慈済ボランティアではありませんが、證厳法師と慈済が何をしているのかを知っているというだけで、私たちに協力することを決めたのです」と黄さんが感動しながら語った。
慈済の配付活動に協力した南インドのサラジャー寺院は、緊急に防疫物資を必要としていた。5月中旬に慈済が寄贈した防護服、消毒スプレー、医療用手袋、パルスオキシメーター、医療用マスクなどを受け取った。
患者のケアの為に、神に仕える人たちは志願して病院に入った
実のところ、対インド支援は二〇二〇年四月という早い時期から始まっていた。三月からの第一回目ロックダウンが延長を繰り返され、社会的福祉が行き届かない人々は手が止まれば食糧も止まるというように、生きていくことができなくなった。「己の無私を信じ、人に愛があることを信じる」という信念を携えて、慈済はインドでの食糧支援活動における大部分の調達、買い付け、配付等の事務を、現地の「神の愛の宣教者会」や「カミロ修道会」、「チベット仏教寺院」等の組織の聖職者やボランティアに委託して、現地に行けない慈済ボランティアの代わりに、支援物資を弱い立場の貧困者に配付し、感染予防物資を医療の最前線に届けてもらった。
貧困救済用の米、油、塩などの食糧とマスクなど個人の感染防止用品は一世帯が一カ月生活できる量を基準にしている。今年四月迄、食糧支援で延べ十九万世帯の約九十四万人が恩恵を受けた。
今年四月、インドは第二波のコロナ禍が襲い、貧しい人々は去年にもまして生活が苦しくなった。修道女と神父たちは自分たちの生命の危険をも顧みず、街角や病院で日々、貧しい人と病人の世話をしている。
「これほど感染状況が酷いのに、あなたたちは何故、街角を歩き回るのですか?」
「私たちが貧しい人を助けなければ、誰が助けるのですか?やれるだけやって、寿命が来た時は、神の元に帰ります。最後の一息さえ残っていれば、毎日を上手に使って貧しい人を支え続けます」と数千キロの彼方にいる慈済ボランティアの質問に対して、神の愛の宣教者会の修道女たちの答えは人々の心を動かした。
同じように、南インドのカミロ修道会のメンバーたちも、何時でも犠牲になる心の準備ができている。今年四月下旬、神父と修道女の第一陣が、慈済が寄贈した防護装備を着用して、ケア活動のために感染者で溢れた病院に入り、最前線で働いている医療従事者の支援を始めた。
「彼らは患者に食べさせたり、掃除をしたり、そして遺体の処理までします。病院に入る前に厳しい訓練を受け、一人ひとりが中華系の人の間で言われる『生死狀』のように、全て志願によるという誓約書を書かなければなりません」。同会の神父や修道女及び青年ボランティアは、自ら困難な医療現場で患者に奉仕しているが、連絡を担当している黄さんは心配と切ない気持ちで一杯になった。「一度入れば出て来ない」という彼らの覚悟を聞いた證厳法師は、「それはいけません。出てくるチャンスを与えなくてはいけません…一人たりとも欠けてはいけません」と声を詰まらせて言った。
五月十七日、同会から嬉しいニュースが届いた。第一陣グループの四十人の神父、修道女及びボランティアが三週間にわたる二つカトリック教病院における第一線での任務を終えて出てきた。第二グループが続けて三つのカトリック教病院に入り、六月上旬までに、何人かの感染者は出たものの、無事に帰ってきた。「宗教の垣根を超えた慈済の支援には、ただただ感謝と感激しかありません。法師様と慈済ボランティアが、宗教に関係なく、ひたすらインドカミロ修道会を支えてくれたことに感謝しています。カミロ修道会は法師様の期待を裏切らないように、インドでもっと多く人々に仕えるだけです」と同会のバビー神父(Father Baby Ellickal Mi)からのメッセージに書かれてあった。
「医療スタッフ、聖職者に関わらず、第一線に立てば、彼らは鎧(防護服)を身につけ、このような戦いに投入して、より多くの患者を守っているのです」。同じ志を持つカトリック教の仲間について言及した時、同じく国際援助を担当している静思精舍の德宸(ドーチェン)師父(スーフ、尼僧への敬称)は、法師の慈悲深いお言葉を伝えた。「最前線にいる人たちに充分な防護物資を与え、彼らが他人のケアをすると同時に、自分たちの健康も護らなければなりません」。「法師は、世界中の慈済人がこの第一線にいる人たちに感謝し、彼らを励まし、祝福し、そして最善の支援を与えるようにと、言われました」。
(慈済月刊六五六期より)(続く)