日本における竹筒歳月

(撮影・楊秀娩)

十年前の三一一東日本大震災の時、世界三十九の国と地域の慈済人が、愛の義援金を募り、震災後の復興再建を支援しました。被災者は現在ボランティアとなって、一致協力すればいかなる困難にも打ち勝つことができるという精神を見習って、五百個の竹筒貯金箱を手作りし、五百人の応募者を募りました。これで千手観音のように皆で人助けができるのです。

日本では、毎年の年末にその年の世相を表す漢字一文字が、京都の清水寺で発表されるのが恒例となっています。二〇二〇年は「密」が選ばれました。コロナ禍を反映して、生活様式が変わったことを表したものです。政府はコロナ禍への対応として、「密閉・密集・密接」という「三密」の回避を呼びかけていました。そして「三密」が年度の「流行語大賞」に輝きました。

昨年の四月と今年の一月、日本政府は二度「緊急事態宣言」を発令しました。桜が満開の三月に宣言を解除したところ、感染拡大の第四波に突入したため、四月下旬に結局三回目の「緊急事態宣言」を発令しました。

日本の慈済人は、政府の政策とコロナ禍の変化に合わせながら、訪問ケア活動を必要に応じて続けました。では、元来行っていた路上生活者への炊き出しはどうすべきでしょうか。最後の手段として、十二年間続けて来た東京代々木公園脇で配付していたカレーライスや五目丼を、おにぎりとフルーツあるいはシンプル生活パックに変えることにしました。そうすれば三密を回避することができ、現場で配付するボランティアも最小限の人数にすることができるのです。

大阪西成区の路上生活者には、お米とおにぎりの具を提供し、現地の行政スタッフの協力でおにぎりにしてから配付しています。慈悲と智慧でもって、如何にボランティアの健康を護りながら、路上生活者にお腹を満たすかを考えました。

コロナ禍の状態で、助念の依頼が入ると心の中に葛藤が起きます。というのは、参加するボランティアが少ないと依頼した家族が失望する一方、厳しい状況の中でボランティアの感染リスクが高まるからです。しかし、慈済人が助念に現れると、家族らは感謝と感動の表情で迎えるので、ボランティアは「来て良かった」と感じます。

慈済日本支部は毎月2回、代々木公園の側で路上生活者に主に菜食カレーライスや五目丼の炊き出しを行っていたが、コロナ禍を考慮し、昨年7月からおにぎり、フルーツ、飲み物に切り替えた。(撮影・呉慈涓)

オンラインで鳴り響いた着信音

慈済日本支部の中国語教室の子供たちは、コロナ禍で授業の回数が減少しました。ある日、親御さんから「竹筒はいつ持っていけばいいのでしょうか?」と聞かれました。実は子供たちは毎年、十二月の冬至の頃に竹筒をもらい、翌年の年始に行われる感謝祈福会で、竹筒に貯めたお金を慈済の功徳海に投入していたのです。

東北のボランティアは、三一一東日本大震災十年目を機に、当時の全世界の慈済人による愛の支援に報いるために、五百本の竹筒貯金箱を企画しました。五百人の力で千手観音になり、愛をこの世にまくことを意味しています。彼らは五百個の、回収に出して再利用できる小さい空き缶を用意し、自分たちで設計した図柄で包装すると、證厳法師の教えを竹筒に書いた静思語で表しました。遠く離れている東北地方のボランティアは、東京の慈済大家族と一緒に、竹筒の縁でもって手を携えて前進し、愛に満ちた心で苦難の人々を慰めていきます。

感染が拡大していた大阪で、路上生活者の担当をしていたボランティアは、電話でとても感動した話をしてくれました。それは、路上生活者保護センターの責任者が会員になって、毎月寄付をしていることでした。以前、私たちが炊き出しをする会場で、竹筒を置くことを許可してくれただけでなく、自主的にポスターを設計して、一日一善という愛の奉仕を呼びかけてくれました。また、東京の代々木公園で配付活動をする時も、ボランティアは竹筒精神の宣伝を忘れてはいません。路上生活者がボロボロの衣服から硬貨を取り出す時は、いつもボランティアに感動を与えます。

以前は「竹筒の里帰り」という活動をいつも大きなイベントに合わせて行っていましたが、今年はコロナ禍の影響で、感謝祈福会が一月三十一日に東京、大阪、山梨、東北の四つの地域をオンラインで繋げて行われました。画面で皆が竹筒を振って、互いに励まし合っているのを見ると、感動と共に心が締め付けられました。いつになったら心配なく、互いに抱き合って思いやることができるのでしょう。

二○二○年初頭に始まり、今は既に二○二一年も半年が過ぎてしまいましたが、里帰りの道は依然として遠いのです。以前は毎年、少なくとも四回以上、「心の故郷」に帰って、證厳法師にお会いする機会があり、当たり前のことだと思っていましたが、今は先のことが全く見通せません。日本の慈済家族は、オンラインで頻繁に祈りや菜食奨励の会、勉強会を催して、面と向かって会えない寂しさを解消しています。「災い転じて福となす」と言われるように、オンラインで、家にいながら證厳法師に追随し、仏法を聞いて精進して、各地の道場から喜びや悲しみを分かち合うことに喜びを感じています。中でも證厳法師が心から絞り出した、諄々としたその教えは、海外にいる慈済人の心を牽引しています。

強震、津波、疫病

三月二十七日、證厳法師と繋がって温かい雰囲気の中で行われたオンライン座談会では、十年前の東日本大震災を振り返りました。東北地方の住民たちは当時の慈済の愛が忘れられず、海を隔てて證厳法師に感謝と感動の気持ちを伝えました。

東北地方初めての慈済人である伊東信一さんは、この十年間絶えずボランティアと連絡を取り合い、東北地方での「新芽助学金」活動に協力しています。彼は二回大病を患い、ボランティア活動にあまり参加できなかったことをとても残念がっていました。岩鼻清一さん夫婦は、当時の義援金による支援の恩返しとしてボランティアになり、新芽助学金プロジェクトの立ち上げを手伝いました。張君(チャン・ジュン)さんは、自分の娘があの複合式災害で亡くなり、慈済の見舞金配付会場に行った縁で、證厳法師の静思語に感化され、また東京の慈済大家族の寄り添いで、東北地方で初めての慈済委員になりました。彼女は涙を流しながら證厳法師が慈済を創設してくれたことに感謝し、東北地方で一心に慈済の志業を耕し、もっと多くの人を慈済に迎え入れることを発願しました。

亀山千代志さんは書道と絵画が非常に上手で、張さんと一緒に現地でボランティアを募り、石巻市と東松島市で一緒に慈済志業を推進しています。東アフリカのサイクロン・イダイ風災で街頭募金活動をしたほか、東日本大震災十周年でも、五百本の竹筒貯金を呼びかけました。

間もなく三十周年を迎える日本支部は、第三の十年目の最初に三一一東日本大地震のような世紀の大災害に遭遇しましたが、幸いに證厳法師は震災直後に私たちの心を落ち着かせ、絶えず寄り添って、災害支援の方向を指示してくれました。また、世界三十九の国と地域からの愛の支援で、私たちは苦難にあった人たちを慰める力を付けることができました。證厳法師は日本の慈済人に、あの時の感動をしっかりと心に留めること、そして災害を減らす妙薬は愛であり、募金を通して愛を語れば、志のある人を見つけることができ、愛を世に広めることができる、と切々として言い聞かせてくれました。私たちは縁を把握して、日本全土に撒いた情と愛と、その縁がつなぐ貴いものを取り戻し、苦難の人たちを慰め、法音を流す力になることを願っています。

10年前に慈済人の手から授かった義援金の封筒を掲げ、当時の東日本大震災の被災者は、竹筒貯金箱を受け取って、一日一善の善意に呼応している。(撮影・張君)

日本慈済人の心を千里の彼方に伝える

日本支部設立から八年目の一九九八年に、私は日本に転勤した夫と共に、再び日本に戻りました。当時の日本支部は、ベテランボランティアの宋篤志(ソン・ドゥージー)さんが提供してくれたマンションに設けられており、小さなスペースに十人余りの委員がいて、人数は少なくても心が温まりました。当時、慈済委員になったばかりの私は「仏の心、師の志」を胸に、遠大な抱負を持って、如何にして證厳法師の慈悲を広め、より多くの人に慈済を認識してもらうかを考えていました。

五、六年後には夫の転勤で日本を離れるものと思っていましたが、思いも寄らず、縁によって日本に残って日本支部と共に成長することができました。一路、数々の喜びと悲しみ、涙がありました。「花が散るのは無情ではなく、春泥となって次の花を咲かせる」と言われるように、二十数年が経って、忘れようとしているのか、または智慧の昇華なのか、過ぎた出来事の哀傷は忘れてしまい、人や自分が悔しい思いをした時は涙を流し、楽しい日々は笑い声に溢れていたことだけは覚えています。

人々と共に二十三年間歩んできましたが、日本支部は、「三十にして立つ」年になり、湧き上がる気持ちと共に、これまでのように日々「慈済の志業」に没頭しています。当時、證厳法師の「天下の買い物かごを持つ」決意に感動し、法師に追随して群衆の中に分け入ろうと決心しました。最初は単に利他の善行をすれば十分だと思っていましたが、広大な仏法の中に入ってみると、経を唱えることから無量義に足を踏み入れて法華を知るようになりました。苦集滅道(苦諦、集諦、滅諦、道諦)を理解し、修行は「六度万行」(布施、持戒、忍辱、精進、禪定、般若)しなければならず、経蔵を深く理解して初めて海のような智慧が溢れ、忍耐があってこそ、菩提大道を前進できるのだと知りました。

人間菩薩は困難に直面しても前に進まなければなりません。慈済が歩んできた五十五年間、證厳法師は、分秒を大切にして、私たちが絶えず初心に戻り、愛は実践しなければならないと励ましてくれています。自分の愛は完全無欠だろうか、教えを実践しているだろうかと、夜中に目が醒めても常に反省しています。心の故郷から遠く離れた日本で、皆が心を一つに、愛をもって災害を防ぎ、誰もが生命の価値を上げ、慧命が成長し、證厳法師の心に添うように願っています。


(慈済月刊六五五期より)