幸福感

進んで責任を担うことは自分を肯定することです。奉仕する機会があることに感謝すれば、 幸福を感じます。

防疫は一人ひとりの責任

五月二十五日、上人は、オンラインで防疫総指揮センターと各慈済病院代表者の報告を聞いた後、こう開示しました。

「気はとても重いのですが、悲観的にならず、皆で厳格に感染防止に努め、世の平安を願いましょう。各病院の医療スタッフは大変な苦労をして、どんなに疲れていても背筋を伸ばして耐え続けなければならず、見ていてとても忍びなく思います。しかし、世界中がコロナ禍の中で、恐れおののく心を敬虔な心に変え、敬虔に生命と健康、愛を守らなければいけません。これは医療スタッフの職責に限ったことではなく、社会の一人ひとりが生命を守るという責任を果たさなければならないのです」。

黄思賢(ホワン・スーシエン)師兄(スーシオン)は中国からオンラインで上人に、今回の「思いやりの旅」と山東省慶雲慈済病院の除幕式典について詳細に報告しました。最近、雲南省と青海省で強い地震が発生しましたが、家に戻れない民衆は防寒物資が不足しているため、四川省の慈済ボランティアは被災地に届ける一回目の物資の準備を整えました。

「今、私が一番に願っていることは、現地の慈済ボランティアが、私の心の重荷を分担して、一人ひとりが善行することで、世が平安になることです。私は、幸福は感謝の気持ちを持っている人に与えられる、と言ったことがあります。誰もが見返りを求めず、奉仕するチャンスを掴み取って、自分が善行して福をもたらすことができることに感謝すれば、自然と心に感じるのは幸福です。従って、幸福は感謝の心を持つ人に与えられ、見返りを求めない奉仕をする人が最も幸福なのです。智慧は学ぶことを厭わない人に与えられます。私たちは皆、菩薩になることを学んでいますが、菩薩道を実践してこそ、菩薩道の素晴らしさを身につけ、心は堅実なものとなるのです」。

「一人ひとりが菩薩の両目と両手になり、菩薩道を実践して、因縁を逃さず菩薩になることに期待を寄せています。使命は責任を担う意志のある人に与えられます。それを担おうとする心が即ち、自分を肯定していることであり、私たち皆が人々から認められることにもなります。チャンスは心の準備ができた人に与えられます。それというのも、菩薩として発心し、使命感を持っていれば、どこで必要とされても、直ちに救済に行く用意ができているからです」。

世界のコロナ禍が頭から離れない上人は、世界地図を見ながら、国と国の間で慈済の防疫物資が調達される状況に関心を寄せていた。(5月20日)

今生が終わっても、模範の行いは永遠に残る

精舎の常住衆たちが「大師兄」と呼ぶ、徳慈(ドーツー)師父(スーフ)の訃報が入りました。夜の八時五十五分でした。上人は病床を見舞い、徳慈師父に最後の開示をしました。

「紹惟(シャオウエイ)!凡夫の情は有限ですが、菩薩の悟りは永遠です。数日前、あなたに『千般の情、万般の愛』という話をしました。解脱して自在になる時です。あなたなら分かっていると思います。私たちはとても幸福ですね。お互いに縁があって一緒に慈済世界を創設しました。足ることを知り、福を知って、感謝する心を持っています。慈済の菩薩道を忘れてはいけません。菩薩の世界はとても心安らかで、美しい境地です。私が講釈した《法華経》に『六瑞相』がありましたね。それはとても美しい境地で、あなたの心や意識は飄然として自在ですから、六瑞相の境地にあると信じています。この道を忘れてはいけません。間違った方向に向かったり、道から逸れたりせず、この美しい境地に戻ってくるのです。六瑞が現れれば、軽やかで自在になるのですよ。そしてそこに行き着いたら、直ぐに戻って来るのですよ」。

「あなたを祝福しています!あなたはとても良い運命にあり、私も良い運命にあります。私たちは老いても孤独ではなく、病気に苛まれても皆が寄り添ってくれています。今、数多くの師兄(スーシオン)、師弟(スーディ)が側にいます。喜びと共に自在で軽やかに、あらゆる情や諸々の愛を放下するのです。菩薩の慧命を守って、行き着いたら直ぐに戻って来て道を切り開く続きをするのです。将来、私もあなたが切り開いた道を歩み、前後して切り開いて行きます。今まではあなたたちのために、私が道を切り開いてきました。今はあなたが先に行きました。この道は引き続き平坦なものにしなければなりません。私たちがこちらで広い道を切り開き、あなたがあちらでそれを歩き易いものにするのです。軽やかで自在になり、飄然と解脱し、再び戻って来る時に笑顔で皆に喜びと幸福をもたらしてくれることを願っています!」

困難を克服しながら苦労して切り開いて来た道で、徳慈師父は上人に追随し、六〇年近く修行の歳月を歩んでこられました。その師弟の深い縁は来世に引き継がれ、菩薩道で続いていくでしょう。徳慈師父は徳と慈でもって人に接し、至る所で良縁を結んで来られました。その人生は尽きても、模範は永遠に残ります。

午後九時、夜の太鼓が鳴り、常住衆たちは交代で念仏を始めました。また、翌日の早朝四時には暁の鐘と共に、徳慈師父のご遺体が慈済大学の大捨堂に移され、医学の英才を育てる遺体先生となります。


(慈済月刊六五六期より)

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